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なぜ風邪や頭痛などにaが必要なのでしょうか?
a cold
a head ache

A 回答 (16件中1~10件)

 こっそりの伝言です。

工業調査会の「技術英語を書く動詞辞典」の資料(327頁)をのぞいてみてください。大きな本屋なら、たぶんあるのでしょうから、立ち読みしてみてください。そこに、次のような文章があるはずです。

A.1 数えられる(countable)名詞と数えられない(uncountable)名詞
まず,使おうとする名詞がcountable (加算)かuncountable (不加算)かに注意する
必要がある。 waterやairのように意味から判断してただちに不加算であると判断で
きる場合もあるが,日本語で想像するだけでは困難なことが多い。そのうえ状況に
よって,数えられたり数えられなくなったりするものがある。さらに,辞書によっ
て意見が分かれていることもある。
加算・不加算の問題は高校で深くは学習できないこともあり,大学入学試験にも
それほど出題の対象とはされていない。ところが,英語を書く段階では,この知識
が必要である。これが決して容易でない。ここでは,加算・不加算に聞する法則と
例外,そして科学技術の部門の事例を挙げることにしよう。

(1)加算名詞(Countable nouns)
英語として,一定の形や限界があって,数えられるものを表す名詞。普通名詞
と大部分の集合名詞がこれに属し,辞書には回のマークで表示されている。加算
名詞には次の特徴がある。
(1) 単数・複数の区別がある:a desk. desks;a foot, feet
(2) 単数には不定冠詞(a,an)がつく:a computer, an operator
(3) 数詞がつけられる:two motors. three red lamps, ten little springs
(4) 複数には不定数詞(many, few, more, fewerなど)がつけられる:fewer
applicants, few papers(極めて少ない論文あるいは新聞,ここではpaperは論文ある
いは新聞のことで加算名詞)

(2)不加算名詞(Uncountable nouns)
英語として個数で数えることができないものを表す名詞。固有名詞,物質名詞,
抽象名詞,および一部の集合名詞がこれに属し,辞書には皿のマークで示されて
いる。不加算名詞には次の特徴がある。
(1) 原則的には複数にしない:water (水), smoke (煙)
〈注〉ただし本来複数の不加算名詞がある。
学問・技術mathematics, physics, electronics, mechanics, dynamics

 難しそうな文が並んでいますが、Uncountable nounsの訳語を見てください。ほら、「可算語でなく、『加算』という語が・・・これが、30年以上も英語を教えてきたという人の文です・・・だから、いわゆる英語文法家の説明はあてにならない(?)となりそうです。これ以上非難されても困るので、この位で。
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この回答へのお礼

あ!それうちの親戚のおっさんです!
と言うのは嘘です!
誤字は多分ワープロが使えないから誰か
に頼んでこうなったのではないでしょう
か…私などは短いメールでも誤字脱字だ
らけなので、ズルイと思われるかも知れ
ないけど、人のことはちっと黙っときま
すネ。
それにしてもアレですね、日本で英語の
勉強するときは、翻訳の勉強も同時にし
なきゃならないので大変だという事に、
いまごろ気付きました!
失礼しました。
ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/02 17:32

 質問を締め切る前に、最後の補足質問をしたいという連絡がありましたので、こっちも最後の回答を投稿させていただきます。

またまた、哲学の話ですが、冠詞の使い分けにつながるものなので、我慢して、寝ころぶ形でも聞いていただけばとおもいます。

 まず、質問者自身が、世界に2人とはいない、同じような人間(たとえば、クローン人間)はいない、という意味で、『独自的存在者』なのです。日本に住んでは、なかなか気づきにくいものですが、どんなことがあっても、かならず、この事実を忘れないようにして欲しいのです。

 ですから、質問者の見るもの、さわるもの、感じたことは、かならず、質問者自身の感覚として、認識されます。そういう意味で、他人の感覚とは違った(異なった)感覚であるといえます。ですから、他人の感覚とは違った感想を持たれてもやむをえないと、自信(?)をもってください。

 さて、このことを覚えていただいた上で、次の場面を思い浮かべてください。

 質問者は、家に来た友人たちのために、カレーを作り上げていた。いくつかの友人は、カレーを食べて、「これって、辛くない?」という感想をいうはずです。しかし、別の友人は、「そう? あまり辛くない気もするけれど。。。」という。

 このように、それぞれの感想を述べるのに、「an」を使って、友人たちの自分の感想を述べていると考えるのです。しかし、そのカレーを食べていくうちに、「ううう、苦しい。。。」と嘔吐して倒れた友人が出た。しかも、別の友人も同じような症状が出た。

