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ある国が勢力を拡大するとしたら、同じ気候帯である東西方向への拡張がメインになるものでしょうか?
同じ気候帯なら農業などの生産もそう変化はないでしょうし征服後の統治も容易ですよね。
逆に南北方向への拡大(温帯→熱帯、温帯→寒帯など)は、生産様式が変化するために統治は難しくなり、あまり行われないように思うのですが、実際はどうでしょうか?

A 回答 (5件)

まず、他国or他民族を征服する時、似たような気候・地形の方が攻めやすい、っていうのは、常識で考えてもそうに決まっているので、ご質問の趣旨は、それが征服範囲を決める要因として重要だったかどうか、という事だろうと思います。

また、ご質問には「温帯→熱帯」といった例がありますが、元々人間にとって住みやすいのは温帯で、熱帯や冷帯・寒帯は住みにくく、温帯の人間がそこを征服するメリットがあまりありません。例えば、アレクサンダー大王は、方角としては北へ征服する事だってできたはずですが、実際には東に進んでいます。ちょっとやそっと北に行ってもどちらにしろ『冷帯』には辿り着きませんが、大きく気候が違うわけでもない北に進まなかったのは、東の豊かさに比べて北は征服するに足るものがなかったからでしょう。これは、モンゴルが、西と東(というか南と言うか)にしか行かなかったのと同じ事です。(モンゴルにとって、西は、人口は中国に比べれば希薄ですが、交易ルートとしての重要性は高く、人口が希薄で簡単に取れそうだから取った、というようなものではないです。)
いずれにせよ、No.3の方が言うように、相対的に貧しい地域から豊かな地域へ(モンゴルで言えば、南へ)の侵入はあっても、その逆は、本質的に防衛的なものを除けば、やる意味がないしょう。後述する、ヨーロッパ列強による植民地化は、基本的には「商品の販路としてや原材料の供給地として意味が出てきた」からやった訳で、もし歴史を通じての『法則』みたいなものを考えるのなら、『魅力と、征服する能力があれば、気候に関わらず征服する』って事じゃないでしょうか?
もうひとつ、『農業などの生産もそう変化はないでしょうし』というのは、大規模な移民を想定しての事ですか?もし、そうならそもそも歴史上、占領地の住民構成が大きく変わるほどの移民は、アメリカなどを除いたら滅多にありません。移民を想定しないのであれば、モンゴルの遊牧民が農業地域である中国を征服したように、また砂漠で誕生したイスラム勢力が、農業地域である地中海や小アジアを征服したように、更にヨーロッパ諸国の植民地化がそうであったように、主要な産業が変わっても、それが征服の障害にはあまりなりません。

というわけで、ここでは、もう少し狭い『気候の違い」について、過去の広い範囲の征服を古い順から考えてみます。

1.アレクサンダーの征服
インドまで行って部下の抵抗で帰ってきた事だけ見ると、気候が大きな障害になったような印象を抱きますが、実際には、(アレクサンダーの死後分裂したとはいえ)、エジプト・シリアなどにギリシャ系の国が150~200年ぐらい残ったし、この二つは同じ地中海性気候だと言うとしても、バクトリア(現在のアフガニスタンのあたり)まで考えると、気候がそれ程大きな決定要因ではなかった例、と考えた方がいいでしょう。

2.ローマ帝国
領土は地中海沿岸の農業地域にほぼ限られていましたから、気候が大きな要因にも思えます。ただし、地中海沿岸からはみ出した部分については後述します。

3.モンゴル帝国
現在の中国と朝鮮を除けば、大雑把に言えば砂漠or草原だから、気候が大きな要因に見えますね。遊牧か商業が主要産業です。

4.イスラム帝国
元々は砂漠で生まれましたが、地中海沿岸に広がりました。地理上の気候区分からすれば、これは「違う気候の地域を征服した」という方が自然でしょう。生産基盤(農業か遊牧か)にしろ、それに基づく人口密度にしろ、アラビア半島と地中海沿岸は全く違います。

5.ヨーロッパ列強の植民地化
スペイン&ポルトガルのアメリカ大陸の植民地化にしろ、イギリス・フランスのアフリカ・アジアの植民地化にしろ、気候の制限は、あったとしても結果にはほとんど影響していません。

という訳で、「それほど重要な要因とは言えないが、そういう要因は働いているはいるんだろう」ってぐらいじゃないでしょうか?

さて、ローマの「はみだした部分」ですが、今のフランス、スコットランド北部を除くイギリスは、ローマ帝国領となりました。ゲルマニアでの境界は概ねライン川です。さて、大西洋側でのローマ領内と領外の気候の違いと、同じ領内である地中海沿岸と大西洋沿岸の気候の違いはどちらが大きいでしょう?普通は、後者だといいますよね?そもそも、ライン川をまたぐ気候の違いが重要な用件であったら、ローマ帝国崩壊後ゲルマン人が今のフランスなどを征服できたのは何故でしょう?気候の違いを乗り越えたのでしょうか?ゲルマニアでの例は、『気候の問題じゃない』方の例だと思います。モンゴルの中国征服でも、華北でも華中でも重要な戦闘は主に攻城戦になりました。両方とも生産基盤は農業であって、モンゴルのように遊牧ではありません。華北が比較的簡単に征服できたのは、金が弱体していた事が大きいし、華中が手間取った原因の中に自然条件を求めるとしたら、『乾燥しているかしていないか』ではなく、『南船北馬』の言葉で象徴されるように、河が補給路だった事の方が大きいでしょう。

