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大学の講義の日本政治史という授業でよく分からないところがあるんですが・・・日本が鎖国をしていたときに、オランダがスペインから独立して様々な策略を経て鎖国状態の日本との貿易権を得たのですが、そのオランダがスペイン・ポルトガル、イギリスに対して行った戦略について教えてください。その時に、1624年幕府、前年薩摩に来航したスペイン船使節による復交要求を拒否、オランダがポルトガル人の基地を往来するポ船を攻撃したこと・マニラ湾封鎖、1637年ポルトガル船貿易禁止、1623年アンボイナ虐殺事件などを説明の中におりまぜていただけるとありがたいです。

A 回答 (1件)

質問内容が錯綜しているようなので、オランダの主体性と日本の主体性ということでまとめると、オランダ日本ともに、純粋経済優先主義が、この時代の特長です。


日本の鎖国政策は、同時期の明の海禁政策と違い、対外貿易を止めるというものではなく、宗教流入を禁じつつ幕府が貿易を独占するようにしたら、ああなったということになります。
オランダの当時の意図は「金儲け以外のことで、金は使いたくない」ということになります。スペインの重税はいやだ、そして、スペインが撤退すれば、国防のために税金をオランダ国家にも払いたくないということ。
この両者のドライさがうまくマッチしたのでオランダだけを相手にする鎖国が成立しました。
※ 対スペイン戦争中も、英蘭戦争中も、ちょっとオランダに好転すると軍事費の集まりが悪くなり、オランダ軍は苦戦してしまっています。
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