No.5ベストアンサー
- 回答日時:
とりあえず、日本においては「そういう説もある」程度の状態です。
近年否定が強まっているのは武田騎馬軍団みたいな「オール騎馬」という軍隊の存在でして、これはほぼ否定されていると考えてよいでしょう。鎌倉時代の戦は騎馬が存在しました。というより騎馬が主力でして、鵯越なんかは騎馬でなければ降りることは出来ませんし、鎧も騎馬戦に最適化されています。
室町時代にも、騎馬での戦闘があったことをうかがわせる武器があります。大刀です(点がないです)。文字通り巨大な刀でして、自分ひとりでは鞘も払うのが困難な代物であったとされています。実用性は低かったためすぐに廃れてしまったのですが、明らかに馬上での使用を考えている(というよりも馬上でしか使用不可能な)武器です。鎌倉以降太刀は小型化されていったと思われがちですが、実は一回巨大化しているのですね。
戦国時代において、たしかに騎馬は主力ではなかったでしょうが、馬上で戦闘を行っていた可能性は十分あります。ただ、先にも言ったように武田騎馬軍団みたいなものは存在しなかった、とするのが妥当でしょう(ちなみに、鉄砲三段を生み出したので有名な信長記でも武田騎馬軍団みたいな書き方はされていません。)。
諸外国においては・・
まず、ヨーロッパでは騎馬は下で言われているとおり花形でした。特に装甲騎兵とよばれる大きな馬に重装備の騎士を乗せて突撃して歩兵隊を踏み潰すというのが主流で、これに対抗する方法はシルトロンと呼ばれる密集長槍隊(日本風に言えば槍衾です)を使うか(この戦術で有名なのはウィリアム・ウォレス)、フス戦争で実用化されたハンドガンを至近距離で浴びせかける一撃必殺(この戦術で有名なのはヤン・ジシュカ。フス戦争で農民軍を常勝軍にしたてた英雄です)くらいなものでした。馬上槍試合については、簡単に言えば大きな槍をもって正面から突っ込んで相手によりうまく当てたほうが勝ち、という代物です。
中央アジアは、まさに遊牧騎馬民族の世界です。彼らは本当にオール騎馬みたいな集団でして、その機動力は古代~中世においては反則的な強さを誇っていました。実際、中国の漢やヨーロッパに大混乱をもたらしたフン族など、遊牧騎馬民族に敗北を喫した農耕系民族の例については数限りありません。
中国については、遊牧騎馬民族との戦闘経緯から、ある程度の騎馬は揃えていたと考えられています。しかし最大の問題は、中国本土は馬の繁殖飼育に向かないのです。唯一、淮河周辺では飼育できたのですが、質がいまひとつでして、やはり良い馬となると、チベットやモンゴル高原(満州のあたりを含む)、などの外国馬となってしまうのです。そのため、中国という国は歴史的に見れば文弱などと揶揄されるような国でして、周辺からすればむしろ軍事的に弱い国であったともいえます。
丁寧なご回答ありがとうございます。馬上で大きな槍を振り回すというのは、すごく腰に負担がかかりそうですが、日々の鍛錬でできたのでしょうね。そういえば、ヨーロッパのスポーツに馬を走らせて小さな的を槍でつくというのがありました。モンゴル帝国の拡大は強い馬にあったことも再確認できました。
No.9
- 回答日時:
No,3ですが、なかなか賑やかになってしまいましたね。
源平の頃、騎馬での戦いはあったか?
