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こんにちは・みなさん はじめまして。

私は今年ちょうど20歳になった、イギリスに住んでいる女です。
私の父(イギリス人、母は日本人です)の都合で14歳のときにイギリスに移住しました。

今私が信仰している宗教は創価学会です。
父、母がどちらも私が生まれる前から創価学会員だったために、
私は生まれた瞬間から創価学会員になりました。
その後は、他の学会員から私は生まれてから学会員なので、
「ふくしの子、ふくし(福祉)」と呼ばれています。
もちろん、私自身、小さいころから、信仰熱心な母から創価学会の教えを学んでいるので、この宗教に対して険悪感など一切持たずに過ごしてきました。
イギリスに移り住んでからも、家から簡単に行ける範囲に創価学会の会館があります。(いわゆる、キリスト教でいう教会みたいなところ)

しかし、イギリスに来てから、イギリス人の彼ができました。
彼とは16歳にであって、もう4年付き合っています。
彼は私の宗教のことにとても理解を示しています。もちろん、彼を学会員にしようなどと思ってません。
彼を会館に連れて行ったこともあります。

逆に彼も私を教会に連れて行ったことがあります。

しかし、キリスト教の教会に私が行くと、なぜか創価学会の会館では味わえないような
心がとても優しくなる感じがするのです。落ち着いた気分に。
父はイギリス人ですので、教会に私が行くことにほとんど抵抗がないみたいなのですが、
信仰心の強い母は私が教会に行ったことを知ると、あまりいい顔はしません。

そんなときに、日本の有名な掲示板の2ちゃんねる、またはビデオサイトのYouTubeなどに創価学会のいろいろな集会や行動を見ていて、「オカルトみたい」や「ブレインウォッシュ…」と思うようになってしまいました。
この教えてGooでも、とあるトピックで、「なぜ池田大作さんが聖教新聞のみでいろいろな国の名誉教授などになるか?」というので
「それはお金を募金したりしているから」などと読み、余計に不振感を抱かずにはいられなくなってしまいました。
もちろん、インターネットのアーティクルを100%信じるべきではないのはわかっていますが…。

正直な話をすると、とてもキリスト教に興味があります。
創価学会でキリスト教の話をすると、煙たがられます…。他宗教を認めないんですよね。
それなのに、こちらのキリスト教徒たちは私が創価学会(仏教)と言っても全く気にしません。むしろ、友好的です。
そんな態度を見てきて、ちょっぴり考えてしまうのです。
ですが、そんなことを父、母に言ったら、家族関係までおかしくなってしまうのでは…とすごく不安になります。
父と母はすごく大好きですし、、、とても悩んでいます。

あと、実は、今まで20歳になりちゃんと大人になって、自分で物事を考えられるようになるまでは宗教のことなどは考えずに勉強だけを頑張ればいいよ、と彼に言われてきました。
そして、そのとおりにしてきました。
現在、私は20歳です。

どうしたらいいのでしょうか、、、?
もういったい何を信じたらいいのかがわかりません。

家庭や日常生活であまり日本語を使わないので
変な日本語かもしれません。ごめんなさい。
みなさんのアドバイス待ってます。

P.S. これは全くの余談なのですが、
イギリスでもイギリス人の創価学会の信者が毎日どんどん増えているようです。
去年、パイレーツ・オブ・カリビアンでジョニーと共演しているオーランド・ブルームというアクターも私の通っている会館で手続きをし、正式に学会員になりました。
これもブレイン・ウォッシュの成果なのでしょうか…。

A 回答 (17件中1~10件)

どなたも触れておられないようなので一つ。


「ふくし」は福祉ではなく“福子”ではありませんか?
2世・3世のような、生まれながらにして信心という“福”を得られた“子”。

こう書くと妙な表現になりますが、
そのまま神さまなり仏さまなりにおうかがいになってはいかがでしょうか。
「私はどこに招かれているのでしょうか?」と。
すっかりお任せのまる投げにしてしまっても良いと思います。
真剣な祈念であれば、神さまの選びなり仏さまのご縁なりが示されるはずです。

私自身、いろいろな宗派・教派に関心があったのですが、
最終的にはカトリックに落ち着きました。
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創価学会員です。



