聖書の言葉は事実ですか?
最近、聖書を読んでます。
子供の頃、日曜学校にいった記憶が
今だに脳裏に鮮明に焼きついています。
レビ記など難解で難しいです。
しかし箴言など一般的にわかりやすいと思います。
そこで今回は脈略がないと思いますが疑問点を質問させて頂きます。
よろしいでしょうか。
●人は死んだら天国か地獄に行くといわれてます。
そこは肉体はなく魂だけが存在するものなのか?
●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか?
●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか?
●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。この目で確認できるのでしょうか?
●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の
場所はどこなのでしょうか?(適切な表現は難しい)
●地獄とは火の池に落とされ焼き死ぬことなく永遠にもがき苦しむ
ところなのか?
●もしクリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄
があり肉体が焼ける熱い感覚を永遠に味わうのであるならば
クリスチャンになる選択をしたほうが聡明だと誰もが思うはずですが?
●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか?
●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか
語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか?
(イエスの時代でなく時代で言えば昭和の話しです)
●聖書のお話は何千年前の話しでしょうか?
恐竜時代の後ですよね・・あれっ恐竜時代は何年前?
●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか?
●イエスの時代に本当に死んだ人間の頭部に手をおいて
「いつまで眠っている起きなさい」といい、死んだ人間を
生き返らせることができたのでしょうか?
幼い子供がママの手を握って聞くような質問レベルですが
私はすごく真剣です。
回答しにくい質問もあると思いますがよろしくお願い致します。
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事実か事実で無いか…
まず、確かめられるものから順次見ていき、確かめられないものはほっておくしかないと思います。
自分には五感という認識がある。
それぞれは変化生滅し続ける。
味覚は私か?私なら味覚が無くなったら?
触覚・嗅覚・聴覚・視覚は…
じゃあ心は・・・
いろいろな感情に変化生滅し続ける。
どの感情が私か?確固たる私はあるの?
と五感+心(認識)等について確かめたり。
道徳や各宗教の戒律について、何故善いのか・悪いのか、確かめられる範囲でいろいろ考察してみるのも善いと思います。
たとえば、怒り狂っている人が居ると周りの人にも嫌な感情が伝播しますよね。
怒ってしまうと周りに居る人もその悪感情に引っ張られやすくなり、自分に対する評価も下がる、しかも同じ様な悪感情の人たちが集まってくる。
じゃあ欲張る人だったら・無知に何でもしてしまう人だったら…
その逆ならどうだろう…
この様に考察を徐々に深めていくと徐々に人格的で道徳的、生きやすい生き方が見えてくると思いますよ。
書物に描いてある事が事実であるかはわかりません。
確かめられない事は確かめられないのだからいくら考えても確かめられませんでしょ?
確かめられる事を確かめるか。
確かめられない事を確かめないまま固定概念として事実とするのかはあなたの選択する事ですが、欲・怒り・無知の負のサイクルから離れられる事を心よりお祈り申しあげます。
~生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように~
この回答への補足
ありがとうございます。
どちらの宗教団体のお方でしょうか?
○○を信仰している者です。
私の見解はですね・・・
↑
こう切り出して頂くと有りがたいです。
私は浄土真宗の門徒ですが、信仰の点から自問自答してみたいと思います。
宗教心は主観の事実であり、これを重んじる人間にとっては
異教他宗の垣根とは別に、通じるものがあることを願います。
●天国地獄には肉体を伴って生まれるのか
私は極楽浄土には、例え肉体を伴った形で生まれるとしても、
今現在の私とは別人として生まれるものと思っています。
私自身がありのままに極楽の喜びを得られるのは、
宗教心を抱いて生きている今生のこと、として不足は感じません。
●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか?
私はこれについて、自分の宗教心をより高く強い形で実現できる浄土において、
疑いや質問、悩みなどに全て解答が用意される場で生きる事と理解しています。
●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか?
●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。
これについては宗教的事実であり、絶対の約束であろうと思います。
すなわち自身が宗教心を失った時には反古にされるものと覚悟しています。
●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の場所はどこなのでしょうか?
