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4月から二流私大の修士課程に通います。
表面上はいいことをかいてありましたが、専門のこま数が
圧倒的に少なく、生徒数も少ないです。
『自分で勉強をするものだ』などと夢心地の意見もありますが
だまされた悔しさでいっぱいです。
どの世界に勉強は自分でするといって東大ではなく、二流の
大学に入る人間がいるでしょうか?

いまさら、他の大学院を受けたり仮面をすることはできません。
そこで修士の2年は今の大学にお世話になり、博士課程、あるいは
もう一回修士課程を国立大学で過ごす予定です。

二流の修士から国立の博士に変わった人、どのように準備をしたか
アドバイスをください。

A 回答 (8件)

いったい、質問したいんですか、愚痴りたいんですか?


アドバイスに対して
「どうも恵まれている方の
高みからの意見(要するに東大・京大卒業者)のような
印象を受けています。」と反発しか出来ないようでは、どうにも見込みは無いといわざるを得ません。

大学院は、「授業料を払って自由に研究できる時間を買うところ」です。旧帝大の院だってそれほどすごい授業があるわけではありません。学生が自力で教科書を読む輪講形式の授業が過半数でしたし、研究テーマと直結する講義なんて1つか二つでしたし。

問題は、指導教員です。いい先生にめぐり合えれば、博士課程に進めるだけの研究成果を修士の2年間で挙げることが出来るでしょう。
二流大学は先生の質も低いと思われるかもしれませんが、いい先生も少しは居るものです。うまく探してください。他大学の博士課程への進学の後押しだってしてくれますよ。
博士課程の入学試験はほぼ修士の研究と博士課程での研究計画の審査です。最近、旧帝大の大学院でも博士課程の定員はあまり気味ですし、ちゃんと研究さえしていれば、そっちへ進学することはできるでしょう。

あとはあなたの能力次第です。
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> どの世界に勉強は自分でするといって東大ではなく、二流の


大学に入る人間がいるでしょうか?

では自分で勉強できない学者がどの世界にいるのでしょう。

あなたの出身学部というか専攻はどこなのでしょう。
あなたは研究をしたことがありませんね。

大学の講義を聴いてそのレポートを書けば会社の仕事になって給料が貰えるわけではないのと同様に、
大学の講義を聴いてそのレポートを書いたところで研究になるわけではありません。
ぼんくら大学だろうが東大だろうがそこは変わらないでしょう。

もし、講義を受けたい、つまり勉強したいということなら、学部の授業を受けることになると思います。
研究しようが講義を受けようが、それはあなたが学費を払ってやっていることですので、誰にも止める権利はありません。ご自由にどうぞ。
ただ、講義をいくら受けたところで論文は書けません。
だって、講義をしている人が既に知っていることならそれは講義をしている人(学者ですから)が既に論文にしていることですから。
そんな物をいくらまとめたところで盗作にしかなりません。
勿論、大学の講義が仕事上のヒントになるよりちょっとだけ研究の役に立つかも知れませんが。
でも、大学院レベルになると、やることが細分化され過ぎていて、講義を聴いても隣の家の細かい話にしか聞こえないこともあります。

あなたが講義レベルのことをしなければその専門の基礎が不十分だというのなら、基本的に進学は失敗です。
それはbe動詞も知らない者がFランクとはいえ大学に行くのと同じ事です。
普通は、専門の基礎なんて当然知っているものとして研究活動が始まると思いますよ。(あなたが東大京大に行っていたらえらいことでした...)
失敗なら失敗だと思って挽回するよう頑張ってください。

まずは黙って研究活動を体験してください。
勿論、明らかに基礎力不足な点は学部の講義などで補っても良いと思います。
基本的に、学部はインプット。院はアウトプットです。
院生のインプットは自分ですることです。
まして、学者になるなんて言う人なら東大生以上にできて当然です。
研究していくうちに他人の論文の内容を調べたりして割と自然にできると思います。

なおひょっとすると、東大京大では勉強など学生が勝手にやることですので、講義はあっても手抜きかも知れません。
学生から目を離せない二流私立の方が、教員は手を抜けないのでそういう習慣になっていることもよくあるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今日は8様にまとめて御礼差し上げます。
私は、東大京大を羨ましいと思う反面、ここで皆様の意見を
集積して参考にしたいと考えています。
やはり、皆様は同様の方が多いのでしょうか。厳しい中にも
正論をおっしゃっているとおもいます。
今の世の中は「厳しいながらも正論」を言わない世の中であるため
悪くなっているのだと思います。ごまかし、おふざけ、先送りの
国民気質が格差社会、社会不安を生んでいると考えています。
無謀な太平洋戦争を開始したときから国民性はかわっていないと思います。「A級戦犯?天皇が悪い?いや、戦争をとめなかった国民世論、
つまりあんたらが悪いんだよ。」