 すわ! 事件か? と警察の手が入る。そうなると、当然ながら、現場に残ったカレー、カレーの残った皿が取り残される。ばらばらにあるカレー皿であるにもかかわらず、それをまとめて「一つの証拠」として残す必要がある。

 そのような「証拠」には、「the」をつけて表す必要がある。刑事にしてみれば、調べた現場の全てを指す意味での「統合を示すthe」を使って言い表しているわけです。

 しかし、カレー研究者にしてみれば、自分の知っているカレーだけ調べればいいというものではありません。誰も食ったことがないような、新製品としてのカレーを作り出す必要があります。つまり、経験済みのカレーではない、つかみ所がないような、新しいカレーを作り出す必要があると考えたとき、「冠詞をつけない」言い方をするわけです。

 ですから、インターネットで、「インフル」に関する文献を調べるとき、書いた人はどういう人なのか? ただの一般人の投稿した文なのか? その場限りの感想なのかを見極める必要があります。でないと、いろいろな「冠詞」が現れているように、みえて、表面的な現象に惑わされてしまう・・・

 免疫学者にしてみれば、「宇宙から戻ってきたロケットに付いていたウィルスという、あり得ないような、将来には出るかも知れない、新しいウィルスなど」のことまで考えないといけないわけで、そのような学問記事には、冠詞のつかない語を使うわけです。

 いいかえれば、冠詞のついた語はもう、「手垢の付いた」語であるといえましょうか。みんなの知っている事柄には、もう手垢が十分なくらいに(?)ついているといえましょうか?

 ですから、「冠詞」の使い分けは、おのおのの感覚によって、使い分けられ、けっして、文法書のルールに従って、つけているわけではないのです。「これは、普通名詞だから、冠詞をつけなければならない」と文法書の説明を気にしながらにつけるのは、どうみても、おかしな事です。英語国民にしてみれば、「すでに知っていることなのか? それともまだ、知らぬ事情なのか?」と感覚的に使い分けているのです。

 それが、わからない(?)人には、「でたらめ、at random」に使われているように見えてしまう・・・意見はそれぞれ異なるのが当たり前とあれば、「冠詞」も異なるのは当然であるのに、英語文法学者はそのへんがわからない(?)・・・

 質問者は、ロシア語も冠詞がないことを知っていましたか? 「イワンの馬鹿」という本を読まれたことがあるのでしょうか? そのロシアも日本のように、農業を中心にした国であった。農業というのは、もくもくと働くことが大事なことであり、各々の意見(感想)jは不必要という作業です。だから、個人の意見を意味する「冠詞」は生まれなかったと考えてみたらどうでしょうか。こんなことを書くと、また、文法学者から非難が来そうですが・・・

 だから、みんなと同じように生活する必要があった(?)日本だから、やはり、「冠詞」も生まれなかったと。なお、ラテン語にも「冠詞」がなかったのは、当時のローマ帝国がエジプトを含む膨大な土地を支配していた以上、個人の感覚を問う必要がなかった(不必要である)と感じられたから、「冠詞」を必要としなかったとしたら?

 なお、アラビア語は、定冠詞のみです。ちょうど、ギリシャ語のように。。。アラビア語の定冠詞は、「al-」です。ですから、アラビアに関する記事には、「アル」の付いた語がやたらに出るわけです。なお、アラーは、「定冠詞の Al + lah」で、英語風に言えば、「the God」という意味になりますね。

 イスラム教にとっては、「みんなもご存じである『神』」という感じですね。このように、「冠詞」は個人の感覚を示すものなのです。ですから、「英語の出来る(たとえば、英語文法家のような)人」でなく、「英語の心のわかる(生きた言葉を使う)人」になってほしい、と願いながらに、この投稿を最後として投稿させていただくものです。
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この回答へのお礼

えー!もうこれで最後の投稿ですかー!
どうなるか分かりませんが、まだ締切らずにおいときます!
それでは、06miyachanさんからの、こちらえの投稿は今日の
ところは、これで最後と言うことで…いろいろと、どうもあ
りがとうございました!
 「自信」の点に付きましてはご心配なく、私の場合「自分は
自分、人は人」という感覚でおりまして、たいしたことないの
に妙な自信を持っておりまして、なんと申しますか自分に酔っ
てるという感じでしょうか…
 カレーの話はちょっとコワイけどよく解りました。
ラテン語、ロシア語、アラビア語は全く分かりませんが、
タイ語なら少しは分かります。タイ語にも冠詞はないと思
いますが、日本語と同じように「ペンは一本」「くすりは
一錠」などという具合です。
 話は逸れますが、いま英語の勉強もしておりますが、タイ
語もやっておりまして、ちょっと前までは広東語もやってお
りました!(日本語の勉強もやっております!)いろいろな
知人友人ができましたが、だれも日本語の勉強しませんから
私が、それぞれの言語を勉強してます…
やっぱり現地語で話せるとイイです!
 「なぜ a が必要なのでしょか?」という質問で、ちょっと引っ
張り過ぎた感はありますが、まだまだクローズしませんから、
たとえば1ヶ月後とかにでも何かございましたら、どうかお書き
込みくださいネ。
皆様のご指南に感謝しております。
どうもありがとうございました。
もしご無礼がございましたら失礼しました。