およそ通じるところのある問いだと思います。
私は単純に、極楽浄土のありかは我々人間の理解を超えた場所…と考えます。
即ち我々にとって可能性としても観測することができない場所。(宇宙の彼方ですらない)
理屈の上でも思い至ることのできない人知の限界を超えた場所。
(例えホーキング博士が宇宙誕生以前について解明されたとしても、よりそれ以上の)
そして同時に、我々の世界と重なっているとも考えます。
場所、という我々の考え方さえ通用しないような世界であるはずです。
●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか?
これは排他的な信仰の意味からの言葉と捉えると、かえって聖人を侮辱する事になると思います。
聖者は誰から侮辱される事があったとしても、伝えられる言葉に真実があれば聖者なのであり、
信仰に至らぬものが救済から排除される…という言葉は、
人に質問して真偽を伺う種類のものではなく、絶対の主観の問題だと思います。
客観的には私が極楽往生できるはずもありませんが、
自分の宗教心さえ裏切ったならば、私は地獄に墜ちてしかるべきでしょう。
●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか?
この種の話は全くの詐欺であり、宗教的に尊いものを俗物的に扱う見本と反省します。
●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか?
神秘談について、親鸞聖人にも超能力めいた説話がありますが、
私は「そのような力があって当然の」聖者という風に理解しています。
信仰上の伝説と、歴史的事実が乖離していたとしても、なんら問題とはなりませんし、
寧ろ、なぜ神秘談が生まれたのか…というテーマこそが喜ばしいからです。
断言的な文章になってしまったものの、私はまだまだ信心は至りません。
良い機会を与えて下さったことを感謝します。 南無阿弥陀仏。
こんにちわ、私のレスにこんなに反応して頂けるなんて、私のほうが驚いてしまいました。でもどうやら私のアドバイスはもう必要なかったようですね。otukareさんはすでに救いを受け取られたようですね。
チョー先生のことはお名前だけ聞いたことがあるだけで、本を読んだりやメッセージなどは聞いたことがありません。大変用いられている方だそうですね。こんど本など読んでみようかと思います。
私の導かれた御言葉ですか? うーん、導かれたというかクリスチャン
としての確信を得ることができた御言葉はありますよ。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また生きてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」。ヨハネ福音書11.25
です。
私は罪については聖書に触れてすぐに理解できたのですが、どうしても
復活について理解できなかったのです。 今思えば、単にに信じてなかった
だけですが。イエス様を受け入れたとき、救いの確信と復活についての理解
も頂けました。本当に嬉しかったことを今でも覚えています。
otsukareさんも。主に委ねてすばらしい人生を歩んでください。
この回答へのお礼
回答者様の御言葉に目からウロコです。
復活について理解できないお話まで
してくださり有難う御座いました。
No.15ベストアンサー20pt
こんにちわ、私はクリスチャンですのでクリスチャンとしての回答をします。otsukareさんは今聖書を一生懸命よんでいて、神様がいるのかどうか本当に聖書に書いてあることが真実なのか探索しているのですね。疑問の多さからもどれだけ真剣かがよくみてとれます。
ただ、ここにはクリスチャンではない方がほとんどなので、聖書に書いてあることは本当かどうかという質問をすれば、クリスチャンの方は本当です。と答え。そうでない方は違いますと答えられるでしょう。otsukare
さんの沢山の質問も大きく分けると答えが2つに別れ、ますます混乱してしまうのではないでしょうか?
やはりお近くの教会などを探されて行かれてみたほうがいいと思います。
ただ私なりに答えさせていただきますと、otukareさんのように読み始めて
沢山の疑問が沸いてくるのは判るのですが、少し視点をずらされるといいと思います。 聖書に書いてあるのは、神が人間を創造し、その創造した人間が自分から離れてしまったため、神は必死になって人間をとりもどそうと
するその歴史です。旧約は一言でそういえると思います。そして神を離れている状態のことを聖書では「罪」といいます。
新約に入ってイエス様の誕生と十字架、復活それによる救い(神が自分から離れてしまった人間をとりもどすこと)の完成です。
otsukareさんにはそのことに目を留めて考えてほしいと思います。まずは罪(神を離れている状態)について、 そして神がその罪から人間を回復する方法について。それが十字架と復活です。神様は人間を取り返す方法として自分のひとり子を十字架にかけるという方法をとりました。 罪は罰せられて正しく処分されなくてはいけないからです。 otukareさんの罪はイエス・キリストを十字架にかけて身代わりにして殺されなければならないほど
ひどいものでしょうか? さがしてみて下さい。きっと答えが見ります。
この回答への補足
「クリスチャンと名乗るお方」を
お待ちしておりました。ハレルヤ!