>キリスト教の教会に私が行くと、なぜか創価学会の会館では味わえないような心がとても優しくなる感じがするのです。

たしかにキリスト教は、愛に満ちていて、包み込まれるような温もり深い印象があります。知人の学会員が「キリスト教は、優しい。世界に広まった理由がよくわかる」とおっしゃってました。…マザーテレサやキング牧師といような優秀な偉人を生んでいます。しかし、キリスト教には「宿命転換」はありません。これに対して、創価学会(日蓮仏法)は、自分自身の可能性を切り開くことを教えます。自分の苦悩を自分自身で解決することを教えます。宇宙の根源のリズムにのって、強くなっていくことを教えます。チッポケに見える人間という存在に、はかりしれない価値と尊厳と可能性を教えたのが、日蓮仏法です。

>どうしたらいいのでしょうか、、、?

試してみてはどうでしょうか?
キリスト教は、「神様」を論じるけど、神様が実在することを証明できない。しかし、仏法はこの力を現実のうえで証明できます。
「祈りとして、叶わざるはなし」_なのだから、自分の今の願い、悩みを、ご本尊様に話してみてはどうですか?
題目をあげ続ければ必ず"満足する結果"が出ます。

イギリスの天文学者ホイル卿さんは、
「人間の"祈り"という行為の本質は、大宇宙に向かってメッセージを送り、その答えに耳をすませることだと思う」とおっしゃってました。
まさに、仏法の考え方と合致しています!
科学的にはまだ証明できてませんが、ご本尊さまにお題目をあげるということは、すべて大宇宙に届いて、その願いを叶えるために動きはじめる…というのが、この理論です。
もともと、学会では人間を「小宇宙」としています。小さな宇宙です。太陽も、銀河も、光も、すべて自分自身の胸にある!
題目をあげれば、すべてが輝くのです。生命に太陽がのぼるのです。
どんな悩みも乗り越えていける「生命力」と「知恵」と「福運」を発揮していけると、池田名誉会長が断言されてるのですから、
ここはご本尊様を信じて、今の悩みをぶつけてみることをお勧めします!!
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私は特定の宗教を信仰していませんが


初詣やクリスマスなどは普通にやる典型的な日本人です。
その不真面目な立場からアドバイスさせてもらえば
両方信仰すればいいと思います。

なぜどちらか一方を選ばなければならないのか私にはわかりません。
どちらの宗教にも良い部分、悪い部分があり
人によって納得できる部分、納得できない部分があるはずです。
そこを無理に納得する必要はないと思います。
単なるいいとこ取りですがそうやって新しく生まれた宗教も
あったと思います。

それに国際化の時代ですから世界三大宗教の
『キリスト教』『イスラム教』『仏教』について知っておくことは
悪くないと思います。
そうやってお母さんを説得してみてはいかがですか?

>日本では、こちらにいないので、フランスがカルト認定した、
>ということだけで創価学会=異常 となってしまうのでしょう。
これは違うと思いますよ。
そのことについて知ってるのは基本的に良くも悪くも
創価学会について興味のある人間だけです。
一般の人間はほとんど知りません。

まず日本ではオウム真理教の地下鉄サリン事件以来
新興宗教は怖いというイメージがあります。

さらに海外では無いでしょうが、日本では選挙のときに
異常なほどしつこく勧誘を行うことがあるんです。
そのことが多くの日本人にあまり良くない印象を与えています。

財務がどうとか、聖教新聞がどうとか一般人には
どうでもいいんです、内内だけでやってるなら。
ただそれが外に向くから煙たがられるんです。
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初めまして。

私は「元」学会婦人部員です。私も二世でいわゆる
「福子」でした。しかし、最近の学会組織についていけず、昨年退会
しました。
理由は・・・
仏教・ご本尊を基調とした団体であるにもかかわらず、昨今の異常な池田氏崇拝、聖教新聞の啓蒙数・選挙時の活動具合などで池田氏への忠誠心を
計り、地区などで数字を競わせる。
敵対関係にある日顕宗へのしつこいまでの罵詈雑言・中傷。
また、現在日本は選挙期間中ですが、私の地域では選挙の時はその他の
活動は殆ど中止です。今はちょうど小・中・高校生が卒業・新入学で
いつもなら未来部も会合がもたれますが今年は全くありません。
これが、宗教団体の活動でしょうか?まして後継者の育成よりも
選挙の方が大事なんて。