最初に申し上げたように、質問者のお考えどおり、気候の影響(地形といってもいいかも)は、征服戦争には明らかに影響はあると思います。しかし、それを一般化したり、『法則』のようなものを考えるのなら、歴史上の具体例の基本的なところを抑えてから、考えた方がいいと思います。でないと、都合のよいところだけをつまみぐいして、結論が出てしまいます。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
やはり貧富の差が拡大の要因としては大きそうですね。
気候が違えば農業・遊牧などの生産様式も異なり、社会構造や慣習も異なるので統治は難しいのではと考えました。
まぁ、私が考えたのは簡単なモデルですが、これから歴史上の事例を集めると、なかなか厳密な法則化は難しそうですね。ゆるく当てはまるくらいまで言えたら上出来かと思ってます。やっぱり南北方向に版図が長い大帝国は思いつかないですし。

お礼日時:2007/04/14 14:04

北から南方向もありますよ。



モンゴル軍は東西にも伸びましたが、南下もしたがっていたでしょう。そのため、万里の長城はこんな方向になってます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …

それと、大日本帝国も南進しました(^^;
こんな感じです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …
たとえば日本軍にはタイから上陸してマレー半島を南下してシンガポールまで行った作戦がありましたが、南国での戦いのために、亜熱帯気候である中国の海南島で演習をして、暑い気候での武器の使い勝手などを資料にまとめたそうです(と本で読んだ)。


北からさらに北へ・・・というのはあんまりないかもしれませんね。
メリットが少ない。
でもアイスランドは、ケルト人やバルカン半島のバイキングが渡って行ってできた国でした。元は無人だったと言われているようです。
バイキングにはノルウェー王国の勢力が及ばないところへ渡ったという都合があったのですが。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/nor …
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この回答へのお礼

大日本帝国の南進は石油目当てですね。
北から北へというのはあまりなさそうですね。食糧生産が厳しいですし。

お礼日時:2007/04/14 13:53

文明の発展は南に発祥して北に伝播、領土的には南側からは北は魅力的でない、従って文明を咀嚼した北の蛮族が南に侵攻して来る。


敢えて言えばそういった形の南北の動きが多く、同時期・同程度の文明間での戦争・交流は東西という事ではないでしょうか。

モンゴルの西進やロシアの東進、開拓アメリカの西進は人口過疎地区で抵抗が少ないという点で進んでいったのでしょう。

例外的なものとしては、南米大陸の南下征服がありますが、これは南半球ですから逆で当然ですね。
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この回答へのお礼

だいたいそういうパターンが多いですね。特に中国史は北から定期的に蛮族が侵入してくるイメージがあります。

お礼日時:2007/04/14 13:51

南北というより、基本的に気候が変わる地域への侵攻は、歴史上のどの大国も苦労しています。



ヨーロッパ出身でペルシャを征服したのはアレクサンダー大王のみで、後のローマ帝国は幾度となく遠征していますが、征服には成功していません。
地中海沿岸では無敵だったローマも、当時は大森林地帯だったゲルマンには最盛期だった頃もてこずっており、ついには彼らの民族移動によって滅亡してしまいます。

イスラムの幾つかの大帝国も、強かったのは基本的に砂漠か、それに順ずる気候の地域のみでした。

モンゴルの場合は、草原での戦いは非常に強かったですね。
乾燥地帯である中国北部から、西は東ヨーロッパに至るまでモンゴルの騎馬軍団が征服します。
しかし、揚子江沿岸で気候が異なる南宋の征服には非常に手間取りました。
南宋征服も、どちらかというと南宋が勝手に倒れたという感じが強いです。
ましてや、気候だけでなく苦手な海を渡らなければならない日本遠征は、当然勝てませんでした。


この法則は意外なことに、科学が進んだ現代でも当てはまります。
アメリカ本国とはまったく気候のことなるベトナムでは、アメリカ軍は大量の兵士や武器を投入したにも関わらず、軍事目的を達することができずに撤退せざるを得ませんでした。

湾岸戦争やイラク戦争の場合は、気候が異なる砂漠地帯での戦いですが、草原と砂漠では違いが少ないので、科学力でもって克服したと思われます。
ただし統治の方は、文明・文化・宗教・習慣が違いすぎることもあり、完全に失敗しているようです。
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この回答へのお礼

やっぱり気候というのは要因として大きいですよね。
ただそれを歴史法則化しようとすると、なかなか難しい。
ここらへんに歴史の面白さがあると個人的には思ってます。

お礼日時:2007/04/14 13:49

たぶん、アメリカのイメージが強いのでしょうね。



ウエスタンドリーム、ってかんじで。
アメリカの場合は新天地であって、あとは荒野だったので広がったのですが。

身近なところで、ロシアと日本、なんてどうでしょうか?
ロシアは1年を通してとても寒いため、作物もうまく育ちません。
ですから、南への領土を渇望しています。

日本にとっては北海道の北なんて寒いわ、って感じですが、
ロシアにとってはそれでもまだ南側であり、暖かい?ので、
余計に領土問題がこじれるのでしょう。

昔のヨーロッパの人達も、率先して領土を拡大しました。
ヨーロッパでは採れない、「ダイヤに匹敵する価値」があった
「コショウ」を生産するためです。

土地は宝を生み出します。
宝に、北も南も、西も東も、ないんですよ。
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この回答へのお礼

アメリカとカナダは東西方向に伸びましたね。
ロシアは南進を阻まれて、しかたなく東へといったとこでしょうか。

お礼日時:2007/04/14 13:47

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