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応仁の乱について教えてください。義視は当初は東軍、義尚は西軍です。しかし、途中で義視が西軍、義尚が東軍になったいきさつをわかりやすく教えてください。

A 回答 (1件)

応仁の乱で検索すると、おそらくその間の事情は出てくるでしょうが、簡単に言うと、途中で政所執事の伊勢貞親が戻ってきたことが原因です。



伊勢貞親は、将軍家中と幕政に深く関与し、特に義視と義政の仲を裂こうとした讒言が原因で、一時領国へ下っていたのですが、応仁の乱勃発とともに、相談相手として義政が呼び戻したのです。
義視は当初は将軍義政の代理格で、細川勝元の東軍に属していましたが、仲の悪い伊勢貞親が帰京し、露骨に日野富子と義尚に肩入れし始めると、将軍家と一体になった東軍には居づらく、一時は京を脱出します。
その後、義視が西軍につくことを恐れた義政に招かれ帰京しますが、状況に変化は見られず、結局義視は西軍につくことになったのです。

一方義尚は、当初は日野富子が山名宗全を頼っていたため、西軍に属していましたが、乱の早い段階で、将軍家と東軍が一体になり、しかも自分を支持する伊勢貞親が帰京して、将軍義政-伊勢貞親-日野富子-細川勝元という連合が完成したため、自然と東軍に属することとなったわけです。

簡単に説明しようとするあまり、なんだか言い足りないような気もしますが、いかがでしょうか。
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