プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

どのような方法があるでしょうか。
睡眠中の夢は、無意識が出所だと聞いたことがあるけども

A 回答 (7件)

簡単にまとめてみます。


「無意識の領域」=出発点と終点の基準がなにもないので、計れないと思います。心は「宇宙」そのものだと思いますね。

あえて言えば、私たちが生まれた時から持っている「好奇心」。これが出発点ではないかなと、私は思います。
自分が持っている「コンプレクス」や「マイナス思考(私には出来そうもない。)(無理)等」これらを前向きにしようと肯定暗示を掛けたとします。

次の日、何も変化がなければ「無意識の奥深く」まで届いていない。自分が自覚できるまで「肯定暗示」を感じ取るまで、(個人差がありますが)かなりの月日が掛かるでしょう。それだけ、心は奥深いものだ、と感じさせられるでしょうね。
私は「自律訓練法」をやっていますので、たえず「心」の深さに恐れ入っています。
    • good
    • 0

特殊な方法になりますが私は仏教哲学の唯識からアプローチしました。


試しに「唯識」で検索してください。
2000年前の学問ですが殆ど現在の心理学同様です。

私は頭を真っ白にして何も考えない状態になれます。
そうすると自らが存在するそれだけのことに喜びを感じ、心の中が愛で満たされていることを感じます。この状態では意識はあくまで頭が真っ白の無の状態で、あふれてくる感情全てが無意識の領域からのメッセージです。

余談になりますが無意識の領域では意識、すなわちあなた自身を現実を通して間接的にしか理解できないで、無意識の領域では意識(人間性)の本質に触れることが至難の業です。これは無意識世界の住人に支えられているあなた自身にも言えることで本来は「意識」「主観的存在」などを探すのが自分探しのまっとうなアプローチです。
    • good
    • 0

続き



だから、夢睡眠の間はわざわざ運動が阻止される。一方、その他の身体機能はフル回転する。脈は上がり、呼吸量は増え、眼球は動き、脳内の酸素代謝は目覚めているときと同じぐらい活性化する。
もし夢が、特異な新しいシミュレーションの試行だとすれば、それは意識があるのに〈私〉が外に追いやられている状況の一例だろう。人は夢を見ているときには、体を動かして行動できないし、〈私〉が夢に影響を及ぼすこともできない。それでも意識がある。ユーザーのいないユーザーイリュージョンだ。反対に、夢遊病者は、イリュージョンを抱いていないユーザーと言える。夢遊病者として行動するが、本人には行動しているという意識がない。
ユーザーイリュージョンという言葉の持つ柔軟な可能性を、更に発展させれば、催眠術は別のユーザーがいるイリュージョン、瞑想はユーザーもイリュージョンもない状態と言うこともできるだろう。
    • good
    • 0

世界を直に体験したら……



人が世界を直に体験することができたら、どうなるのだろうか?まず始めにシミュレーションするのでないとしたら。体験を消化し、その消化された体験が、体験されたデータと同時に起こったかのように示されるための0.5秒を必要としないとしたら。

