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最近いじめる子を出席停止にしようとか、教員免許を更新制度にしようなど、いろんな教育改革を行っている教育再生会議ですが、新たに大学にメスをいれました。
具体的にはまだ検討しようという段階ですが、9月入学や卒業認定試験です。
9月入学自体は、高校3年間を受験だけの為に行かないようになど理解を得やすいと思いますが、卒業認定試験はナゾです。(関連記事は↓です)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20 …
なんだか、義務教育で失敗した連中を最後は自力で、政府の目指す最低学力に上げようという考えにしか思えません。
どうせ試験をやるなら小・中学校に設けるべきだと思います。
そこで、この教育会議を検索したら一般からも提案・疑問等を受け付けていました。(↓参照)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/hotline …

ここに、「東大といわゆるFランク大学を同じ試験では計れない。下に合わせたら試験の意味がない。中間に合わせたら下の方は壊滅する。また、学部学科が違うのにテストは出来るのか? 各大学別にテストを作るのがベストだが、それでは大学間で不満が出る。それよりも、基礎を完璧にするために義務教育卒業認定試験を作った方が統一性が保てる。」という感じの提案を送ろうと考えています。

しかし、自分だけの知識だけでは偏った認識になってしまいます。そこで、みなさんコノ卒業認定試験の是非やココに設けるのがベストなど、意見・提案をお願いします。
あと、資料が多く全てに目を通せていないんですが、義務教育卒業認定試験なるものはすでに議題に出されている、などを知っていたら教えてください。

A 回答 (8件)

当事者(大学教員)です。



義務教育を学習課程主義から変えるのは難しいかも知れません。
が、高校は義務教育ではないのでまずは高校を成績主義に変えるのが良いと思います。

大学の卒業試験のペーパーテストは無意味だし実現不可能です。大学ごとにカリキュラムが違いすぎるし、そもそもペーパーテストで測れるようなことを教えるのが大学ではないので。
一般教養課程レベルに限ってなら試験も成り立つかも知れませんが。

やるとしたら、全大学共通の卒業試験をするのではなく、温情卒業などをしていないかどうか、全大学を監査するほうが実現可能性が高いでしょう。

こういう井戸端会議レベルの思いつきで教育をいじくって欲しくないですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

教える側の教員からの意見は非常に参考になります。
大学においての認定試験については私の考えに近いのかと思います。

>やるとしたら、全大学共通の卒業試験をするのではなく、温情卒業などをしていないかどうか、全大学を監査するほうが実現可能性が高いでしょう。
私が工学系にいますので「日本技術者教育認定機構(JABEE)」というのを聞いたことがありまして、これは社会が要求している教育プログラムが行われているかどうかを判断してくれるものです。(第3者の立場で) また、成績についても監査が入っています。(テストの点と成績についてです) 全大学を検査とはこれに似たようなものですかね。
http://www.jabee.org/
↑がそのホームページです。

>こういう井戸端会議レベルの思いつきで教育をいじくって欲しくないですね。
一瞬私の質問に不快に思われたのかと思いましたら、「いじくって・・・」で教育再生会議のことだと分かりました^^。

お礼日時:2007/03/22 23:10

なんのための試験か全くわかりませんね。


でもやるのであれば、旧帝大の人の80%程度が受かるレベルの試験にした方がいいと思います。

今は金さえ積めば四則演算が出来なくても、文章を読めなくても誰でも大学に入れる時代になってしまい、大卒自体に何ら意味を持ちません。
中堅(地方国立や上智・明治など)といわれる大学の学生が必死に学べば上位2割程度が大卒と認定されるで充分なのではないでしょうか。

基礎を完璧にするという意味では、義務教育を最長12年生(現・高校まで)にし、学年(12段階)進級テストを設けるのがいいと思います。
優秀であれば、4年間(10歳程度)で高3レベルのテストに合格する人も出てくるでしょうし、逆に勉強が苦手であれば、12年目でやっと中1レベルでもいいのではないでしょうか。
逆に12年以内に最終段階の認定に受かれば何歳であっても卒業可能に。
義務教育は各人各人が理解できる範囲で最善を尽くしてあげればいいのであって、最終学力を全員そろえるのは夢物語だと思います。
大学進学には12段階を終えた人のみとすることで、実質的に現在の高校過程までをしっかり理解しているだけ人が進学することになります。
(この制度にすると現在大学生と言う身分の人の7割程度は大学生になれなかったはずです)
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>>1900年以降の日本を中心として教えるべきですよね。