お礼日時:2007/04/01 17:11

 補足質問がありましたので、ふたたび投稿させていただきます。

まず、日本の英語教育が駄目なのは、哲学を教えないからだ、と考えています。こう書くと、妙なことを言うなあ、と思われそうですが、事実そうなのです。ここで言う「哲学」とは、英語国民のバックボーンを支える思想です。

 バックボーンを英語に直すと、「backbone=背骨:人間として一貫して持っているべき考え・信念。気骨」であることがわかります。表面的な事象だけ取り上げて、もっともらしく説明する文法学者はだめと考えるべきなんです。英語教師でもない私がこう言うと、いわゆる専門家から非難が来そうですが、そもそも、「この名詞は、uncountable nounだから、『冠詞はつけられない』」という自体がおかしいなことです。なぜか?

 話がそれましたが、英語国民のバックボーンを支える思想は、「経験主義」です。すなわち、自分の体、自分の感覚を通じて得た知識を中心に据えるという思想です。これに対して、日本人は、他人の説明を中心にして行動する民族です。

 この「経験」に2種の「経験」があることを知っていましたか? 例えば、質問者がジェットコースターに乗って、コースを一周するとします。ジェットコースターが動き出すと、登り坂、下り坂などのコースをそのつどに「経験(1)」するわけです。しかし、ジェットコースターがあんまり早すぎて、その景色などを味わう暇がない、ただ、怖さを「経験(1)」するだけ。しかし、やっと、ゴールに着く。そのときに初めて、コース全体の面白さ、怖さを「経験(2)」するはずです。

 つまり、「経験(1)」とは、その時点ごとの経験であって、全体の経験ではないことに気をつけて欲しいのです。コース全体を知るためには、ゴールについて、改めて「経験(2)」する必要があります。

 ですから、同じ「経験」でも中身(質)が違っているわけです。見ていた友人から、「どうだった? コースの感想は?」と聞かれて、「下り坂へ向かうところが一番怖かった」とその時点での感想を述べるときは、「an」を使って述べるわけです。そのレジャーを済ませて、家へ帰ってふたたび「今日はどうだった?」と聞かれたとき、自分の(全体)の経験を述べる形で、「the」をつけて説明するわけです。

 このように、自分の経験を「区切る」ことが出来るものなら、「冠詞」をつけて説明するのです。しかし、友人から「宇宙って、果てがあるかしら? ずっと飛び続けていたら宇宙の壁というか、限界に達すると思う?」と聞かれたときは、その「限界」を経験したわけではないために、その話題には、「冠詞をつけようがない」という形で「uncountable noun」という形にします。「つけない」のでなく、「つけようがない」というのが本来の姿です。それが、文法学者はもったいつけて(?)『つけない』というから、生徒は「そうですか? と押し頂く形でおぼえるしかない」とおもってしまう。。。

 ですから、冠詞のつかない「flu」があったら、それは、まだ見ぬ、新型のような、正体がわからない、将来出るかも知れないインフルエンザをまとめて、まあ、学者の言葉に多いはずですが、そういった言葉と考えてください。

 「the」のつく「flu」は、ニュースなどで聞きかじったような、それをまとめたような、周りの人も知っているような、つまり、自分の感覚で知り得るような「インフル」であると考えてください。とにかく、自分の感覚で捉え得る対象に対しては、「冠詞」をつけ、「宇宙の果て」といった、自分の感覚で知り得ないようなものに対しては、「冠詞」をつけない(というより、つけようがない)と考えてください。