<省略>

ハンスリーはメスカリンによる幻覚状態で物を目にする度に「これこそ、本物の物の見方だ」という言葉を繰り返した。その体験によって、本書で言う「情報を処分した結果としての意識」について、彼は次のような見解に達した。
「自分の体験を振り返ると、高名なケンブリッジの哲学者C?D?ブロード博士と意見が一致する。すなわち、次のような意見だ。『記憶と感覚知覚に関しては、フランスの哲学者アンリ?ベルクソンが提起した種類の理論は、これまで軽視されがちだったが、もっとずっと真剣に考えるのが賢明だろう。そうした理論は、脳と神経系と感覚器官の機能が、主に排除であって創出ではないことを示唆している。人は誰もが間断なく、自分に起こったことを全て記憶し、宇宙のあらゆる場所で起こるあらゆることを知覚できる。脳と神経系の機能は、殆どが無用で的外れの大量の知識に圧倒され、混乱させられたりしないよう、私達を守ることである。さもなければ、膨大な量の事柄を常に知覚し、記憶しなくてはならなくなる。そのようなものの大部分を締め出し、実際に役に立ちそうな、極少量の特別なものだけを選りすぐって残すことで、脳と神経系は私達を守っている」このような説によると、私達一人一人は、潜在的に〈普遍精神〉である。だが、私達が生物である以上、何としても生き延びることが務めだ。生物的生存を可能にするため、〈普遍精神〉は脳と神経系の狭い減量バルブ
を通さなくてはならない。バルブの先から出てくるのは、極わずかな意識の滴であり、その助けを借りて、私達は他ならぬこの地球という惑星の表面で生き続けるのである」
しかし、このような体験は麻薬常習者だけのものではない。アメリカ哲学者チャールズ?サンダーズ?パースは、20世紀に誕生した概念の多くを19世紀末に予測した人物だが、世界を直に知覚することを、〈個性原理〉の観点から語っている。デンマークのパース研究家で物理学者ペーデル?ヴェートマン?クリスティアンセンは、〈個性原理〉を次のように説明している。「それは、対象を直接、強烈に体験することだ。言葉は、あたかも赤熱状態の金属板の上に落ちる一滴の水のように、消えうせてしまう。私達は、指を差して『それ』と言うことしかできない」
クリスティアンセンは、人類学者カルロス?カスタネダが著した、南アメリカの呪術師ドン?ファンとその教えに関する一連の有名な著書の一節を引用して、パースの視点を解説している。「『ちょっと考えてみろ』と彼は言った。『世界は自らを直接、私達に委ねているのではない。世界と私達の間には、世界についての説明が介在する。だから本当は、私達は常に一歩離れた所にいるのであり、私達の経験する世界というのは、いつもその体験の回想だ。私達は絶えず、たった今過ぎたばかりの瞬間を思い出している。万事は回想、回想、回想だ』」
アメリカ心理学者ロジャー?シェパードが有名な実験を思いついたのは、25年前のある朝、目覚める直前のことだった。シェパードの目の前に、幾つかの絵が浮かんだ。彼はそれをコンピュータ画面上に再現した。レゴで作りかけた模型のように、小さなブロックが単純な形に繋っている単純な絵だった。1971年、シェパードは同僚ジャクリーン?メッツラーと共に、そのような物体の絵に関する研究を『サイエンス』誌に発表した。被験者達は、前述のような構造物の絵を一対ずつ比べるように指示された。被験者が見せられる絵に描かれている二組のブロックは、回転させてあるため、一見したところ同一ではない。その後、被験者は、それぞれの組のブロックが同じ構造のものかどうかを訊かれた。
面白いのは、回答にかかる時間だった。ブロックの回転の度合いが大きいほど、両者が同じものなのか、それとも、例えば一方が他方を鏡に映した構造なのか見極めるのに、余計な時間がかかった。
結論は、二つの物体を比較しなくてはならないとき、人間は実際に頭中でその物体を回転させる。つまり、回転をイメージする。目で見て経験したイメージは、想像上の回転によって、頭中で巧みに操作し、扱うことができる。
人は単に見ているのではなく、シミュレーションしている。比較できるようにモデルを作っているのだ。「ジャクリーン?メッツラーと共に行なった、想像上の回転に関する最初の実際のアイデアは……半醒半睡状態(目覚め)のときに、三次元の物体が空間をおごそかに回転する動的なイメージとい形で湧いてきた」と、シェパードは著書『心の目』に書いている。彼は、それを思いついたのが目覚める直前だったのは偶然ではない、と考えている。「瞑想しているとき、物思いに耽っているとき、夢を見ているとき、意識による管理がないときに、最高の頭脳労働がなされることがあると、多くの科学者や独創的な思想家が認めている」
それにしても、夢というのは、ユーザーイリュージョンやシミュレーションとの関係で考えた場合、どういう現象なのだろうか?一つ頭に浮かぶのは次のようなことだ。人は夢を見ているとき、シミュレーションをしているようなものではないか?何かを視覚化し、そこにある繋りを理解する。しかし、体験している最中は、このシミュレーションを使わない。夢を見ている状態のとき、いわゆるレム睡眠のとき、私達は手足の自由を奪われている。動きを制御する脳の運動野が抑制されているからだ。夢睡眠は、ユーザーイリュージョンがいないのに大量の錯覚(イリュージョン)がある状態だ。夢睡眠の機能が殆ど説明されていない事実を考えると、夢を一種のシミュレーションの実験場だと言っても的外れではない。
脳は、新しい結びつきを試したり、新しい記憶と経験を統合したりすることで、自分が行う現実のシミュレーションをテストする。しかし、とんでもない可能性を試すには、そのシミュレーションが実際に使われないことが前提条件となる。
    • good
    • 0

