「中国4000年の歴史」の中国とは?
よくテレビなどで「中国4000年の歴史」と言うフレーズが使われていますが、ここで言う中国とは何を意味しているのかよくわかりません。
1 中華民国、中華人民共和国の国名を略して中国というのはよくわかる。
2 上記以前の、すなわち「清」以前に中国なる国は存在したのだろうか。
歴史でよく学ぶ「殷」以降それらしい国名は出てこない。
3 「元」は漢民族ではなくモンゴル民族であり、漢民族の治世も歴史上の一時期 とぎれている。
以上から国名としての中国の歴史はたかだか50年強だと思うので、冒頭の4 000年の歴史という中国は国名以外の意味だと思うのだが。
回答(8件)
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「中国4000年の歴史」というのは、今の中国の国土に過去存在した文明もしくは文化のことをさすと思います。
この4000年という基準は、実際に存在したことが確認できる遺跡が約4000年前のものだからです。
そうですね。黄河文明では確かに7000年になってしまいますね。4000年と言ったら、夏や殷が起点との計算が合いますか……。黄河では誤答でした。ここに訂正致します。中国4000年といった場合、中華思想とを関連づけていくか、国の発生としての夏や殷に起点をもとめるのか……の2点でしょうね。ただ、テレビcmがそこまで考えたものかどうかは?です。
No.6ベストアンサー10pt
「中国」は中華民国、中華人民共和国の略称でもありますが、本来は「中華の国」の意です。孟子の例は既に挙げられていますが、我が国でも『日本書紀』において彼の地を「中国」と呼んだ例があります。
たしかに「元」「清」の時代は異民族の支配を受けましたが、漢民族の文化と伝統、そして何より中華思想そのものが失われたわけではありません。朝鮮半島が日本の植民地支配を受けていても朝鮮民族の歴史が途切れたわけではないのといっしょです(日本もアメリカの占領を受けましたね)。
専門ではありませんが、国名ではないと思います。黄河文明ってありましたよね。世界の文明の発祥である、インダス、チグリス・ユーフラテス、黄河、ナイルなど……。黄河文明といういわば、文明を起点とした言い方だと思います。漢書の出典等は知りませんでしたが……。
逆瀬川弘次氏の「中華思想について」は、引用文が多く参考になると思います・・・特に孟子の時代に中国の字句があったとは?
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/student/98saka …
孟子曰、舜生於諸馮、遷於負夏、卒於鳴條。東夷之人也。
文王生於岐周、卒於畢郢。西夷之人也。
地之相去也、千有餘里、世之相後也、千有餘歳。
得志行乎中國、若合符節。先聖後聖、其揆一也。
孟子曰・・・
舜は諸馮に生れ、負夏に遷り、鳴條に卒る。東夷の人なり。文王は岐周に生れ、畢郢に卒る。西夷の人なり。
地の相去るや、千有餘里、世の相後や千有餘歳。志を得て中國に行ふは符節を合するが若し。先聖・後聖、其の揆一なり、とある。
ここには、夷狄が中国の文化の担い手、リーダーになり得ることを示している。
昔外国といえば唐がほろびようとも「唐」であったように、
現在の「中国」は、
時代関係なしのあのあたりの地域の国家をさしているのではないでしょうか?
教科書にも「貿易を許されたのはオランダと中国(当時は清)のみ。」
みたいな感じでかいてありましたし。
「殷から中華人民共和国までのユーラシア大陸東部の四千年の歴史」
じゃ面倒くさくないですか?
余談ですが中国人(今の)は夏王朝を信じているので四千年の歴史じゃないそうです。
No.2ベストアンサー20pt
貴殿と同じ考えが、
http://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/hist …
に記載されています。
しかしながら、漢民族、モンゴル、満州民族なども含めて、中国大陸における国家(王朝)としてみなした場合、夏(紀元前2100年頃)~中華人民共和国(1949年~現在)ですから、およそ4200年・・・と考えられます。殷からを文明国家と定義づけたとしても3800年ですから、まあ4000年と言ってもそれほどおかしくはないと思います。
(黄河文明までさかのぼるとして、黄河文明が誕生したのは、紀元前5000年ですから中国7000年!!!)
なお、民族主義的な反論についてはお受けするつもりはありません。
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