 質問者自身の感覚を信用してください。仮に間違っていても、「俺は、ネイティブスピーカーじゃないもん。間違ったとしてもべつに意味が伝わらないわけがない」と。とにかく、次の文を見て欲しいのです。

a) Rain is collected and used for drinking water on this island.
(この島では雨水をためて飲料水にしている。)

b) I crunched the ice in my mouth.
(氷をかみ砕いた。)

c) I wonder if there really is a God.
 (神様は本当にいるのかしら。)

a)の「water」に「冠詞」がつかないのは、どこからどこまで「水」なのか? 認識できないためです。ちょうど、「空気」に切れ目を見つけることができないから、「uncountable noun」としているのです。あくまでも、英語国民の感覚から言っているのです。なのに、文法学者は、偉そうに「この語には、冠詞をつけません。」とのたまう。。。

 b)「water」は数えられない名詞とされていますが、単に、「つかめない、分けられない、区切りが見えないだけ」です。その(同じ)水が「氷」という形で、「持てる、さわれる、溶かして分ける」などが出来るために、「冠詞」がついているわけです。

 c)普通の感覚では、「God」は自分の生まれる前から存在し、自分の亡くなった後にも存在し続けるような存在者であるとおもうはずです。ちょうど、宇宙のように、永久に存在し続けるような対象です。しかし、そのような曖昧な(抽象的な)神でなく、英語国民の子供のように、「ママのように、やさしく、困ったときに助けてくれるような、区切りのある、具体的な人」と考えたとき、「a God」のように、使うのです。

 ですから、文法書のように、「固有名詞」とか「抽象名詞」とか分類するのは、あくまでも説明のための説明に過ぎないことがわかってきます。ですから、他のサイトの英語の説明を読んで、またまた悩む(?)のは、精神衛生の上でよろしくないか、と思いますが。。。

 とにかく、英語国民の思想を学ぶ意味で、日本の英語教育界は哲学を教えるべきですが、どうも、日本では、私のように(?)嫌われるようです。。。
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この回答へのお礼

興味深いご意見ありがとうございます。
恐縮しております。
きょうは(いつも)なんだか、だるくてボーッとしておりまして、こちらのご指南もそのままボーッと読んでしまったて、そのままお返事を書くのは申し訳無いのですが…(このページはコンピュータに保存しましたので、また後で何度も読みます。)
「つまり同じ事態に遭遇しても認識や発想に差があるというように理解しました。」
しかしこればっかりは、現地に長く滞在して、現地の方々と交流して経験を積むしかないような気もするのですが…
たしかに私は日本人なので、現地人のように流暢にしゃべれなくても、まあいいやとも思いますが!、ときどきテレビに出てくる日本語を喋る外国人の日本語を聴くと、すごい流暢な人もいれば片言の人もいまして、片言というだけで、なんだか言ってることの信憑性まで無くなってしまうよな感じを私は受けてしまうんですよ…だから私も英語喋るときはちゃんと喋りたいと思ってるわけなんですヨ。
やっぱりちゃんと英語ができるようになりたいんですよ、やっぱりそのほうが、楽しいし得じゃないですか!
*日本の英語教育ですが、私ももっといい方法があるんじゃないかと思います。
ところで、例のBBCの記事ですが、ちょっと意地悪な実験をしてみました。
記事をコピーしてワープロに貼付け、文法チェックをかけてみました!
そのままでは、OKだったので、わざとtheとかaを書きこんで再び文法チェックしてみましたが、OKでした。(OpenOffice)
きっとBBCでも記事を投稿する前に、何らかの方法で文法のチェックをするはずですが、やっぱり特別はソフトを使うのでしょうねー。(もしそうなら、その元となるデータベースがどこかにある訳ですよね、また新たな疑問がー!)
失礼しました
(ところで質問を締め切らなければどうなってしまうのでしょか、やっぱりマズイでしょうか)

お礼日時:2007/03/31 18:01

 今日は病気の話をしましょうね。

「風邪」と「インフルエンザ」とは、似たような病気かも知れないけれど、英語国民にとっては、「風邪」とは、自分の不摂生から来た病であると、感じられてきたんですね。

 たとえば、暖かくなったからと言って、薄着したり、汗をかいたにもかかわらず、そのまま体を冷やしたために、後になって、寒気を感じ、発熱を伴って、むやみに鼻水・くしゃみ・せきが出たり、のどが痛くなったりして、初めて病気になったことを感じるわけですね。

 つまり、自分の体の不具合を感じた、「一個の症状」であると感じたからこそ、具体的な病気であると感じられたから、「I have got a bad cold. (ひどいかぜをひいた)」と、「a」を付けるのですね。

 引き初め(風邪の)を感じたら、「catch a cold (かぜをひく)」という表現も悪くないと思いますね。ここでの「catch」の意味は、「捕まえる」というより、「タッチする、巻き込まれた」と言うべきですね。

 なのに、「インフルエンザ」は、「ウィルス」のせいで病気になるわけで、自分としては、別に不摂生をした覚えがないのに、気分が悪くなって、初めて「あの、悪名高い病気」にやられたのか、と「the」を使って、「自分の経験、経緯」といったものを示すのですね。このように、英語を学ぶことは、英語国民の心(世界観)を学ぶ事なんです。それは、見えないもなので、英語国民と生活の場で、知り合う(学ぶ)しかないんです。