でないと

そういう意味じゃないんですけど。

今、おこっていることから勉強をはじめるんですよ。

例えば年金だってさかのぼれると意味が違ってくると思いませんか?
ちょっと前に年金に対する法律を変えたこと、どういう意図でだれがどういうことを言っていたのかってこともたとへ不完全であろうとテレビのビデオを入手出来たりするじゃないですか?
それに年金をつくったときのメモなんかも出てきたりしているようですし、歴史ってその時どのようなことを考えてどんなことをしたのかを検証するって学問だと思うんですよね。
結果がすでに出ている事柄で時代が近いものほど登場人物の人間性やどのような考え方をしていたかったいうのが、実在の人物をみることでよりいっそうイメージがわくと思うんですよね?
過去の戦乱につけた名前を覚えることって歴史でもなんでもないと思いませんか?私は興味など何も感じませんでしたし、過去を分析することに興味をわいたとき資料の少ない過去の登場人物にでも興味を持ち始めることになり掘り下げる喜びを知るのだと思うのです。
勉強ってまず興味を持たせることがスタートラインだと思うのです。

歴史が邪魔者か?歴史を勉強することが勉強の出発点になるか?全然違うと思いますよ?
人に興味をもって数学とかの理系に入るのと自分の知識の中でだけ割り切れることに喜びを感じるのとでは違うと思うのです。

現在おこっていることは何時誰がどのような判断や画策をやった結果であるから自分たちで検証してみようは、日本人の人が変わるのと同様に国を牛耳ってきた人たちの行いを分析評価することですから国民が真実を見極めるすべをもつということと考えれば影響は大きいと思います。

マインドコントロールされたロボットの量産か?一人一人が自分で考えて進む道を自分の能力で生み出す人間に教育するか?っていうある意味分かれ道だったと思います。
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中学校教員の立場として、


学校を学力の形成のための場と考えるならば、
小学校の卒業試験には賛成です。

先日、定時制高校の2次募集を受ける生徒に九九を教えました。
中学3年生です。
九九がわからないので、中学校の数学はまったく習得していませんでした。
おそらく中学3年間ずっと数学の時間を我慢して過ごしてきたのでしょう。
このような超低学力生徒は、100人中5人くらい、いるように思います。
必要な範囲の漢字の読みと九九は、小学校で必ず習得して欲しいものです。
習得していないと、中学に行ってから本人が辛い思いをすることになります。
よって、中学校教員の立場として卒業試験には賛成です。

ただし、他にも様々な立場からのご意見があるかと思います。
同じ義務教育でも、学力の形成という面と人格の形成という面があります。
例えば自尊心の形成に関しては、卒業試験は良くないかもしれません。
また、発達障害を抱えた生徒にどう対応するか、は難しいところです。
これらのことも視野に入れて考える必要があると思います。
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この回答へのお礼

学力を重視しテストにより線引きをした場合、落ちた生徒が抱く感情というものを考えなくてはいけませんね。仮に留年という処置をした場合、本人自体のヤル気というものも薄くなるかもしれませんし、イジメの対象になるかもしれない。

そういう意味ではテストという形でなく、小学1年次の一学期ごとに、学習が遅れている子を対象として夏休みや冬休み、または土曜などに登校させ教えることが必要なのかもしれません。つまり、学習出来ていないことを翌年に引き継がせないということです。

回答ありがとうございました。 

お礼日時:2007/03/29 00:22

今の方式は現在の利権構造を肯定するマインドコントロールのみが目的なんじゃないのかな?