こんにちは。



>自分の無意識の領域を認識するにはどのような方法があるでしょうか。

心の動きといいますのは、
「知覚入力―中枢処理―結果出力」
という神経系の情報伝達によって作られています。
我々が「意識行動」を行う場合は、この知覚入力以下のプロセスがリアルタイムで自覚されています。これに対しまして、「無意識行動」といいますのはこのような神経系の情報伝達が行われ、何らかの結果が選択されているにも拘わらず、その原因やプロセスが本人に自覚されていないということです。従いまして、自覚・認識の伴うものであるならば、それは無意識行動ではありません。
では、我々がこれを認識するためには、選択された行動や反応の結果を基にプロセスを振り返り、その原因や理由をあとから推測する以外に手段はありません。これが唯一の方法です。何故ならば、無意識行動といいますのは、その反省・追認が可能になったときには、既に結果は出てしまっているからです。
「中枢処理」といいますのは知覚入力に対する価値判断を行うことによって結果を選択することです。そして、我々の脳内で「無意識の領域」とは、原因やプロセスの自覚が成されなくとも結果を出力することのできる中枢機能を指します。ですから、上記のように無意識行動の結果を分析するならば、自分の無意識の領域にはどのような価値判断規準が獲得されているかを見付け出すこともできます。
無意識行動といいますのは原因が自覚されていないのですから、結果を予測するというのは原理的に不可能です。ですが、その都度の結果を分析することによって、無意識の領域にどのような反応規準が獲得されているのかが知れれば、どのような原因に対してはどのような反応が発生するかを事前に把握しておくことができます。これは無意識反応の構造を知るということであり、無意識の領域を覗き見るというのはこのようなことだと思います。
言ってしまえば行動分析や性格判断ですが、特にこのようなものに限らず、そのとき自分がどうしてそんな行動を選択したのか、あるいは自分はいったいどのような性格なのかといったようなことは、我々はほとんどこれによって学んでいます。そして、これ以外に手段はありません。
無意識行動といいますのは、気付いたときには終わっているんです。そして、気付かなければ記憶にも残りません。ですから、無意識の構造を知るためには、両親や友達の忠告を聞くというのもまた大切なことだと思います。

>睡眠中の夢は、無意識が出所だと聞いたことがあるけども

そうですね。
夢というのは睡眠中に発生する記憶情報の想起であります。そして、無意識といいますのは反応の原因やプロセスが本人に自覚されていない状態です。
我々が起きているときは、その記憶情報が入力された知覚情報に基づいて想起されたものであるという自覚が可能です。ですが、夢といいますのは知覚の閉ざされた状態、あるいは原因の自覚できない状態で発生する記憶情報の想起です。従いまして、夢とは明らかに本人の自覚を伴わない「無意識の結果選択」ということになります。但し、それが記憶に残り、思い出せるということは、取りも直さず一度は大脳皮質の意識に上っているということですから、夢そのものは無意識現象ではありません。
夢判断といいますのは、この無意識の選択に対し、どのような原因でどのような反応規準が用いられたのかを調べるということです。ですから、これもまた無意識の領域の探索に他なりません。ですが、これによってその夢の原因である無意識の反応規準を特定するということは、基本的にはできません。
例えば、試験のことが気になっていたために試験の夢を見てしまったということでありますならば、状況を考慮する限り、そこには明らかな因果関係があります。ですが、見るのが試験の夢と決まっているわけではありません。試験に不安を抱きなら床に就いたら、試験の夢ではなく、何か怖い夢を見てしまったということもあるわけです。このように、仮に見た夢の原因が無意識領域の反応であったとしましても、我々の脳内ではそれに対してどのような記憶情報が対応するのかが決まっているわけではありません。従いまして、夢として想起された記憶情報からその原因を特定するということは基本的にできないということになります。ですから、夢判断というのは状況の分析や、多くのひとに共通する統計学的手法に基づいて行われるものであると思います。
このように、夢判断もまた無意識の領域の探索ではありますが、あまり科学的なものではありません。では、「トラウマ(心的外傷)」というのは無意識の病的な反応ですが、この原因を突き止める精神分析医の手法というのは科学的なのかと言いますならば決してそうでもなく、それは一切の近道のない、雲を掴むような地道な作業なのだそうです。やはり、如何なる手段を用いましても、無意識の領域を覗き見るというのは、それほど簡単なことではないのだと思います。
    • good
    • 0