私は昨日も礼拝に行きました
主を賛美します。
最近、賛美していると本当に心から喜びや
感謝の気持ちが満たされます。
聖書に書き記されたイエスの弟子
の一つ一つのお言葉が興味深いです。
しかし私の質問で・・
ま、まままさかここまで発言してくれるお方
がいるなんて・・そりゃ~驚愕しましたよぉ~
14件です。15件かな?
質問サイトを活用して始めての試みで
色々な角度でお話が聞けて皆様に感謝してます。
深入りすると混乱することも想定内でしたから
わりと言霊がストーンと腹に落ちる瞬間も実感できました。
今年の3月27日は、あの有名なチョーヨンギ先生
が純福音教会(新宿)にいらしてメッセージをして
頂きました。
文学博士としての一面もあり、とてもメッセージ
がわかりやすかったです。聖書の話しが基盤にあると
いうより日々の生活で誰もが直面化する問題に
焦点を当てつつ福音を伝えるという切り口なので
未信者で参加されて賛同した方もいるのではと考えさせ
られました。
あっ、韓国の方なので通訳の方が隣にいました。
遠くは沖縄から訪れた方、体に障害をお持ちの
方までいらしてました。
物凄く大きい建物の5階の席はあっという
間に埋まり6階で座っている方はチョー先生の
メッセージを映像で見ていたようです。
7月は幕張メッセで6000人規模のメッセージを
するために日本に訪れるようです。
(スケール大きいですよね)
回答者様はクリスチャンですよね。
お手数ですが回答者が主に導かれた
未言葉を是非教えて頂きたいのですが
よろしいですか?
チョーヨンギ先生はご存知ですか?
ご回答頂けたら幸いです。
溺れる者は藁をも掴む....
真実に目を向けるより
優しげな中に眠りこけているほうが
幸せそうに思える.
どうしても
これは違うという現場に立たない限り
なかなか目は覚めない.
そういう時が,本当は真実に向かおうとするチャンスなんだけれど...
聞けば聞くほど理解できないものになります。
それよりあなたが心安らぐ言葉を捜してください
信仰というものはまだ見ず触ったことのないものを見たかのように
また触ったかのように思えるのが信仰です。
まず理解できる所に目を留めてください。
そうしないとわからなくなりますよ
頭で考えてもこれらの質問は理解できませんから
もし本気で質問しているとしたら
現実との整合性を保てなくなっている.
真面目に信仰すればするほど.
言葉で説明されても現実とのギャップは埋め尽くされない事に気が付く.
何故だか解るかな.
信仰心が足りないから....
とんでもない.
必然
心理学でも言うだろう.
嘘つきほど説明の言葉数が多くなるって.
エジプトの死者の書ってご存知でしょうか?
イエスがマグダラのマリアから7つの悪霊を追い出したという話がありますよね。
エジプト人は7つの霊で人はできていると考えていました。
死ぬと心臓を秤で計られると考えていました。いわゆる最後の審判。
死者の書を読むと十戒の原本じゃないかと思える内容が出てきます。
乞食のラザロの話では、金持ちが死んでアブラハムとラザロが一緒にいるところを見て、ラザロに自分の家族に伝えてくれ と金持ちがお願いするくだりがあります。
恐らくこれは比喩だと思います。
金持ちは肉体的にはまだ死んでいない状態。
恐らく破門になったので、死者扱いされたんだと思います。
それでラザロは肉体的にも死んでいないで天の国 つまり その宗教団体が構成している集団にて生活をしており、金持ちは「しまった」と思い、家族に全財産を教団に捧げろとラザロに伝えさせようとして、それでこのような話として残ったんだと思います。
金持ちは集団から追放されたので、家族に会うこともできなくなったんだと思います。
天の国 どんな感じかつかめたでしょうか。
肉体的には死んでなどいない。
宗教上死んだから死者。
天国に行ったものが「いやあ 100歳のまま1千年もいきづつけた。飽きたから遊びにきた」と戻ってきた人、現実 事実として一人もいませんよね?
