プロが教えるわが家の防犯対策術!

30代独身男性です。子供の時から自分は死なないと思っていました。しかし、父親や身内が亡くなり、死を身近に感じ始めてからは自分もいつかは死ぬんだなあと思い始めました。最近では毎日「死」を意識する瞬間が多く、死ぬために生きているような感じです。日々の死への意識や考えで頭の中がいっぱいです。できることなら死を意識せず毎日を楽しく生活したいです。どうしたらいいのでしょうか?

A 回答 (19件中1~10件)

ネチケットに違反することを承知で書きます。

これを見ている方、申し訳ございません。しかし、この方をどうしても救いたくて書かさせて頂きます。
唐突で申し訳ございませんが、結婚して、子供を授かってみてはいかがでしょうか?
あなたが亡くなった後も、あなたの細胞の1個から発生した命は、あなたが亡くなったあとも生き続けます。つまり、あなたの死後もたった1個の細胞は、生き続けるのです。これは、紛れも無い事実です。あなた自身の全てが死ぬのではないのです。廻りを見渡せば、ほとんど全ての生物はそうしているのです。ですから生物は必死になり子孫を残そうとします。それこそがまさに命ということではなのではないでしょうか?
このように考えてみては如何でしょうか?
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FFMANさんの意見大変参考になりました。


私もkyoronさんと同じです。いわゆる自己消滅の恐怖ですよね。私は30歳代後半、男です。私も最近とても強くなり、ここ2週間くらいドリエルを2週間くらい飲みっぱなしです。同じ恐怖で眠れません。自分が死ぬことは、とてもつらいことです。死についてなんですが、20年くらい考えていますが、まだ正確な解答が自分なりに見つかっていません。人生も折り返し地点を過ぎましたからね。
今までに考えた私の死に対する考え
1.生命の長い歴史の中では、たかが数十年は、一瞬のこと。生きるとはまるで幻のような感じだと捕らえるようになりました。
2.死とは生の逆。生を全力で考え、行動する。とにかくがむしゃらにやれば、悔いも残らないでしょう。死の恐怖を逆に生きるバネにしています。
3.そろそろ死後の準備でもと思っております。死後、自分の技術や、布施で後世の方に少しでもお役に立てるようにする。それでもって、生きた甲斐(自分の跡が残る)があるじゃないですか。
お互い気合を入れてがんばりましょう!!!
ドリエル飲みっぱなしなんですが、病院いったほうがいいでしょうか?専門家の方見ていたらご教授お願いします(精神科ってなんだか怖いですし、先生が回答を教えてくれそうも無いので躊躇しています。薬飲んでも回答は見つかりませんから。)。
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17歳の現役女子高生です。


私は死ぬために生きています。
しかもとても希望を持って。

以前どこかで『今の若い子は死を美化しすぎている』という言葉を聞いた事があります。
でも私は『死ぬ事』自体には興味感心は無いです。
怖いともステキな事ともなんとも思いません。

ただ、私は人の役に立って『ありがとう』の一言をもらう事を生き甲斐として生きています。
なので自分が死ぬ時は必ず人の役に立ちながら死にたいと思っているのです。
警察官や消防士でいう殉職みたいな感じです。

なので私はいつ死んでも良いように毎日を精一杯最高の一日にするため、生きています。

質問の解答としてはかなりズレたものになってしまったかもしれませんが、こんな人間も居るんだよって事で投稿してみました。

どうか貴方の心が救われますように!
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どうしても生きていれば「死」について考えちゃいますよね。

もちろん私もあります。

私の場合は怖くて怖くておもいっきり一人で泣いてしまいました。親もいつか亡くなってしまうんだ、とか自分も死んだらどうなっちゃうんだろう。死ぬって何だろうとか。

そういうことを頭の中で考えてたら、だんだん怖くなって涙が出てきました。でもこのまま泣いてもいいや、と思って、そしてそのまま涙の出るまま泣きつづけて、ある程度すると泣き止むことが出来ました。そのあと何だかスッキリしました。涙を流すことで不安や恐怖を外に出したのかもしれません。それからは死ぬことじゃなく、どうやって生きようと思うことが増えてきました。

毎日死を思うのではなく、生を思いたい。
今、「あなた」は「生きて」いるんです。
あなたが死を意識しようと、死ぬために生きていようと、
それはあなたの「生き方」であって、今は生きているんです。
「死」を考えるのも、考えられるのも生きている間だけです。
だから今、死について考えれるのはいいことかもしれません。

一度じっくり誰もいない部屋などで「死」についてひたすら考えたり、死に関する本や映画、音楽に触れてみてはどうでしょうか。
それで泣けてきても、さらに思い悩んだとしても、きっと何か変化はあると思います。
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 死が怖いのは、死を知らないからです、暗闇が怖いのは何があるか見えないからです。

一旦気になりだしたら灯りをつけて徹底的に調べるしかありません。弱さを感じるものは強くなろうとします。恐怖は真の自己の欲求なのです。以下の url をどうぞ、英語のサイトですが

http://www.bampfa.berkeley.edu/exhibits/steiner/ …

参考URL:http://www.geocities.com/Athens/5692/
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自分という存在の消滅。

これ異常ない恐怖ですね。
私も小学校のころ突然,死が怖くなったことがあります。
死ぬことが決まっているなんて。
私は死を受け入れたくないから,無意識に死への思考を排除している。
人間の良いところは,忘れるように出来ているとこです。
その感情は,いつまでも続かないと思うので,そのままで大丈夫と思うけど。
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 もし、あまりにそのような不安感に襲われるならば、精神科で診療を受けた方が問題の解決になるかもしれないことを断っておきます(薬が効くかもしれません)。

そこで、それほどひどい症状ではないことを前提に、二点アドバイスしたいと思います。

(1) 身近な人間の死をちゃんと受け止められているか?

