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江戸時代には上方や、東北からの輸送を船に頼っていた事は有名な話です。菱垣廻船・樽廻船などが活躍していましたが東京湾に入り、隅田川を遡ったそれらの船はどの辺りに停留し、小舟に荷を積み替えたのでしょうか?知っている方がいたらお答え下さい。それらの事が分かる文献などがございましたら、URLなどもお願いします。

A 回答 (3件)

江戸時代の弁財船は、18世紀以降は大型化し千石船とも呼ばれました。

菱垣廻船、樽廻船、北前船などの有名な廻船はすべて弁財船です。

一般的に、弁財船は沖合いの廻船停泊地にとめ、荷はそこから川舟に積み替えて各河岸へ運ばれました。その後、川舟は各船番所で積荷と乗客の検査を受けてから陸揚げとなります。また、この検査のため、生鮮品以外は夜間の通船は禁止されていました。

佃嶋沖などの隅田川河口と高輪沖が二大停泊地だったようです。これらの停泊地は眺めが壮観だったことから、多くの浮世絵に描かれています。
(江戸東京博物館発刊『大江戸八百八町』より)
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。とても詳しくお答えいただき、大変参考になりました。知りたっかったことを的をえてお答えいただきましたので助かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/04/02 17:15

yujirokiさんのおそらく言う辺りに以前住んでいた者です。


文献で調べた訳では御座いませんが、昔、社会科の先生に、押上、曳船などの地名はその由来だと聞いた記憶が御座いますのでその辺りではないかと思います。
30年ほど前の記憶で、適当に授業を受けていた頃の事なので、はっきり全て覚えてませんので参考まで。
あと、各区役所、行政機関などにはその土地の由来、歴史などの情報を教えてくれたり展示して有る所もありますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変参考になりました。押上や曳船等はまさにその名残でしょうね。そのあたりの機関にも問い合わせてみたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/02 17:12

これで有る程度分かります。



Yahoo古地図
http://map.yahoo.co.jp/kochizu/

それらしき名称が沢山ありますね。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。ご紹介頂いた地図、とても参考になりました。またよろしくおねがいします。

お礼日時:2007/04/02 17:08

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