私は、学者になっても、目指す過程でも正論を追及し、周りにも
真摯に正論を追求することを求めて生きたいです。

今後もよろしくお願いします。

お礼日時:2007/03/29 08:45

私はむしろ授業が少ないほうが研究時間を取られないので嬉しかったです。



とりあえず、大学が変わった場合、修士の成果を博士論文の中には入れることはできませんので、
3年間で大きな結果を出すという覚悟で頑張って下さい。
たとえ、しょぼい雑誌に量産して数を揃えてもその先やっていけませんので。
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他の方の回答にもあるように、大学院は授業を通して何かを教わるところではありません。

また、大学の内部だけに縛られるものでもありません。学会や研究会などを通して、自分が発表する機会も、他人の研究に触れる機会もたくさんあります。発表すれば、他大学の人からコメントをもらえます。

大学院レベルでの研究はオリジナリティが問われます。これは、もちろん基礎学力(受験勉強などを通して身につけたもの)も重要ですが、かならずしも「優等生」だからといって、すぐれた研究能力があるわけではありません。一流大学の大学院の学生でも、オリジナリティのある研究ができない人もたくさんいますし、反対に二流大学でも、優れた研究をしている人もいます。

質問者さんに学問的センスがあれば、論文を投稿したり、学会で発表したり、研究会に出席して積極的に発言したときに、必ずそれに注目する人が出てきます。研究はそのようにして磨かれるものです。また、研究成果を公表していくことによって、認められていくものです。授業数とか、大学に騙されたとか、そういう問題ではないと思います。
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この回答へのお礼

NO5様に代表して御礼さしあげます。
ご指摘はわかるのですが、どうも恵まれている方の
高みからの意見(要するに東大・京大卒業者)のような
印象を受けています。
 とはいえ、私はまだ知らないことが多いのでもうしばらく
皆さんからの意見を頂きたく質問は残します。

お礼日時:2007/03/28 16:17

商学に関しては分かりませんが、一般論としてお答えします。



 > 専門のこま数が圧倒的に少なく、

授業は普通少ないですよね。授業といっても、勉強というよりは最新の研究トピックに関する雑談等がメインじゃないでしょうか?それとも『専門じゃない=一般教養?』の授業ばかりがあるという事でしょうか?後、自分の経験だと隔年開講が基本でしたので、その点はもう一度調べてみると良いかと思います。

 > 生徒数も少ないです。

『二流私大』の院に進む人自体が非常に限られていますから、コレばっかりはしょうがないというか、入学が決定した今の時点で『騙された』というのは、事前リサーチ不足だと思います。

博士課程まですすむとして将来何になりたいとかいうビジョンはお持ちでしょうか?それによってもアドバイスが変わってくると思います。少なくとも大学教員を目指すのか、目指すとしてFランク大でも良いのか、国公立の教員になりたいのか、あるいはシンクタンク等を狙うのかです。

国立へ行くと仰っていますが、その根拠となっている『授業の数』と『学生数』この二つははっきり言って修士・博士課程では何の意味も持たない事です。教授の指導を受けるのは別に授業じゃなくて、ミーティング等ですから、コマ数なんてどうだって良いと思います。自分の場合は授業時間は自分の研究時間が取られてしまうので苦痛でしかありませんでした。大学院はどこもそんなもんだと思います。

学生数にしたって、普通「ゼミに所属する人数が少ない方が良い」という理由で私立ではなく国公立を選ぶ人が多いのが現状です。貴方の通う予定の私立大学は院生は少ないかもしれませんが、教授一人が面倒を見る卒論生の数はどうでしょう?多分、すごい数居るのではないでしょうか?この数が多いほど、学生・院生一人当たりの指導を受けられる時間が少ないのです。「私立で学生が少ない」というのは、すこしピント外れに思えます。

確かに、『自分で勉強をするものだ』なんていうのは夢見心地の意見だと思いますが、『授業数が多くなければ指導を受けられない』というのもまた夢見心地な考えだと思います。大学院はコマ数には数えられないミーティングや論文の輪講などが重要で、授業は『自分の専門以外にも視野を広げよう!』ぐらいの意味しか無いと思います。