文字通り「無」意識(unconsciousness)ですから、無意識を認識(be conscious)することは矛盾し不可能です。

後であれが無意識だったと認識できますが。

無意識の領域とは、主観と客体が未分化の原始的な世界です。わかりやすく言えば本能の世界ですよ。無意識の塊ともいえる赤ちゃんは、動く物・音が出る物に自然と目が行く、これは無意識の行動です。あなたが(男性ならば)、美しい女性に目を奪われる、これも無意識の領域でしょう。

人間には4つの窓があります。「自分で認識でき、他人も認識できる自分」「自分は認識できないが、他人は認識している自分」「自分は認識できるが、他人は認識できない自分」「自分は認識できないが、他人も認識できない自分」(「シャッフルの窓」と呼ばれています)つまり、自分には認識できていなくても他人が認識できている場合もあります。その場合は他人にあなたの「無意識」を客観的に判断してもらうことも可能です。

また意識は無意識の中に融合することもあります。芸術家が最初は直感から始めた創作活動が、ある時から意識が液化して無意識の中に流れ込み、無我の境地の創造性を身体領域にもたらすことが起こります。それから考えると、夢もまた、現存する意識が無意識の中に融合し、創造的なメッセージを送っている現象だと解釈することもできます。

いずれにせよ、芸術創造も夢も感情を抜きにしては起こりえない現象です。この感情こそ、捉えどころのない本能、理性では認識できない無意識の体験ではないでしょうか。そして、本当の感情を知ること、自己の無意識の内面を見つめることは幸せに生きる知恵だと思います。その方法は、よく言われるセラピー・心理療法などで内的経験をすることですが、無意識(感情)を模索しようとすることは、誰でもできることだと思います。

無を知ること、それは謙虚になることだと私は思っております。ご質問の本題と逸れたかもしれませんね。
    • good
    • 0

認識するためには意識が不可欠ですから、認識できた段階でそれは「無意識」とは言えなくなるでしょう。



しかし、「無意識の影響と思われるもの」「無意識だったもの」は認識できるかもしれません。
夢は抑圧されていた(意識されていなかった)無意識が、意識の束縛が緩む睡眠時を狙って自己主張をするもので、そこには無意識が現れていると考える人たちが夢判断という手法でそれを解明しようとします。
根拠が無いと否定する人もいますが、否定する根拠もまた無いというのが現状のようです。

人間の脳が自分自身に関係のないことを夢に見る道理はないので、夢は無意識の顕現であると私も思っています。
しかし、睡眠中においても意識が全くなくなっているわけではありませんから、無意識が素のままで現れることは殆どありません。
意識による規制(抑制)をすり抜けるために、あらゆる歪曲がなされた上で夢として登場します。
そのために夢判断(夢分析)が必要になるわけですが、基本的には「連想」と「象徴」が鍵になります。
ただ、連想は人それぞれの特質によって異なりますから、詳しい個人情報がないと夢分析はできません。
象徴は、過去の例において殆どの人に共通の関係性が証明された帰納的結果ですから、一般的な適用が可能だろうと思います。
また、夢占いにある興味本位の象徴とは区別する必要があります。 
 
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!