プロが教えるわが家の防犯対策術!

古代日本(邪馬台国とかそのあたり)では中国との貿易が行われていましたよね。

そのときの交渉などの会話には何語が使われていたのでしょうか?
というか、この二国の間に言葉の壁は無かったのでしょうか?

よかったら教えてください。

A 回答 (5件)

もちろんことばの壁はあります。


向こうは漢語、こっちはやまとことば。こっちには
ろくな文字もありませんでした。
なので、通訳ですね。九州地方などの日頃から漁など
で中国と接触する機会のあった人たちのなかには向こ
うのことばを解する人たちもいました。そういう人を
通じて意思の疎通をしていたものと考えられています。
中国の方から日本語を学ぶことは皆無ですから。
そのうち公式の行き来が重なるにつれて、大和朝廷で
は博士を中国から渡来させ、漢字の輸入をするように
なって文字を解して中国とのコミュニケーションがで
きるようになっていきました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。
もうその時代から通訳というのが存在していたんですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/09 23:53

天明四年に志賀島で発見された金印は、後漢の光武帝からAD57年に与えられた(後漢書東夷伝)ものらしいのですが、邪馬台国とは別の国だった可能性は高そうです。

少なくとも、奴国=邪馬台国とする証拠はありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんですか!!
とても興味深い回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/10 23:41

中1の男子です。



正しい答えではないと思いますが、そのとき中国は「漢」でしたね?
そのときここ、日本は「倭」で、漢のことを知りたいと思い、「漢」の言葉を勉強した人が、卑弥呼に言われ、「奴」の国へ行き(現在の九州北部)、通訳として「漢」へ卑弥呼の使いと一緒に行って、「漢」の皇帝から金印を授かり、「倭」へ帰ってきて、卑弥呼が「倭の奴の(奴国)國王(国王)となり、日本の天下を取ったといえるのです。

長くなりましたが、要するに「通訳がいた」ということです。
あくまで参考にしてください。(間違っている部分もあると思うから)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

参考になります。
回答の一生懸命さが伝わってきてうれしかったです。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/10 23:40

魏志倭人伝には、百余国のうち、「使訳通ずる所三十国」とありますので、一部には使者の往来があり、通訳がいたようです。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

通訳って、その時代から大切なものだったんですね。

ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2007/03/09 23:57

邪馬台国の時代ですか。

わからないが正しい答えじゃないかな?
時代が下がって、飛鳥時代ころになると漢人や新羅、百済などからやってきた人たちがいますので、交流の現場では漢語が使われていたと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはりそこまで掘り下げるとわからない事が多いんですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/09 23:55

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!