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第二次世界大戦後に成立した世界体制としての「ブレトン・ウッズ体制」とは何でしょうか。またその崩壊過程とはどのようなものでしょうか。

A 回答 (2件)

1929年のニューヨーク株式暴落に端を発した世界恐慌後の混乱を、各国が保護貿易や通貨の切下げ競争(=ある国が切下げで競争力を高めようとすると、それは他国へ「不況を輸出」した事にもなる)によって切り抜けようとした事が、第二次大戦の一つの原因になった事から、戦後、ドルを基軸とする固定相場制度が、1944年にアメリカのブレトン・ウッズでの会議で決められました。

これがブレトン・ウッズ体制です。
ドルを基軸にするというのは、No.1の方が回答された通り、「各国通貨はドルとの交換比率を決めてそれを(上下±1%以内に)維持する義務を負い、アメリカはドルと金との交換を約束する」というものです。各国通貨は、ドルを通じて金と一定比率での交換が保証される事になります。(ドルとの交換比率は、「基礎的な不均衡」ができた場合にのみ、IMFが承認して変更できる事になっていました。)

これが成立し得たのは、第二次大戦後、アメリカが経済力・軍事力の面で圧倒的な地位を持った為に、ドルに対する信認が非常に高かった事によります。しかし、欧州・日本の経済復興で、アメリカの相対的な地位は低下し、また1960年代にはベトナム戦争の戦費の支出などで、アメリカの政府財政・国全体の経常収支が悪化した事で、ドルに対する信認は落ちて行きました。そして、将来のドルの減価に備える為に各国がアメリカに対してドルの金への交換を要求した結果、アメリカの金準備はどんどん減って行き、それが更にドルの信認の低下に拍車をかけました。これが、1971年の、ニクソン大統領による一方的な「ドルと金との交換停止」宣言(=いわゆる「ニクソンショック」)につながり、ブレトン・ウッズ体制は崩壊しました。短期的には、ドルとの交換比率を設定しなおして、許容変動幅も±2.25%まで拡大したスミソニアン体制が、その後できましたが、1年ちょっとでこれも崩壊、変動相場制に移行しました。1973年のスミソニアン体制の崩壊を、「本当の」ブレトン・ウッズ体制の終焉、といった方が良いかもしれません。
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こんにちは。

授業でちょうど習ったところなので、センセの言葉を要約して書きますね。
noname#4346さんがどの程度知識をお持ちなのかわからないし、私の書き写し間違いの部分があるかもしれないですが・・・

IMF(国際通貨基金)という機関があるのですが、世界でのお金の融通などを行っています。

「日本の円が何ドルの価値があるか」っていうのは、現在毎日価値が変わる「変動相場制」っていうのをとってます。
その前に使われていたのが「ブレトン・ウッズ(体)制」というものです。

簡単に言うと、戦前では紙幣よりも金の方が価値があったので、どれだけ紙幣を印刷しても、金のほうが信用が高かったので人々が金ばかりを決算などに使ったため、金不足が起こりました。
それを防ぐために、戦後から「ブレトン・ウッズ制」に変わりました。
要は固定相場制です。ドルだけが同じ価値のある金
と交換でき、他の通貨はドルと一定のねだんで交換できるという方式でした。

で、なぜそれが崩壊したかというと、
一番流通するアメリカのドルが金と交換されることが多く結局金不足、
また1960年代頃から各国がドル用にお金を作り始めたため、アメリカの国際収支が赤字になり始めたので、ドルを金と交換することが多くなりました。
71年にニクソン大統領が金とドルを交換することを停止すると発表し、「ブレトン・ウッズ制」は崩壊しました。

こんなのでどうでしょう
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