宗教とはそもそも安らぎを求めるものであっていいはず。
>キリスト教の教会に私が行くと、なぜか創価学会の会館では味わえないような心がとても優しくなる感じがするのです。落ち着いた気分に。

これが一番大事な部分だと思います。
あなたの心の平穏を第一に考えてほしいと思います。心の問題は、あれこれ考えすぎるとますます深みにはまってしまいますよ。焦らずゆっくり
考えてくださいね。









元々実母(バリ活動家)との仲が悪く、7年ほど音信普通
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 信仰とは、経験則や価値観など、自分のアイデンティティーをかけて構築する心理概念であります。

貴方が教会に於いて、味わったことのない安穏を感じたのならば、それが、原点となり、キリスト教に改信するべきだと思います。その信仰はたまたま、貴方の場合に、縁があったということでしょう。
 縁という概念も、仏教に由来します。しかし、貴方は、キリスト教への縁を信じ切れますか?
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こんにちは、私も学会員の福子です。



質問者様の投稿文と回答者の方々へのコメントをみて「二十一世紀への対話」を読んでみられては、と思いました。
イギリスの歴史家、アーノルドJトインビー博士と池田会長との対談集です。
現在、世界25ヶ国言語くらいに翻訳されていて、イギリスで出版されている英語版のタイトルは「Choose Life」のようです。
30年以上前にロンドンで行われた対談ですが、目次をみてわかりますように広範かつ普遍的なテーマについて
語られていますので、興味のあるテーマだけを拾って読むだけでも面白いと思います。

トインビー博士はキリスト教徒として生まれ育った博学な歴史家で、キリスト教のみならず、イスラム教、ヒンズー教など
への造詣も深く、宗教をテーマとする章では、生命は死後も存続するのかという生命観のちがいから展開される
神と仏の概念についての相違などが掘り下げて語られています。
それぞれの思想性についての相違や理解に役立つのではないかと思いました。

また同著については、各界の識者やトップが賛辞を述べています。(「池田大作の軌跡」潮出版 より)
「対談集を読みました。一人の『学ぶ者』として、会長を尊敬しています」(国連、ガリ事務総長。1993年12月)
「じっくり時間をかけて読みました。多くのことを学びました」(インド、ナラヤナン副大統領。1995年12月)
「対談集を読んで以来、お会いできる日を私は夢見てきました」(インドネシア、ワヒド前大統領。2002年4月)
「何回も読み返し、思索してきました。暗記している言葉もあります」(モンゴル、エンフバヤル首相。2003年11月)

このようなことも2ch的にいえば、ソースが層化とばっさり全否定されそうですが。

参考URL:http://ssn.cside.to/ikeda/toynbee/toynbee-index. …
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あなたの苦しみよくわかります


私も仏教徒ですからね
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いろいろな宗教について勉強しなおすようですね。


よい事だと思います。

キリストも仏教も道徳的かつ慈悲深き心・言葉・行動を目指す物と理解しています。

私自身は仏教の大元テーラワーダ仏教徒ですが、キリスト・大乗仏教ともに私の五感+心(六根)で直接認識理解できない点はあれど、学ぶ所も多々あります。

何教の何派の何がしを信仰する事を決める事だけが選択ではないと思います。

まづは道徳的・論理的なものだけを学び、六根の認識範囲内で実践・確認し、それらの範囲外の情報・知識は不確定情報としておいておくのも一つの方法でしょう。

一度テーラワーダ仏教のアビダルマやパーリ語で残された仏典などを一読すれば何かしらの助けになると思いますよ。

一通り学んだら反論・質問しても危険でない宗教の長老などにいろいろ疑問を投げかけてみればより物事を明確に見ることが出来るようになることでしょう。

~あなたに全ての支援がありますように~

参考URL:http://ameblo.jp/ariya-attangika-magga
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No.5です。

お礼をいただきまして、ありがとうございます。

>創価学会に入信されたさい、「胡散臭く」思えたようですが、
それなのになぜそれでも入会したのですか?

