悪く言われたオリンピック選手はいたでしょうか
オリンピックが開催されるときは、選手たちはみんな好かれて、賞賛されると思いますが、
過去のオリンピックで、悪く言われたオリンピック選手なんていたでしょうか?
僕の知るかぎりでは、千葉すずさんがちょっと悪く言われたと聞いていますが、千葉すずさん以外で、悪く言われたオリンピック選手はいたのでしょうか。
(ただし、僕は、千葉すず選手は、善良な良い選手だと思っています。)
#2の方の回答にある、セルゲイ・ブブカ選手はメダルが取れなかったとか、そういうことで悪く言われたのではなかったと思いますよ。確かソウル五輪で優勝しているはずです。
もちろん、旧ソ連(現在のウクライナ)では英雄あつかいだったかも知れませんが、その他の国から、やっかみ半分で揶揄された、という感じだったと思います。
彼の場合、世界記録を作ると報奨金が貰えた、と云われています。確認したわけではありませんが、旧ソ連では当然のことだったと思います。
で、彼は競技会で世界記録を1センチ上回わると、それ以上は決して飛ばなかったんですね。その結果自分自身の世界記録を35回も更新しました。
で、やっかみ半分に云われた言葉が「社会主義国の資本主義者」です。
つまり効率よく報奨金を貰うために、大幅な記録更新はしないで、小刻みに記録を更新して、たくさんの報奨金を貰った、と解されているわけです。
決してそんなふうに計算づくで記録を更新していたとは思えませんが、確かに、20センチぐらい余裕をもって世界新をだしておきながら、「えっ、なんで、ここでやめちゃうの?」というのを何回か観たことがあります。
でも今はウクライナで慈善活動などもやっているそうですから、偉いですよね。
すごく古い話ですが、1928 年のアムステルダム五輪に出場した
陸上トラックの人見絹江さんは、ひどい言われ方をされています。
人見さんはメダル確実と言われる実力を持っていましたが、本職の
100mでは準決勝で負けてしまいました。そこで、未経験の800m
に急遽出場。なんとそこで、銀メダルを勝ち取ったのです!
ところが、日本に帰ってみたら、100mで負けたことをボロクソに
言われたうえに、800mに関しても「 銀なぞ負けも一緒 」と肉親に
までけなされ、失意のうちに 24 歳で亡くなってしまいました。
昭和初期の当時は、日清日露戦争の戦勝国として日本全体がある意味
イケイケの時代だったので、外国人に負けて帰ってきたことを許さない
風潮があったようです。金メダルの獲得で凱旋帰国した織田幹雄氏とは、
色の違いでまったく扱いが変わってしまったようです。
再び失礼します。ANo.3です。
早速、ご丁寧なお礼を頂きありがとうございます。
久しぶりに円谷選手の遺書を読み返して、ちょっと暗くなってましたが、
明るくて「悪く言われたオリンピック選手」に該当する人がいましたので
ご紹介します。
それは昨年のトリノオリンピックのジャンプ・ノーマルヒルで200g体重が
足りずに失格になった、原田雅彦(元)選手です。
失格報道のあった直後はかなりバッシングされていたと思います。
彼の人間性からか、特に言い訳も文句も言わずに淡々とコメントしてい
た姿が印象に残っています。
今でこそ、周りの配慮が足りなかったとか、チームとしてのミスだとか
いう評価になっていますが、やはり一番辛かったのは本人でしょう。
そしてそのトリノより激しいバッシングにさらされたのが、1994年のリレ
ハンメルオリンピックの時です。
この大会のジャンプ団体で、日本はよほどのミスがない限り金メダルを
獲得する位置につけていました。
そしてその最後の一本が原田選手だったのですが、彼の直前に飛んだ
ドイツの選手が135.5mのスーパージャンプを披露します。
それでも105m以上飛べば日本の金が決まるはずでしたが、なんと結果は
97.5mとなり銀メダルに終わってしまいました。
原田選手はこのためにマスコミを含めた一部から大バッシングを受け、
自宅などへの嫌がらせもあったと聞きます。
結局、原田選手は冬季オリンピック5大会に出場し、世界選手権を含め
て9個のメダルを獲得していますが、これは日本人選手の最多記録と
なっていますし、多くの栄光と失敗を経験したスーパースターだったと
言えるでしょう。
原田選手はトリノオリンピック終了後に現役引退を表明し、現在は所属
する雪印乳業スキー部のコーチに就任し後輩の指導にあたっています。
ぱっと思い浮かぶのは、リレハンメル・女子フィギュアスケートのハーディング選手。
ジャンプミスの後、靴紐が切れたと泣いて訴え競技を中断し、
競技順を後のほうにしてもらって再度出てきました。
あのときのいやーな空気、釈然としない気持ち悪さは忘れられません。
結局、ライバルのケリガン選手を襲撃した事件に関わっていたとして(後に本人も認めて)、裁判になったと記憶しています。
悪く言われた…というより、本当に悪いことしてた、わけだけれど。
層の厚い全米からオリンピックに出場できるほどの選手なのだから、選手としても一流に違いないはずなのに、大きなプレッシャーと欲望がひとを狂わせたのでしょうか。
千葉すず選手の件は、今思い返してもすごく残念で悲しくて悔しいことでした。
彼女の主張に全面的に賛同する!と、テレビの前で叫んだことを思い出します。
どうも今晩は!
>悪く言われたオリンピック選手
ということで、やはり忘れられないのは、円谷(つむらや)幸吉さんですね。
1964年の東京オリンピックに初出場して、マラソンで銅メダルを獲得
(同大会の1万メートルでも6位入賞)しながらも、次のメキシコでの金メダル
獲得を至上命題とされ、結婚さえ許されず、オーバーワークと周囲の期待
の強さから結局、自殺してしまいます。
その「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も
美味しゆうございました…」で始まり「…幸吉はもうすつかり疲れ切つてし
まつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御
心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとう
ございました」で結ばれる遺書は、当時の人々に大きな衝撃を与え、今読
み返しても我々の胸を打たずにはおれません。
決して東京オリンピックのマラソンで最後の国立競技場のトラックで抜か
れたことで非難された訳ではありませんが、歴史に残る悲劇のランナーと
言えるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7% …
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/tsum …
ご参考まで
この回答へのお礼
ご回答をどうもありがとう御座います。
う~ん。周囲の期待の重圧で自殺をしてしまうなんて、オリンピック選手が受けるプレッシャーは相当なものなのでしょうね。
参考のURLにも書いてありましたが、善良な選手だったのでしょうね。
大変参考になりました。
棒高跳びのブブカは思い浮かびますね。
この回答へのお礼
ご回答をしていただきありがとうございました。
セルゲイブブカは、実力は一番だったのにメダルがとれなかったりしたようですね。
大変参考になりました。
トリノ五輪のスノボチームなんか、
結構ひどい言われ方をしていたかと。
この回答へのお礼
ご回答していただいて、どうもありがとうございます。
スノボというと何か遊んでいるような印象を与えるのでしょうか?
でももちろん実際には、選手達は悪くは無かったと思います。
大変参考になりました。
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