 身近な人間の死をちゃんと受け止め切れていないことが、死というものに対して暗い方向に考えがちになっているのかもしれませんので、お墓参りをするとか、死を受け入れるための行動を繰り返してみるのはいかがでしょうか。形式的な作業にせよ、死者に対する行為を繰り返すことで、突然の死によって切り離された無念さや、不安感のようなものが消えていく可能性があると思います。

(2) 死をどう捉えているか

 そうではなく、純粋に死というものが自分に起こりうる事を実感して気になると言うのならば、死に対する考え方次第ではそのような状態から逃れられるかもしれません。私は、死をあまり嫌悪していない(それゆえ死について普段はあまり気に留めていない)ので、私が死をどう捉え、どう意識しているかを説明することが、質問者にとって死の考え方を変えることになるかもしれません。そこで、多少でも役に立つことを願って回答してみたいと思います。

 私は、自分の死とは肉体の死に伴う、意識の消滅である、と捉えています。そう考える理由は、大脳についての科学的な知識を耳にするにつれ、物質的な活動なくして意識が存在する可能性が信じられない、というものです。それゆえ、肉体が失われたあとにも意識は存在し続けるという考え方(死後の生)は、信じることができません。
 この信念(死とは意識の消滅である)の真偽は別にしても、兎にも角にも私にとってそれは説得力をもっています。そしてこの信念は、私にはそれほど恐怖を感じさせません。例えば、死以外の意識が消滅する事象、(私は気絶したことがあるのですが)気絶が怖いかといえば怖くありません。また、睡眠が怖いかといえばそれも否です。私にとっての気絶は軽い交通事故でもたらされたのですが、それはある時点からいつのまにか記憶がなくなり、ある時点で目覚めた(そして鈍痛が始まった…)という形で捉えられていますし、睡眠も同様の形態です。このように何の経験もない状態では、怖がろうにも、そのネタがありません。そして私は、死を、目覚めることのない気絶、目覚めることのない睡眠に比して捉えてしまうので、同様に怖くありません(ある意味、毎日蘇える死を迎えているので、慣れている??)。
 このように死そのものに対しての恐怖心はあまりないのですが、肉体の死の種類によってはその過程として苦痛を伴いそうなことや、未来の可能性が無くなるという喪失感への怖れ、等がないわけではありません。それに対して、死んでしまったらそのようなことで悩むこともないだろうなあ、という苦痛からの解放イメージもあります。人が快を求め、不快を避ける性質を持っている以上、快も不快も、又その可能性さえも一切合切を消し去ってしまう死は、快を求めることに着目すれば嫌悪の対象であるし、不快を避けることに着目すれば憧れの対象にもなる。そのように、私にとっては相反する感情を抱かせる観念でもあります。
 以上が、だいたいの私の死の捉え方と、それに応ずる態度ですが、どうもストレスを与えるほど苦しい考えではないらしく、死にプレッシャーを感じることはありません。これが、質問者の死についての不安感が減少するような考え方だといいのですが。
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だれでもいつかは必ず死にます。


死ぬという事実から目をそむけていたら、いつまでも怖いままです。
死ぬために生きている、というのは私も考えたことがあります。
殺されたら死ねるかもしれませんが
自分で自分の命を絶つことはできません。
天寿をまっとうできるようガンバリマス。
それが、家族のためであり、ご先祖さまのためってもんです。
死ぬのはだれでも一度は必ず経験することなので、
まあしょうがねーかくらいに考えておきませんか。

昔好きだった漫画でもよんで気晴らししてください。
絵本とかもいいですよ。
ワールドカップ、今日はちょうど日本戦です。
ストレス発散しましょう。

あんまりむずかしく考えなくても、生きていけますよ。
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まだ30にもなってない若造ですが(^^;) 同じ感覚に襲われます。



しかも兄弟なしなので、
「一人ぼっちの部屋で誰にも気づかれずに死んで白骨化する自分」
なんか妄想してしまってものすごくブルーになる朝晩があります。
今の女っけなしっぷりを考えると結婚なんかできそうもないしねえ・・・。

まぁ、老後に明確なビジョンが描けてその辺にあきらめつくか、
解決がつく(死ぬときにそばにいてくれるような人が見つかるか、
どっちかもできないみんなが同じように考えてることだと思っておいてください。
いまどき山ほどいます、はい。
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あなたのように、「死」を真剣に考える人がもっと増えればいいのにと思いますよね(^^



あなたも結婚して、子供ができて、家族で楽しく暮らせる日々がくれば、「死」に対する考え方も少しづつ変わってくるでしょうし、それより「死」を考えているヒマもないかもしれません(^0^)」
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