だからといって雲の上に天国が無いと立証されたわけじゃありませんが、そもそも天の国の概念が元は違ったんじゃないでしょうか。
天使が来るとは、その世捨て人的生活をしている教団の幹部たちが、町に来たというだけの話だと思います。
たとえばマリアの懐妊のとき、ガブリエルがやってきましたよね。
マリアに子供を産ませるため、やってきたという話だと思います。
これが天使が地上に下るという意味。
火の概念は、恐らくケルビム、セラフィムの話から想像されたものだと思います。
ケルビムだか忘れましたが、炎の蛇と呼ばれており、聖なるかな 聖なるかな とくるくるまわってエデンで生命の木に人間が近づかないように守っているという伝説。
何故炎なのか。 炎は穢れを焼き払うとされているから。
これが炎の地獄の概念の正体。
天国にいってイエスと会った人いますよ。
最初に殉教した人。(名前忘れました)
彼は、天の国 すなわち幹部が住んでいる場所で裁判を受け、その時、イエスが塔の上からその裁判を見守っているのを目撃しています。
その集団のトップの右に立っていたと書いてあります。
審判で死刑に値する律法否定をやってしまったので、死刑 すなわち追放処分になったようです。
イエスも律法の否定をやったことで、裁判になり有罪判決が出て死刑になりましたよね。
クムラン宗団は、罪の程度に応じて、数日間の謹慎処分から、数年間外の世界に追放されるなど規定があったんです。
死刑判決が出ると、死に装束を着せられ文字通り死者として扱われ、洞窟に幽閉され、数日後追放処分になっていた。
イエスの場合、その幽閉期間中に天使の肩書きを持つガブリエルに救われたことになっています。
それで名誉回復し、幹部となり裁判で塔から見守っているのを目撃されることになったわけです。
死刑になって追放になったら永遠にもがき苦しむか?
集団から追放され荒れ野で一人で自給自足の生活は、かなり厳しいものがあると思うので、許されないなら一生死ぬまでは地獄の苦しみでしょうね。
現代のイスラム教をみても、追放処分になったものが、イラクの首都に流れ住み、スリなどしながらなんとか生きていますよね。
(それを助けよとしたのが、平和ボケした日本人でしたが、映像をみると、言うことを聞かない相手に救いにやってきたという日本人が「私の飯を早く作れ!それがお前の役目だ」と怒鳴り散らしていたので、決して救われたとは言いがたい・・・天国生活も辛いようですね。まだスリやっていたほうが平和ボケした傲慢な日本人に奴隷としてコキ使われないので天国かも)
イエスを信じないと、、、ってイエスが言ったとされた言葉は全部 旧約聖書とかラビ文学とか、それ以外の書物に既に書かれているので、イエスのオリジナルじゃありません。
イエスが生まれる前からあった言葉ばかりです。
何一つ新しいことなど無い。
確か今年でこの世 宇宙ができて5765年たつということになっています。
日本列島から1万年以上前の骨が出てきていますので、日本列島はこの世が誕生する前からあったことになりますね。
恐らく、バビロン捕囚の時に創世記の部分はバビロンの捕囚された祭祀たちが現地の神話を元に作ったと思えるので、それでこの世の誕生は日本列島より短いことになったんだと思います。
モーセが水を割ったというのは、、、、
何かの比喩だと思います。
水はミリアムと関連しているのかもしれません。
ウガリッド神話だったと思いますが、水の概念を持つ女神を息(風)の概念を持つ男神が殺して大地にしたという話があります。
これと関係してミリアム失脚のことかな??とも思いますがよくわかりません。
(古代は女神崇拝があって、3500年頃で終わりをつげた。 このことかもしれません。)
杖というのは比喩で、男根のことだと思います。
といってもモーセが男根を大地につきさしたわけじゃなく。。。。
なんでしょうね、、、、
古代では二匹の蛇がからみあってそれで世界を作っているとか 生んだとか、そういった話があるんですね。
イザナギ イザナミの話もその類に似ている。
イエスが生きたとされた時代に、人を生き返らせたという人は沢山?いたそうです。