 このように、「冠詞」とは、英語国民の気持ちなのです。だから、外国人にはわかりにくいわけです。逆に日本人から、「んだよ」とか、「なのね」と言われて、あわてて国語辞典を引いてもないから、「いったい、どういう意味なんだ」と困り果てるように。。。
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この回答へのお礼

06miyachanさん、こんにちは!
ご意見ありがとうございます!
(なんか、掲示板みたいになってきました。エヘエヘ)
皆様のおかげで私も、ちっとづつですが解ってきた感じです!
ところが!
こんなのありですか!
BBCのサイトでfluで検索した結果なのですが、これら検索結果にリンクされているページを読んでまたまた、(coldとfluの冠詞について)大混乱状態に逆戻り!です!私はどうしたらいいのでしょうか?
http://search.bbc.co.uk/cgi-bin/search/results.p …
注:検索してみようとした理由は、「風邪もインフルエンザも原因はウイルスですけど、日本ではインフルエンザが流行るとニュースで、そのインフルエンザのウイルスの細かな種類が報道されますよね、そういうことからもthe fluでいいのかな」と思いつき、「それじゃBBCでもinfluenza virusの型が報道されているのかな?」と検索してみました。するといっぱい出てきてまだほとんど読んでいませんが、「ちょっと見てみるとaとtheの使い分けがされていて、それが複雑に思えて困った」となっています…
また、ちゃんと、ゆっくり読んでみるつもりでいます。
*それとfluやinfuenzaは比較的新しい単語なのでしょか?
「06miyachanさん、よろしくお願いします!」(冗談ですよ!でも、よろしければ、またお願いしますネ!)
頼り甲斐のある方々に頼りっきりな自分で情けないと思っておりますが、よろしければ、なんとかしてください、頼みます。
失礼しました

お礼日時:2007/03/31 09:54

アメリカに38年半住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

なぜaが必要なのか。

catch a cold, have a coldと言う感じですね。 

一番簡単で、ネイティブがこの表現をするときに何を感じているか、と言うフィーリングからの説明をしますね。

まず、日本人が日本語の表現の「理由」を考えずに、人が言うから、今までそういう言い方をされてきたのを聞いているから、と言う立派な理由で表現するように、ネイティブも同じく、人が言うから、今までそういう言い方をされてきたのを聞いているから、と言う理由なのです。 

でもなぜか、この一番自然な「理由」では理解した、理解できる、学問的ではない、などと言う事から満足してくれませんね。 残念な事だと思います。

Thank you!と言われて、なんで俺が俺に感謝しなくてはならないんだよ、命令文じゃんか、と言う日本人はいませんね。 そして素直に、これって「サンキュウ!」なんだ、と覚えてしまいますね。

でも、新しく習おうとする事に対して「そのまま覚えてしまえ」と言う勉強方法は何か質の低いことをしている、と感じてしまいますね。

ですから、何とか理由立てをしないと勉強した気にならない、釈然としない気持ちが残る、と言う事になってしまうわけです。

では、覚えやすい「こじつけ理由」を書いてみますね。 

風邪とは7-10日で直ってしまう、それが「一塊」の風邪、その一塊の風邪だから不定冠詞であり「一つ」を示すaを持ってくる。 二つの風邪を一緒にはもてない、だからいつもa cold.

どうですか、これなら分かりやすく安心してcatch/have A coldと言えるようになりませんか?

それとも、文法的に、不定冠詞にはcoldが風邪という意味で使われる場合にも使われる、と言う説明はどうでしょうか。

辞書的に、coldと言う単語を風邪と言う意味で使うときには不定冠詞をつけるという英語のルールがある、はどうでしょうか。 これも文法的ですね。

要は、風邪を引いた、と誰かに言いたいときにはcatch/have a coldと言う表現を使うのです。

しかし、catch coldと言う一塊の表現で、風邪を引く、と言う意味合いでも使われるのです。

と書いて、もう一つ日本語では全然問題としないのになぜ英語の表現となると「表現に説明」を求めるのか、と言う英語教育自体の洗脳的問題点があるのです。

風邪を被る、風邪に罹る、と言う表現だとまだ医学的に分かりますね。 しかし、なぜ、風邪は「引くもの」なのですか、と言う質問にどう答えますか? (答えてください、と言う事ではなく、なぜ、と言う疑問は浮かばないですね、と言う事です) 風邪は引くけどインフルエンザは引かないですね。 catch the fluですね。 今度は定冠詞です。 ニュースで話題になりやすいから、そのインフルエンザに、と言う事ですね。 

