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日本の航空隊の錬度について疑問があります。
具体的な時期を挙げれば、ハワイ作戦時とマリアナ沖海戦時です。

41年のハワイにて「開戦時は錬度が高かった」とよく言われますが、本当に高いものであったのでしょうか。
また44年のマリアナ沖海戦では「錬度が低く七面鳥の如く落とされた」といいますが、本当に錬度が低かったのでしょうか。

何故疑問に思ったかというと、「マリアナよりハワイの時の方が錬度が低い」という文章を見かけたからです。
またご存知の方いらしたら、両時期におけるの訓練等での総飛行時間(年数)もお願いします。

A 回答 (2件)

開戦時の飛行機隊は常用機は概ねABクラスで編成可能でした。


練度Aは暗夜の作戦行動可能
  Bは月明時の作戦行動可能
  Cは昼間作戦行動可能
  Dは要錬成
Aクラスになるには飛行学校卒業後2年9月程度掛かった様です。  

18年頃は「ろ号」、カビエン輸送等で空母飛行機隊は南東方面基地に
投入され半数を失う被害を受けています。
18年12月~19年2月にかけて主に練習航空隊卒業半月~3月程度の搭乗員を補充して部隊を再建しました。
飛行時間は入隊時で100~150時間程度で6月13日迄の訓練中の事故は約60機 殉職66名でした。
訓練途上の出撃であり、またタウイタウイで待機中の訓練が出来なかった為練度はかなり低かった様です。
更に使用機材の性能が米軍に対抗できなかった為、壊滅的被害を出す事になったのです。
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海軍航空隊の実戦参加は、1932年の上海事変からで、日中戦争でも航空戦の主戦力になり、1937年の時点で700機を配備していました。

1938年からは重慶・成都・昆明への長距離戦略爆撃を行なうなど、飛行経験では充分でしょう。1940年夏からは、新型戦闘機零戦も投入。戦爆連合による日本軍の長距離爆撃は、1941年秋まで続けられ、零戦の活躍もあり、中国空軍を壊滅させました。
飛行時間は個人差が大きいでしょう。長距離爆撃と基地防空では、時間が全然違いますし。

マリアナ沖海戦の直前段階で、日本の機動部隊はボルネオ付近にいました。タンカーが次々に沈められるので輸送ができず、良質の原油を産する地域の近くにいないといけなかったのです。ところが、出港すれば潜水艦にやられそうで空母を動かせず、まともに発着艦の訓練ができません。訓練をすれば死亡事故が続出。しかたなく小沢長官は、空母から発艦できればいい、帰りはマリアナ諸島の飛行場に、と命じます。
決戦時、日本はアウトレンジ攻撃を仕掛けますが、慣れぬ長距離飛行で敵を発見できず、燃料切れで墜落した機もかなりいたのではないでしょうか。
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