今のやり方の延長線の上にのっても生きていけないことに気づいた優秀な能力をもった子供たちがむしろ不登校だとか変わっていると言われて行き場を失っているような気がする。

前に教育をなおすには役所も全部潰してがらがらぽんをやらない限り改善しないとテレビでいった教授がいたけどまさにそうだと私も思う、いろいろな官僚などがもっている利権のすべてが教育というこれから未来をつくる人たちに影響をあたえて足をひっぱる根源となっているので利権を握っているもののために変えるということも本当の意味での改革ではないと思う。

週休2日制だって民間はかならずしも望んでいないのに役人が休みたかっただけではって思うし、歴史だって現代から教えないのは利権構造を皆に知られ無いためとか想像がつくことだと思う。

目的がマインドコントロールであったと思う私から言わせればあきらめたのではなくてマインドコントロールの効き目が薄くなっただけ。
と思う。
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この回答へのお礼

いままでは政府の陰謀? 
確かに、歴史の教え方は変ですよね。アウストラロピテクスを教えるより、1900年以降の日本を中心として教えるべきですよね。でないと、反日をしている他国のことを理解できませんよね。重要な項目である大東亜戦争(太平洋戦争)を内容をさほど教えず、出来事としてサラッと教えるのはどうなんでしょう。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/29 00:06

大学でも高校の延長のような画一的な試験を課すことに意味があるとはあまり思えません。

問題となるのは、定員われの大学や、難関校といわれるところでも勉強を一切せずにも、教員の温情などにより容易に進級させてしまう点です。まずは、おのおのの大学が厳格に基準を設けて、成績評価を行うことを徹底することと、多留年者等に対し退学(或いは他の学校に強制転学)等の措置を取るよう指導することでしょう。これらは第三者の機関が大学の教育水準等も含めて評価をきちんとすることです。定員割れなどにより、大学として不適切なレベルの授業を行う大学は、公表し大学としての認定制度等も設けるなどです。

後は、そういう定員割れ等の底辺私立はむしろ積極的に地元の一般人に門戸を開いてほしいです。いわゆるアメリカのコミカレのような機能をより充実させて、生涯学習などを支えられるように、会社員などでもあいた時間に授業が受けれたり出来るようなシステムを作ってほしいですね。今の学生がヤル気無かったりするなら、むしろ昔家庭の事情などで、大学で学べなかった人や後から学習したくなったような純粋に勉強したい人に支援して、学習環境をより積極的なものに変えていくのも言いと思います。勉強熱心な社会や、人生経験豊富な方と同じ場所で勉強するのも学生にとっても価値があるとおもいます。

義務教育認定試験に関しては、中学卒業時であれば、あまり意味を成さない気もします。中学の勉強で躓くひとが大学に進学する家庭がどのくらいいるのかも不明ですし、どちらかというと高校からの学力低下が問題でしょう。あるいは、高校卒業認定試験を課すとすると、その試験に受かることが目的化し、学校の成績を取ることが無意味化しそうであまり個人的には好みません。落ちてしまった場合に留年者は再度挑戦できるのかまた何時なのか、一度しかチャンスがないのかも難しいところです。それなら、むしろ高校で留年もきちんと一年生時から取り入れて一年間を通して評価するべきと思います。試験合格=高卒としてしまうと、それこそ高校にろくに出席せずに高認をさっさととって受験勉強に特化するような方向に行ってしまう怖さもあります。また、高校のすべての科目を(国立センター試験のように)課すとなると、さすがに何もしないでも全教科OKのようには行かないでしょうから、まじめに勉強している学生にもある程度負担がかかります。落ちたら大学受験できないとなると、さすがにどのような受験生もある程度勉強する必要が出てくるかもしれませんが、そうすると逆に現役生の大学入試の負担が大幅に増えることになります。

長々と書いてしまいすみませんが、個人的には高校にせよ、大学にせよ留年、進級条件を学力の基準によっては厳格に取り入れていくのが一番効果的かと思います。大卒が増えたこと自体は、国全体の教育水準が高まったともいえるわけで、問題は大学が不適切なレベルの学生にしかるべき評価を下さずに学歴を与えている点が大きいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