創価学会に入会した時、ではなくて、入会するきっかけで創価学会について友人より色々と話をされた際、そう感じました。

先ずは、自分のそれまでの人生において、代々受け継がれている「お寺」に関する宗教的事情がありましたし、神社、お地蔵様、お稲荷様など身の回りには色々なものがありました。それらは、極日常で何の疑問も持たず当たり前のように存在していましたし、逆にそういったものに対して、特別信仰心があったわけでもありませんでした。当時、オウムほどの振興団体もありませんでしたので、「宗教的危機感」や「宗教的知識」、「宗教の必要性」は全くありませんでした。ようするに、世間一般的な人間だったわけです。せいぜい、叔母が「霊波の光」に入ったとか、家の前のオバちゃんが「立正佼成会」だとかくらいです。

そこにいきなり「創価学会」があらわれた訳ですから、友人の話や行動を素直に捕らえる事はできませんでしたし、ある意味若かったせいもあり、「自分は何だって出来る」といった、人間として十分思い上がっていた時期でもありましたので、「お前らの言う宗教なんか、、、」とか「宗教活動をやるくらいなら他の事に専念する。」とか、「人の幸せを祈る前に、自分にはやりたい事ある」とか、まあ何かと忙しく動いていた時でもありました。

入信したきっかけも、友人があまりにもしつこいので、「入会すれば、少しは静かになるか。」「こいつが来なくなれば、少しは自由な時間が持てるようになるか。」と、言ったような理由で入会をしたのです。
だから当然、入信して御本尊をいただいても御安置もしなければ学会の会合にも行かないのです。題目なんぞ全く唱えたことはありませんでした。入会だけすれば良いと自分で思っていたからです。

その後、友人の勧めで聖教新聞を取るようになり、「人間革命」を読んだり、男子部での活動を経て、今に至ります。
私は、ある程度自分で納得しなければ、動かない人間なので、その間疑問に思うことは、人に聞いたり調べたりしました。
今後も、私の研鑽は続いていくでしょう。しかし、御本尊に対する絶対の確信も持ち合わせています。

長くなってしまいましたが、貴方が素敵な未来を築けますよう、日本の地より御題目をお送りしたいと思います。

それでは、また会う時まで、、、、。
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教会にぜひ行ってください。


環境が許さないのなら今でなくてもいいと思います。
ただ、この気持ちを忘れないで下さい。

あなたがここでどんな回答をもらおうと、親がなんと言おうと、あなたは、いつか必ず教会に行きます。どんな困難があったとしてもです。

あなたは気づいていませんが、これは、人生でもっとも大切な問題なのです。勉強も大切です。親といい関係を築くことも大切です。
でも、もっと大切なことがあるのです。そして、それは、親や勉強と利害が反するものではありません。

もしあなたが、人生で一番大切なものを知れば、あなたは、それと正しい関係に入っていれば、全てのものと正しい関係に入れるでしょう。
クリスチャンでないあなたにあえて、C.S.ルイスの表現を借りて言います。

「神とあなたの関係が正しければ、車輪のスポークと車輪のように、あなたが、中心にあるものと正しい関係にあれば、あなたは全てのスポークと正しい関係に自然になる」

ということです。

教会には答えがあるのです。
人々が2000年にもわたって、どんな迫害にも負けずに、守りたくなる、確かな真理があるのです。
12使徒のうち11人は迫害によって死にました。
彼らはイエスの教えを守ることによって何の利益もなかったし、命を捨てることになることもわかっていました。
でも、彼らはそれを守ることが命より大切だと確信していました。

私はクリスチャンなのでかなり一般の人には理解しにくい回答になったかもしれません。
が、私も人生の途中からクリスチャンになったものです。

ここには、間違いなく、私が人生で出会ったうちの最大の幸運といえるものがありました。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

他の方のお礼に書いているように、
今はキリスト教、創価学会の教えをもう一度勉強して、
そこで生まれる疑問を両親にぶつけてみようと思います。

私には、20年間付き合ってきた創価学会があるし、
私自身、すぐに変える、というのはとても困難なことです。
ですが、hhitujiさんの言うように、いつかクリスチャンになるのかな、
と考えますが、
今はまだ迷っているとき。ちゃんと勉強して、自分で本当に納得のいく教えに従おうと思います。

お礼日時:2007/04/01 02:11

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