あったはずです。騎馬武者のカタナは帯には差さずに、吊り下げています。
馬上ではこの方が抜刀し易いからです。戦闘に参加しないのなら、こんな工夫は要りません。
ちなみに、雑兵のレベルは帯にカタナを差しています。これは地上の戦いだから抜刀の問題はありません。
それからNo,5の方の回答にある長大なカタナ、これは“斬馬刀(ざんばとう)”と言ったと思います。長さ3mにも及ぶものもあります。
当然一人では持てませんから、数人で長い柄を持って使ったのでしょう。相手の攻めてくるのを待っていたはずです。振り上げて斬りつけるには重過ぎます。
ではどう使うか?これは攻めてくる騎馬の足を狙ったのです。馬の足を低い位置で払うようにしたのでしょう。足を斬られれば馬は倒れて乗っている武将は落馬しますから。
つまり、この斬馬刀の存在が騎馬による戦いが存在した証明といっていいでしょう。
ただし騎馬部隊の存在はハッキリしていません。当時は一般農民が兵卒の殆どを占めていました。
騎馬部隊は日々の訓練が必要です。“職業軍人”でないと難しいのではないでしょうか。日本での“職業軍人”は、織田信長が始めて組織したのだそうです。
でも、直接農耕に携わらなくてもよい環境にあったり、“馬の生産”が職業であったりした場合には“騎馬部隊”の編成が可能になります。
那須高原で馬の生産・牧畜に従事していた豪族の集団、これが“那須七党”です。
日本最初の騎馬部隊の誕生に、もっともふさわしい土地柄と思います。
職業軍人でなければ馬上での武器使用は無理、というのはうなずけます。那須与一は馬上で弓を射るのに馴れていたから、扇を射抜けたわけでしょう。弓だけでなく馬術にもすぐれていたことを、あの物語から察しなければいけないのですね。ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
基本的には馬は戦闘手段ではなく移動手段でした。
「戦うなら乗るな」が基本です。普通は馬から降りて戦ったほうが馬上よりも動きやすく戦いやすいからです。馬を乗りこなすのは一流武士のたしなみですが、馬に乗りながら弓を射るのとはレベルが違い、太刀を振るのは極めて難しく馬上で戦える武士はごく一部でした。激しく動く馬に乗りながら激しいチャンバラをすることを考えれば難易度も想像できるでしょう。よほど自信があるかウツケでなければ馬上での戦いは極力避けたのが事実だと思います。騎馬部隊は存在したでしょうが実際、騎馬隊として戦った部隊は少なく少数精鋭でしょう。馬に乗っている武将は自分の隊が移動しやすいのと指揮がしやすいために馬に乗っているにすぎず、戦うためではありません。肯定意見が多い中で、#8さんは否定的意見でまたわからなくなってしまいました。こんな基本的なことでもいろんな意見があるとは、歴史は奥が深いですね。ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
源平の頃と、戦国では、戦いのやり方が違います。
城攻めに馬が有効とは、思えません。
平野での戦いだったら、有効だと思います。
今川義元が馬に乗れず、輿で移動したというのは、当時でも嘲りの対象だったでしょうし、馬ぞろえをきっかけに出世した、山内一豊がいたくらいですから、馬は、ステータスであり、重要な武器の一部だと思っています。
騎馬武者の絵もたくさん残っています。
No.6
- 回答日時:
それは間違いです。
「馬は移動に使う」のは当然なわけですが
戦場で移動する時にこそ必要でしょう。
なにせ鎧が重い。
20キロ近くある重い具足をつけて
丸一日行動するのは大変疲れるのです。
戦闘と一言でいいいますが、
実際には、朝から日が暮れるまで
活動しなくてはならないのです。
だからこそ馬が必要になります。
疲れていては、敵の格好の餌食になるだけですからね。
鎌倉時代に武士文化ができて以来、
何事も馬上でできるように訓練することが
武士の嗜みというものでした。
馬が疲れたら代えればいいわけで、
徒歩で戦う方がよっぽど効率が悪いです。
中国・ヨーロッパ、つまり大陸では日本よりも
立派な騎兵やその文化が多数あって
馬上で戦うのは当然ですね。