ただ、その人を生き返らせたというのが文字通り肉体的に死んで1年前とか100年前の人を生き返らせたわけじゃなく、宗教的に死んだ人のことだと思うんです。
その比喩を知らないと、100年前に死んだ人すら神様は生きていた当時の通りぴんぴんにしてくれると誤解してしまうんじゃないかと。
足がなえた人、目が見えない人 全部比喩。
宗教的に信仰が低いとされた集団(10支族のどれか)か、台の上に乗って運ばれ、高台に上から説教をして少しも歩かない偉そうな祭祀とか、聖書のよく理解していない祭祀 とか その人たちのことを比喩として言ったんだと思います。
それと。。。
モーセ、彼はエジプトの王女 すなわち神の代理人の養子になり、高い地位にまで上り詰めたらしいです。
彼がエジプトの神秘宗教を国外に持ち出し、後のユダヤ教に取り入れたんじゃないかと思うんですね。
彼は一体何者か。
恐らくエジプト人だと思います。
宗教的な争いがあって、彼はエジプトから財宝を持って逃れたんだと思います。
財宝がいいが、エジプトの神秘学まで持ち出されると、エジプトは不利になります。
神秘学 つまり いろいろな知恵が外国に漏れてしまうと、エジプトは攻め込まれてしまう。
それで、モーセを追ったんだと思います。
モーセが杖を蛇に変えた、蛇の杖を掲げた というのも、恐らく何かの比喩だと思います。
エジプトはラー(エル) すなわち神の化身は生き返ると信じられていたんですね。
それでミイラ処理がほどこされた。
ラーは死ぬと鳥が魂を空高く運んでくれると思っていた。
そして肉体があれば、また魂がその肉体に入るとして、それで保存していたわけです。
でも、これが適用されるのは、ラーだけ。
民は巨大な力を持つこのラーの再臨を待つ信者たちなわけです。
信者にミイラ処理は施されません。
信者。信じる人ですよね。
これこれを信じる人 という意味で、宇宙人がやってきて地球人を救っていると信じる人もビリーバー。
そんなわけない 宇宙人がいるなら、とっくに何千年も前から一緒に暮らしているはずだ、というのはビリーバーじゃなく宇宙は地球で住民票を持って地球人の中にまぎれこんでいるという話をクスクスと笑って否定する否定派。
No.10ベストアンサー10pt
あなた様の質問はすべて論争上にあり、キリスト教のあいだでもまったく一致しておらず、答えがないというのが答えになります。残念な話ではありますが。私はクリスチャンですが、信仰はあります。神は唯一ですから、もしそれが実在するなら、答えは最終的に1つに決まってますから、未来にはその正しい解釈でみな統合されるでしょう。
●人は死んだら天国か地獄に行くといわれてます。
そこは肉体はなく魂だけが存在するものなのか?
原則的には魂と言われることが多いですが、厳密には体もあるという見解があります。霊的体です。主イエスが死んで復活したとき、彼が霊の体であったことが描写されています。私たちもまた、このような体になるという見解があります。
●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか?
啓示録の最後にあります。これは天のマンションで楽しく暮らすという見解もありますが、いろいろです。生きる水の川が御座から流れており、私たちはそれを享受するというのがありますが、ある見方ではこれは本当の水ではありません。それは神そのものです。私たちの娯楽や享楽は今、世の中のもので占められていますが、やがて神が私たちの唯一の楽しみとなるでしょう。そして、のろいはなく、私たちは彼を享受し、賛美するでしょう。
●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか?
これは一般的に可能であると考えるのが普通ですね。たぶんその通りでしょう。ただ天国に行くという観念にもいろいろ複雑な論争があります。
●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。この目で確認できるのでしょうか?