でも、誰も、風邪やインフルエンザを「持つ」と言う表現はなんとなく理解できますね。 しかし、catch 捕まえる? 欲しくもないものは捕まえないですよね。 でも、英語ではcatchと言う表現をするわけです。

と言う事で、今回のご質問で「なぜ」と言う疑問が、似た表現や表現事態を考えると疑問が更に広がってしまいますね。

この非常に一般的な表現、英語を使うなら誰でも知らなくてはならない表現を身につける必要があるときに、

ま、いいか、そういうんだから、

と満足いかないかもしれない理解も、英語力を効率よく身につける「効果的な勉強方法」には必要なのではないでしょうか。

もっと、学術的な説明を多分求めていたのではないかと思いますが、私にはこのくらいの理解(こじつけ方法も含めて)で十分なのではないだろうかと思いましたので書かせていただきました。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

おもしろい!パチパチパチ!
けっしてからかっているわけではありません!
感謝しております!
私もこれまで、「大多数の人が使っているから、その言い回しが上手く通じるから、などなど」「実用本位」で「言語は慣れだ」をモットーに10年以上勉強してまいりました。(やりかたは、フレーズと立場、状況の丸暗記みたいな感じです。)
そのために文法については全くダメです…(日本語使うときに文法など考えもしませんし、通じるからま~いいかと…しかし私の場合、日本語も危うい…)
楽に速く英語を身につけたいものですから、やみくもにじたばたやっております!
貴重なご意見ありがとうございます!

お礼日時:2007/03/30 12:39

 別に補足回答を求めたわけでもないのに、また、回答が来たとあきれないかどうかと心配していますが、「あきれたお節介屋だな」と許してください。

では、質問者の悩みは一言で言えば、「そんな無意味な区別に悩むのはお止めなさい。」と言うことです。

 こんな事を書くと、英文法学者から非難されそうですが、そもそも、用語から間違っているのです。普通「uncountable noun」といえば、「不可算語(名詞)」という訳があてがわれていますが、実は、「不可区別語(名詞)」とすべきです。まさか、と思われそうですが、現実の英文に当たっていくと、そう考えないとわからない、となるのです。

 説明を進める前に、英語国民の心(世界観)を確かめておきましょう。英語国民にとっては、「具体的なものは、見て区別できるもの、さわって持てるもの、自分の体を通じて、一個の経験を持てるものでなければならない」という世界観です。そうでなければ、それは、「抽象的なもの」として区別するのです。

 では、次の語「earth」を例にとって説明しましょうね。

 たとえば、質問者がヨーロッパへ旅行するとします。列車旅行なんかいいですね。フランスからドイツへ行くとき、果たして、「国境」を見ることが出来ますか? おそらく、出来ないでしょうね。せいぜい、パスポートの提示を求められたときに初めて、別の国へ渡ると知るはずです。どんなに、目をこらしても、地面の区別を認識できないはずです。

 これに対して、ロケットに乗って、宇宙から「地球」を見たとき、月とは違った惑星であることがわかります。このように、見て区別できるのであれば、具体的なものとして、認識できるのです。ここで、「a earth」と間違えて「a」をつけてはいけません。そうしたら、別の地球があることになってしまいます。だから、「地面」を意味するときは、単に「earth」のみとし、区別できるもの「地球:the earth」と冠詞を付けるわけです。

 別の例では、「water」は「数えられないもの」と考えられていますが、実際の英文に当たると、大西洋、太平洋、インド洋と区別できるのであれば、「wateres:水域」と複数化にすることが出来ます。別の語では、「ash:灰」は物質名詞だから、数えられないものと考えられているようですが、亡くなった人を荼毘にして、のこった灰を「遺灰:ashes」にすることは知っていましたか?

 さて、質問者のリストに載っていた語を例にすると、

 「data」に冠詞がつかないのは当然で、もともとラテン語の複数形だからです。本来の単数形は、「datum」です。これは、英語の「date」に相通じるものです。なぜ、「日付」が「データー」になったかというと、昔の人にとっては、いつ頃が種をまく時期なのか? 川の水が増えるのはいつごろなのか? いつ氾濫の季節になるのか? とそれぞれの日付を知る(記録する)事が大事なことでした。

 その記録を集めたのが「data:データー、記録」というわけです。だから、表面だけ見て、これは、「uncountable noun」だから、冠詞を付けないというのは順から言えば、おかしなことです。

 また、「inforamtion」は、普通「情報」と訳されますが、これも正しくありません。この語は、名詞でなく、「動名詞」なのです。「-ion」という接尾辞は、ラテン語での「動名詞」を着くもので、名詞であり、また動詞でもあるという語なのです。ですから、ここでは、「知らせるもの」と訳すべきなのです。