むしろ下馬騎兵の例のほうが少ないです。
日本においては、武田の騎馬軍団なることが
素人判断で全員が騎馬兵だと誤解されていたのが、
それは違うという周知の指摘があっただけなのですが、
それをさらに素人判断で騎馬兵が全くいなかったと
さらなる誤解が広まったわけです。
要するに、事実無根です。
日本でも騎乗兵はいますし、馬の上で戦いました。
下馬するケースも確かにありますが、
それは状況次第であって、降りた方が有利な場合と
騎乗で行動した方が有利な場合があります。
槍ぶすまと対する時や、鉄砲隊に狙われている時は
(騎乗兵は通常の標的の二倍の面積となる)
降りた方が利口ですし、敵の側面に回ったり、
部隊間を指揮して回るような指揮官は乗っていた方がはるかにいい。
突撃については諸説ありますが、私はやったと思います。
ただ多くの人が誤解しているのは、その効果を過大評価していることです。
騎馬突撃は古今東西、突撃側のほうにも多くの被害がでる場合が多く、
消耗が激しい諸刃の剣で、相手を崩せる場合もありますが
撃退されることも多いしろものなのです。
常識的にいって、だから準備して待ち構えている相手には余り効果がありません。
ちょっと考えると馬上では不安定で武器をふるうのは無理みたいだけど、日々訓練すればできるのですね。たしかに準備されていると、落とし穴にはまりそうだから、意表をつく必要がありそうです。ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
戦国時代に騎馬戦が「少なかった」のはその通りだろうと思います。
戦場では足軽雑兵が主役となり、騎馬武者が戦いの帰趨を決することは少なかったでしょうから。ただし、「無かった」というと嘘だろうと思います。たとえば潰走の際に騎馬を騎馬で追撃することでもあれば、騎馬戦も起こったことでしょう(片方は「逃げること」をしているわけですから、絶対に降りて戦うことはないでしょう。片方が降りなければ、追撃側も騎乗したままでしょう)。「あったかもしれないこと」を無かったと断言するのは無理です。
平安、鎌倉時代に騎乗戦闘はあったでしょう。当時の鎧が「騎射戦闘に最適化された形状」でしたので、これをわざわざ徒戦を行ったとするのは「ナンセンス」だと思います(当時にも腹巻や胴丸と言った、徒戦向きの防具があった訳です)。
中国は判りませんが、ヨーロッパでは「騎乗戦闘」は戦の花形でした。現代にも名残を残すトーナメント(馬上槍試合)や、ランスチャージ(フリーランサーは自由騎士のこと)等々、馬上で槍を振るう騎士は実際に多かったことでしょう(騎乗槍試合用のアーマーも残っています)。
確かに後年、鉄砲などの登場で花形ではなくなったのは確かですが、中世から中近世、ヨーロッパに於いて馬上で槍を振るう騎士が「戦場の花形だった」のは確かです。
三国志で関羽、張飛が活躍するシーンは馬上で槍を振り回すわけで、それが実際は無かったとなると寂しいですね。やはりあったのかもしれません。ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
気の早い新聞ですね。
本格的な論争はこれからで、現時点で結論は出ていないような。以後は考えるヒント程度に。
・日本の馬は今でいうポニーで、小さいから戦争には向かない、という説がありますが、ユーラシアを制覇した蒙古馬も、同じくらいのサイズです。
・西国において、源平~鎌倉期では、騎兵の武器は弓が主流ですが、応仁の乱以降は、打物(馬上で用いる太刀や長刀など)が主流になり、下馬して戦う場合も増えますが、状況次第で馬上戦闘も行ないました。なお、馬の産地が多い東国では、事情が異なるでしょう。
鐙の発明・改良以前は、どこでも騎馬兵の武器は弓ですが、馬上で踏ん張れるようになると、様々な武器・戦法が工夫されます。「中国やヨーロッパ」というくくりは広すぎるので省略しますが、実際に馬上で武器を操っていたのは確かです。歩兵にとって、頭上から敵の攻撃があるのは非常な恐怖ですから、戦闘時の効率は、馬上の方がよかったでしょう。
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