十字軍の第四回遠征でローマ教皇インノケンティウス3世はなぜ怒ったのですか。
参考書に「ヴェネチア商人の誘導で、東ローマ帝国を襲いコンスタンティンノープルを攻撃してしまう。これに怒った、ときのローマ教皇インノケンティウス3世は、遠征軍全体を破門してしまう」とありました。(1)なぜ、インノケンティウス3世は、怒ったのですか。ローマ教皇権を東方に広めることになり、利益をもたらすのに、なぜ「怒った」のか、教えてください。
(2)教皇によって「破門」されるとどのような不利益をこうむるのか、おしえてください。
回答(2件)
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No.2ベストアンサー10pt
ヴェネツィアへ約束した船賃等を支払えず、その代わりにヴェネツィアの希望で十字軍が攻撃したザーラ市は、ハンガリー王の保護下にありました。
ハンガリーはカトリックなので、十字軍がカトリックの国を攻撃したことになります。怒って当然ですね。
No.1ベストアンサー20pt
違います。
怒ったのはコンスタンティンノープルを攻めた事ではなく、ツァラ市を奪い返すために攻撃した事です。第4次十字軍は最初はエジプトを攻撃する計画でしたが、ヴェネチア商人の圧力でツァラ市に変更させたのです。
エジプトは商人の大事な取引相手でしたし、十字軍は渡航や補給に必要な約束の資金を集める事が出来ず、矛先はあっさり変わってしまったのです。
もちろん、破門もきちんと想定してたヴェネチア商人ですから、今度はコンスタンティンノープルを攻撃させました(東からの攻めには強いが、西からの攻めには弱かったのです)。そこにあったキリストの聖遺物を持ち帰った事や敵対してたギリシア正教を追い出した事に、教皇は喜んで破門を解いたのです。
ちなみに、破門されるというのは人間扱いされない事ですから、キリスト教が浸透している社会では生きていけないという事になります。だから、「カノッサの屈辱」でハインリヒ3世が破門を解こうと頑張ったのも納得できるかと思います。でも、さすがに2回目の破門の時は、従わず逆に教皇グレゴリウス7世を廃位させたのですから、破門の効力はその時のパワーバランス次第だったようです。
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