この質問で騙されたと質問者様が言っている事は、大学院だったらどこでも同じ事です。むしろ学生数に関しては、現状とまったく逆の事を仰っている気さえします。

と、回答じゃない事をつらつら書いて申し訳ありません。質問の回答としては、4月から通うところの指導教授に国立大の教授を紹介してもらえば良いと思います。間違っても、指導教授に相談無しに、別の大学へ転出しようなどとは考えないでください。今後、その分野で研究していく場合、後々面倒な事になる可能性があります。同じ分野の教員というのは大学の垣根を越えて、仲が良かったり、悪かったりしますから・・・。
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私は3流私立(学部)から国立(修士)へ行ったので、直接的な話はできませんが…(しかも、私は生物学系ですし…)



博士課程で研究室を移る場合、まずは「何を研究したいか」を明確にして、修士の間にある程度の結論のめぼしをつけておく必要があると思います。その一方で、学会にも積極的に参加して「どの先生の下につきたいか」をはっきりさせて、その先生に「受け入れ予定があるかどうか」を確認し、「自分は今、こういう研究をしている。先生のところのあの方法を組み込んだら、面白い研究になりそうなのでアドバイスを下さい」など、アプローチした方が良いと思います。出来るだけ、修士の間から研究に関するアドバイスを貰うなりして、あらかじめ移動しやすい環境を整えておく方が良いと思います。
博士課程で行くのであれば、極力、受け入れ先の修士の卒業条件は満たしていた方が良いと思います。(でないと、入ってから苦労しますし。)

大した学生がいないのであれば、指導教官を独占して積極的に使ってください。「先生、こういうことをしたいのですが、良い本はありませんか?」「ここ、わからないので教えてください」など。聞けば教えてくれると思いますし。

あとは、博士課程の入試の概要を把握して対策を。
修士課程であれば、受け入れ予定がある場合、入試の成績と熱意のアピールで乗り切れるのですが…
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専攻を補足してください。


修士に進むことが普通の理系とそうでない文系とでどえらく違う可能性が大ですし、文系でも修士進学が比較的盛んなところと、博士号など普通出されないような所では違うでしょう。
当然二流私立大学修士卒の扱いも、専攻によって感じが変わる可能性は大です。
理系でも、デスクワーク中心の研究と、フィールドワーク中心の研究と、実験系では違うかも知れません。

大学の3年生や4年生のときに、それなりの研究活動をきちんとやってきたのでしょうか?
院生の生活と講義のコマ数と何の関係があるのか全く理解できません。しかし、これは私の専攻ではそうだったというだけかも知れませんので専攻の補足を。
院生が少なければ、講義が隔年であるようなことはありそうだと思いますし。つまり、2年分の学生を集めて講義しないと人が少なすぎるとか。

ま、まず補足を。
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この回答へのお礼

専攻は、ストレートにはかけませんが商学系ということで
お願いします。
実は、学部とは異なるのです。
社会人の間に独学で勉強し、合格しました。
講義は隔年ということはないでしょう。

お礼日時:2007/03/28 09:38

直接の回答ではありません。



どこの大学だって、修士課程では講義なんてほとんどありません。大学院は教わるところではなく、自分で研究するためのものです。

私は東大の修士でしたが、まともに講義を聞いたのは2科目、いずれも違う学部の教授の授業で、興味本位で取りました。自分の学科(正式には専攻)の教授・助教授は授業なんてありませんでした(形式的にはあったんでしょうが、講義を聞いた記憶はない)。

博士課程を目指されるのは結構ですが、希望する教授が受け入れて下さるかどうかです。takatoyo さんが3年間で学位が取れるかどうかの見込みにかかります。とれそうもなかったら指導を断るでしょう。

理系だったら、学位を授与される条件として、専門学会の論文誌に論文が少なくとも1報が採録(採録決定を含む)され、さらに補強論文(査読付き国際会議の論文など)が必要です。学会誌の論文審査は1年近くかかりますし、条件付き採録だったらさらに半年は必要です。テーマ決定に1年、研究に1年、学会誌論文執筆に1年、審査待ち1年、学位論文執筆1年なんて悠長なことをやっていたら3年で学位が取れないことは明らかです。多くの博士課程の学生は修士のうちに学位論文の目星をつけて進学します。
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この回答へのお礼

>博士課程を目指されるのは結構ですが、希望する教授が受け入れて下さるかどうかです。takatoyo さんが3年間で学位が取れるかどうかの見込みにかかります。とれそうもなかったら指導を断るでしょう。

ですから、修士の2年間が勝負になるのです。
しかし、周りに生徒もたいしていない中でその準備をすることは可能でしょうか?可能であると信じて努力するしかないのですが。

お礼日時:2007/03/28 09:40

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