 これだけでは、わかりにくいかも知れませんが、子供が熱を出したとします。これは、「熱を出した、すなわち、病気であることを知らせるものである。しかし、どういう理由で、病気になったのかはわからない。」という理由で、先に挙げた英語国民の気持ちから言えば、「熱が出たのはわかるが、どういう原因で、どういう理由で発熱したのかわからない」という抽象的な理由で、冠詞を付けられないわけです。ただの切り傷のような、見てわかるものなら、冠詞を付けるわけです。

 似たような語では、「advice」も、以上に挙げた理由で、説明できます。意外に思われるかも知れませんが、これもラテン語から来た語です。なにしろ、英語の半分がラテン語などの外来語です。ちょうど、日本語がカタカナだらけであるように。。。意味をみると、「忠告,助言,勧告,アドバイス;(医師の)診察,診断」などです。

 いったい、他人からの助言は普通、一部しかわからないことが多いものです。あんまり回答が多すぎて、どの回答を信じるべきなのかわからないように、区切ることが出来ない、具体的なものとして、理解できないから、冠詞を付けないわけです。

 とにかく、今の質問者のすべきことは、文法書の説明に悩むことでなく、実際の本にどんどん当たることです。どんな本でもいいが、英語版の「赤毛のアン」といった本を「漢文の素読」よろしく全部覚えるつもりで読むことです。では、がんばってください。いつか、英語の出来る質問者に出会えることを望みながらに、この投稿を終わらせていただきます。
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この回答へのお礼

06miyachanさん、どうもありがとうございます!
こちらは、恐縮していると同時に皆様の投稿を読むことが、楽しみになってしまいました。「教えて!goo」が、あるのは以前から知っていましたが、利用し始めたのはごく最近で、使い方もまだちゃんと判らないのですが、おもしろいので読みまくっています。
06miyachanさんのブログとかホームページがあれば、教えてください。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/29 13:41

冠詞について詳しく書かれている本をお探しだと察しました。

以下の本を読まれてみてはいかがでしょうか。

わかりやすい英語冠詞講義
http://www.amazon.co.jp/dp/4469244759/
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この回答へのお礼

書評を見たところ、コレはいけそうです!
さっそく読んでみます!
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/29 00:52

>下記の比較的よく使う名詞もuncountable noun だとありますが、もっとあるんじゃないか?countable noun とuncountable nounを簡単に区別する方法は、ないのか?と考え込んでしまっている状況です…



information をはじめ、情報をあらわす名詞は一般に不可算です。また、その種類全体を現す場合も当然ほかに同じようなものはないことになるので不可算。

可算の意味は、一つ二つとその個数がわかる、つまり、一つという単位が区別できることと、同じようなものが二つ以上あるということです。

自分が言ったのは、ほぼ同じ意味で可算と不可算がある場合、日常語が可算と意識されるはずだということです。ちょうど、ache と pain のように。
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この回答へのお礼

こんな私に何度もご指南していただき、感謝しております!
まだ、解決の糸口も掴めない状況なのですが、ちょっと時間を置いて、皆様の回答を読みなおしてみます…
すみません…
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/28 18:14

 質問がまだ締め切られていないようなので、補足回答の意味で再度投稿させていただくものです。

昨日は疑問に答える形で、「an」の意味だけ説明しましたが、「the」の用法も触れないと片手落ちになるのではないか、とお節介と思われるのを覚悟の上で、説明させて欲しいのです。

 話を分かり易くするために、日本語の話から進めていきましょう。たとえば、質問者が病気で医院へ行くとします。医室へ入って、「頭が痛くて、熱もあるような気が・・・」と全部言い終わらない前に、医師から「ああ、風邪だね」と言われたらどんな気がするのでしょうか?

 普通なら、むっとするのではないでしょうか? しかし、立場を変えて、医者は、過去の診断も含めて多くの風邪患者を診てきたので、心の中で、「またか、同じ風邪だろう」と考えたから、「だ」を使って発言したわけです。

 さて、この「だ(da)」の音(おん)に耳を澄ませて欲しいのです。なにか似ていませんか? そう、英語の「the」です。どっちも、「ザー」です。日本語も、英語も「過去の事実、経験」を含んだ断定には、「the」を使っているのです。ずっと大昔の人類は、まだ大陸が一つだった時代には、同じ音(おん)を使って意思疎通していた可能性があるのです。

 その大陸が五大大陸に分かれてしまったために、そこにすんでいる人たちも、お互いに別々の言葉を作り上げた。しかし、のどの構造まで変わったわけではないので、同じ音(おん)を古い記憶に残したまま、英語と日本語とはまったくの正反対に見える言葉を作り上げたと・・・。