テストを実施するより、学習が出来ていない生徒(学生)に対して早めに対処をすべき。という感じですね。
確かに基礎が出来ていないのに発展・応用を学ぶのは難しいものがあり、留年させないことがかえって本人の貴重な時間を潰すことになっていますよね。(1年で留年させるべきとこを3年まで放置すると2年間が無駄になる)

>今の学生がヤル気無かったりするなら、
現大学生として、昔の様子は分かりませんがあまりヤル気というのは感じられません。平日の図書館と土曜の図書館の人数などからも状態がうかがえます。(10:1くらいです)どうも目的というものが無く、とりあえず大学というようのが大半のように思えます。この辺は大学に行け行けという周囲の環境からなるものかもしれません。 

お礼日時:2007/03/28 23:56

教員免許の取得のために勉強している大学2年の者です。



9月入学については、明治・大正期まで、大学以外にも旧制高校・小学校の多くが9月新学年制であったという歴史的経緯や、現在でも欧米をはじめとする世界各国で9月新学年制を採用していることを考えると(一般の感覚では馴染みがないですが)理解できます。

卒業認定試験などを義務教育諸学校に設けるのが是か非かについてですが、そのような試験を設けるくらいならば、私は、日本の義務教育諸学校の「年齢主義」を廃止する方がいいのでは…と思います。日本の義務教育は、「ある年齢の期間を設定して、その年齢の期間内の年齢になれば義務教育を開始し、その年齢の期間の最終年齢の達すれば義務教育を終了する」という年齢主義を採用しています(学校教育法第22条第1項、第39条第1項・第2項)。これを例えば、

成績主義…成績を基準として必要な学力が身に付いた時点で義務教育を終了する。
学習課程主義…学習の課程を設定してその課程を修了したことをもって義務教育を終了する。

などが挙げられます。一見卒業試験を設けるのと同じように見えますが、年齢による自動的な義務教育の終了がありませんので必要な最低限の学力をつけるまで義務教育が継続されます。ただ、この方式は現在の大学で採用されている方式です。現在の大学のように、教授する側が児童・生徒の気持ちをくんで「お情け」的に終了を認めるようになれば、現状は変わらないでしょう。

しかし、今回回答させていただいた制度は現在の制度・慣習とは大きく異なるものです。簡単には実現は難しいでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足となってしまいますが、大学の入学だけを9月にしようと考えているみたいです。つまり、4月~9月を受験の為の期間、又はボランティア等にかける期間と考えているようです。(第3分科会単体の考えでは) あくまで、最終ラインで世界に合わせようとしているだけです。

確かに「お情け」というのが一番の問題ですね。それが一つの原因としてこのような試験を考えているのですから。また、私の考えでは楽しく学んで欲しいと思う小学生に、試験という重圧を与えてしまいますね。(無駄なプレッシャーを与えてしまいます)

妥協案的なものとして、「留年者はこの試験を受けなくてはならない」というもにすればいいのか。
まずは、全大学に統一試験を受けてもらい現状を政府が把握するのがベターなのかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/22 22:01

大学入試のための高校、高校入試のための中学、中学入試のための小学校からの塾通い、という図式をなんとかしようということですね。



とくに日本の大学生は、入学まで勉強するが、入ってから勉強しないと言われます。
まして、少子化で大学の定員割れ必至ですから、極論すれば入試無しで入れる大学ができても不思議じゃないです。

ですから、入るのを簡単にして、出るのを難しくする、ということです。本当に学びたい人が大学に行けばいい、ということですね。
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この回答へのお礼

つまり、安易に大学にいけないようにするということですかね。
コレが導入されれば、自動車学校のように卒業単位数は卒検、認定試験は本試験という感じになるんでしょうね。
しかも、大学別に合格率がだされた時には、高校生が偏差値よりそちらを重視しますよね。

確かに、現状の受験の為の学校というのは「学ぶ」という点からいうと、道がずれているといわれても仕方ないです。
ただ、私自身は高校は普通科ではなく工業卒ですので、どうも一般的な進学校の現状がわかりません。(入試もAOですので)

出にくくするのは分かりますが、コレではkensakuさんが回答していただいた文の最初に「認定試験のための大学」というので、どの道学校というものからかけ離れていくような気がします。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/22 21:40

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