豊臣時代の姫路城
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黒田・豊臣時代の姫路城は三層の天守があったと言われています。
当時の縄張りや古図などの資料は現存するのでしょうか。
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
No.2の追加です。
「播磨鑑」によると応仁元年ころの姫山にあった姫路城は、本丸が18間X22間、二の丸が28間X30間、他に亀井丸、桜馬場あり、永禄四年さらに改修されたとの事。
さらに秀吉により、濠、石垣を整備し多数の櫓と三層の天主を築かれたと伝えられています。
現在の「リの門」のところに、当時も門があったようです。 ご参考まで。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
やはり資料はほとんど無いのですね。
平凡社「城と書院」によると、黒田孝高の縄張りを元に秀吉が築いた姫路城の具体的資料は見つかっていないとの事です。 現在の西の丸の所に城があり、隅櫓の所に天守があったとの説もあります。 昭和の大修理の際に痕跡が多少見つかっているそうで、お調べ下さい。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
正確な縄張りはわからないのですね。
No.1ベストアンサー10pt
ここで質問するより確実なのは姫路市立城郭研究室のHPから「城郭質問箱」にて問い合わせた方がいいですよ。
私も歴史のことなどでわからない事があると、図書館や博物館などのレファレンスを利用しますが、的確なお答えを頂戴します。
行政サービスとはいえ、凄く勉強になり感謝しているシステムのひとつです。
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