 話がそれましたが、医者の言葉にむっとした理由は、患者にしてみれば、「別の可能性」もあるんじゃないかという期待を裏切られた為ということです。ですから、「an」とは、「他の可能性もありうる」言い方をしたいときに使われると思ってください。

 質問者は、そっけなく、「a cold」と文法書から拾ってきた(?)言い方をしていらっしゃいますが、実際には、「重い風邪、中程の風邪、軽い風邪」と区別して言うのが普通であるように、「a + 区別を意味する形容詞+名詞」という言い方をし、次のように言います。

 I took a bad cold. (ひどいかぜにかかった。)
 I took a chest cold. (せきの出るかぜにかかった。)
 I took a head cold. (鼻かぜにかかった。)

 おなじ風邪でも、色々な種類があることがわかります。これにたいして、「da」は、話し合いで、「んだ!」、「そのとおりだべ」と他の意見を聞き入れない、断定な響きがあることがわかってきます。

 なお、「an」の意味には、日本語の「でもね」というように、他の可能性があるという響きがあるので、次のような言い方も出てくるわけです。

● How about another drink? (もう一杯いかがですか。)

 「another」という語に「an」が含まれていることに気をつけてください。これが、「the」だと、決まった飲み物となり、他の飲み物では駄目だ、という言い方になります。別の言い方では、

● Any questions? (さあ、他に質問はないかしらね。)

 ですから、日本語で、「ね?」と感じられたら、「an」を使い、日本語で、「んだ!」と言うところ(状況)だな、と思ったら、「the」を使うようにすれば、使い方での混乱はないと思うのです。

 念のために、もう少し詳しく書くと、

他にもありそうな、別の可能性もありそうな言い方に対しては、「an」をつかい、それのみ、それだけ、と言うときには、「the」を使うということです。ここで、注意したいことは、冠詞を使うときは、常に、話し手の現在の気持ち(状況)を述べるのみと。冠詞のない名詞は、「God, air, waterなど」の素っ気ないものと感じられるものだけと。

 とにかく、英語の音(おん)にも、耳を十分活用して、英語の気持ち(響き)をつかんでください。では、お互いにがんばっていきましょう。
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この回答へのお礼

ご指南していただき、ありがとうございます。
時間をさいていただことに恐縮しております。
ところが、こちらは未だにスッキリしない状態なのです…
スミマセン…、でもがんばりますよ!
少し時間を置いて、それぞれの投稿を何度も読み返してみようと思っています。
こちらで参考にしている本Grammar in use(Cambridge)によりますと、下記の比較的よく使う名詞もuncountable noun だとありますが、もっとあるんじゃないか?countable noun とuncountable nounを簡単に区別する方法は、ないのか?と考え込んでしまっている状況です…
advice
baggage
behavior
chaos
bread
furniture
information
luggage
news
permission
progress
senery
traffic
travel
trouble
weather
work

お礼日時:2007/03/28 12:55

aが付くものは、一種ありふれていて、そこらじゅうにしょっちゅうあるものという感覚があると思います。

そういう意味で、日常語にa のつくものが多いはずです。sicknessなどにa が付くことはあまりなく、ache に a がつくのは、この感覚が働いているからだと思います。
または、a blue moon のように、本来は一つ、一定のものが一時的に変化したその一つの状態を示すのだと思います。
変化という意味で新発見という感覚もあります。

反対にthe が付くものは、基本的に話者とその聞き手が暗黙のうちに設定した場、つまり、たとえば、家庭内での会話で「ケンは台所にいる。」というのは、「その家庭内」という場が設定されていて、その場(「その家庭内」)では「台所」は一つしかないということを互いに分かっていて、「ああ、あの台所ね。」とイメージできるのでtheがつくという感覚ではないでしょうか。
ある意味、the が付くものは、変化しないという感覚があります。つまり、それだけイメージが固まっていて、いろいろな変化形がない。
みんなが知っているという意味で、the がつくこともありますが、これとありふれているとは違います。有名なのとありふれているのが違うのと同じです。the flu (インフルエンザ)のようにthe がつくのは、みんなが知っているからで、ありふれているからではありません。インフルエンザがありふれていたら、大変なことになってしまいます。
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この回答へのお礼

なかなか興味深いご意見を ありがとうございます。
何か判りやすい規則などがあればいいのですが、ときどき例外などもありまして、苦労しております。
みなさまに、いろいろと説明していただき恐縮しておりますが、説明していただいたことが、パッと理解できない私にも問題アリだとはうすうす気付いております…
とにかく、ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/28 01:37

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