確認はできます。少なくともクリスチャンはまず裁きの座におかれ、私たちの人としての生活において間違った罪を告白し、裁かれます(滅びの意味ではない)。これは啓示録にある信者に対する裁きです。そこでまず会い、永遠に共にいます。
●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の
場所はどこなのでしょうか?(適切な表現は難しい)
これも解釈がありますが、空中と天上は違います。エペソ書6章によると、空中にはサタンや邪悪な天使たちがいるとされています。天上とはさらにその上、つまり私たちが視認できない世界だということは確かです。
地獄に似た用語にハデスという表現もありますが、ハデスは地の底にあるという解釈があります。しかし地獄というのはそれかもしれないし、別物としてあると考えることもできます。おそらく別物です。火の池とは厳密には神そのものから出る裁きです。ですから、本当に火が燃えているという意味かどうかもかなり曖昧です。いずれにせよ、ひどい苦痛であることは確かです。
●地獄とは火の池に落とされ焼き死ぬことなく永遠にもがき苦しむ
ところなのか?
聖書的にはそう考えるのが一般的です。サタン、偽預言者、未信者などがそこに投げ込まれます。
●もしクリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄
があり肉体が焼ける熱い感覚を永遠に味わうのであるならば
クリスチャンになる選択をしたほうが聡明だと誰もが思うはずですが?
無神論の日本人は特殊ですよ。海外の人からすれば、頭がおかしいとさえ思われかねないこともあります。厳密にいうと、戦前戦後の体制がそういう文化にしてしまったのでしょうけれど。日本人にとって死とはただ骨になっていなくなるとしか考えていません。ですから、死後の世界なんてあまり考えていない人がほとんどですよね。中国人とかのほうがなぜか滅ぶということを意識していたりします。
世界的にはクリスチャンが圧倒的です。イスラム教、仏教が続きますが、その人たちはもちろんキリスト教の神ではなく、別の神を拝むわけですから、相容れないでしょう。聖書的にもこの宗教的状態は終わりの日まで解決しないということが分かっています。もちろんクリスチャンでない宗教徒はすべて滅んでしまいます。
●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか?
地獄に落ちます。
●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか
語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか?
(イエスの時代でなく時代で言えば昭和の話しです)
たぶんそれは仏教的な天国の話と混ざっていると思いますが、仏教の天国は妄想です。キリスト教徒であれば、それは嘘です。復活は厳密には将来の事柄なので、天国も将来的なことであるというのが聖書の1つの見方です。
●聖書のお話は何千年前の話しでしょうか?
恐竜時代の後ですよね・・あれっ恐竜時代は何年前?
これは聖書批判の1つの根拠になっています。アダムの時代は年代的にいうと約6000年前であると言われています。ところが、恐竜はご存じのように地層などから判別して何十万年とかそんな話になっており、「聖書は事実ではない」と批判するのです。
これに一人のクリスチャンが応答しました。創世記の1章1節と2節だったか、実はその間に期間不明のかなり長い年代にわたる空白があると述べたのです。なぜなら天と地が創造されたのに、突然やみが出てきて、変な話だからです。やみは神から来るはずがありません。したがって、このあたりに何か敵が神の創造物を奪ったのだとしています。何らかの生物もおり(人間ではない)、いずれにせよ神に反逆し、この生物が裁かれて今いるのが新約に記述された「悪鬼」となった、という見解があります。
●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか?
やりました。
●イエスの時代に本当に死んだ人間の頭部に手をおいて
「いつまで眠っている起きなさい」といい、死んだ人間を
生き返らせることができたのでしょうか?
できました。神は全能です。光あれ、というだけで光が出ます(笑)
聖書を読み神を理解することをお勧めします。
モーセが杖を上げて海を分けたとは書いてはずで、杖を上げるように指示されているはずです。
教会の教えはキリスト教の支配時代に都合の良いように曲げられています。
天国と地獄は他の宗教の考えを取り入れたものです。
旧約聖書ではメシアの到来で地上が神の支配による王国が実現すると約束されていますが、この約束は新約でもなくなっていないことがわかるはずです。
天に取られる人は小さな群れで他の多くの人は神の王国で生きることを約束されています。
地は人を楽しませるように創造されていますし、人類家族として多くのことを一致して成し遂げるよう神は期待しておられます。
創世記 1章26節
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