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質問は標記の通りです。
戦争等では、必ず軍人を含めた多くの一般人が想像を絶する苦しみを味わい容易く殺されて行きます。戦争等では、人種や国、勝敗の側によらず、必ず犯罪が伴います。例え、ヒットラーの軍隊に攻められたとしても、捕虜をなぶり殺しにして良いわけがないし、レイプして良いわけがありません。
戦争とは、個人の争いとは違います。たとえ正当防衛であっても、殺戮を正当化することはできません。例え、一方でその正当性を主張したとしても、必ず戦争犯罪、人道に対する犯罪に対して公式に謝罪しなければならない事があると思います。謝罪しなければならないのは、日本だけではありません。中国、韓国、北朝鮮、ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、その他世界の全ての国が謝罪を表明しなければならないはずです。そしてその謝罪を永遠に保持しなければならないはずです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、何が変ったのか。戦争があまりにも悲惨だからその反省に立ち改めるべきは改めることになったはずです。そうでなければ、死んでいった数え切れない程の死の苦しみを味わった人間は浮かばれないし、再び苦しまなければならない人間を生むことになります。第二次大戦の日本人数百万の死もしかりです。アメリカとて原子力爆彈の使用を正当化したとしても、一方では謝罪を公式にしなければならないはずです。イラク戦争でもアブグレイブでの捕虜虐待・レイプなどの行為を公式に謝罪しなければならない。いま現在も毎日のように死んでいっている人達の死にたいして謝罪しなければならない。戦時だからといって、ウソ、ヤラセ、プロパガンダなどによる煽動により、国民に戦争のための戦争をさせるのも許されざる責任の問われるべき大きな犯罪です。
戦争犯罪、人道に対する犯罪に対する公式な謝罪こそが、その過ちを認識して戦争を抑制して行くのだと思いますが、各国は過去・現在の戦争に関して公式に謝罪を表明しているのでしょうか?

A 回答 (5件)

残念ながら、戦争それ自体は犯罪ではありません。


したがって、戦争に対して謝罪をする国はほとんどないのが実態です。

質問者様のような考え方をする人が世界人口の8割くらいになれば「戦争は犯罪である」ということになるのでしょう。
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この回答へのお礼

そうですね。アメリカなんて特にそんな考えが支配的ですね。しかし、アメリカなら、日本が謝罪を求めないから、そんな考えであり続けるのではないでしょうか。たとえば、9.11のあったアメリカに対して、原爆被害を訴え、共鳴を得られる部分もあると思います。
それでも、戦争を良いもの、と思っている一般人は、せいぜい2割ぐらいだと思うので、謝罪を求め続けることが、やがては、「戦争は犯罪である」と思うようになっていくのではないでしょうか。

お礼日時:2007/05/04 23:14

人道的とかは関係なしに謝罪は戦敗国が行うものです。


戦勝国は遺憾の意は示しても謝ることはありません。

日本やドイツが謝罪するのも負けたからです。
戦争においては負けることが最大の罪で、勝てばまさに官軍なのです。
アメリカが原爆に関して非人道的であったとして謝罪を行わないのは、戦勝国であるため謝る必要がないからです。
対個人関の考え方と、対国家間ではこの辺りが大きく異なっています。
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この回答へのお礼

敗けたらと言って、謝罪を求めないのはおかしいですし、求めていないのでしょうか? いかなる形になるのか分りませんが、謝罪を求めるべきだと思います。

お礼日時:2007/05/04 23:08

基本的には していませんね。



・ソ連のシベリア抑留
・東京大空襲(民間人を虐殺する為、わざわざ焼夷弾に変えています)
・原爆による民間人の大量殺戮
・戦後、日本人移民を虐殺/略奪しまくった中国/朝鮮
など、謝罪したものが ひとつでもある?
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この回答へのお礼

基本的に無いのですね。ロシア・アメリカ・中国・朝鮮、各国に謝罪を求めるべきだと思います。生存している被害者は大きな声を上げ、国はそれを大きく取りあげるべきだと思います。謝罪を求め、求め続けなければ、謝罪することは全くないですよね。
戦争の大義を正当化しようとも、はっきりと間違っているものに対しては謝罪を求めて行くべきです。政争の具として、取りあげたり無視したりするのでは、将来、国の大きな損失となると思います。

お礼日時:2007/05/04 23:06

 当たり前ながら、しておりません。

どこの国も何らかの罪状を抱えたままであるということができるでしょう。少なくとも第二次大戦の清算としては、ドイツのほうが努力しているという評価があります。日本は第二次大戦以降に、特に被害を及ぼした中国や東南アジアに大して何をやったかということですが、一応謝罪はやっていないわけではありません。

 でもたいてい謝罪だけではゆるされません。公式な謝罪ではどこの国も納得しないでしょう、というか納得したことはありません。そこには結局、戦後賠償といわれるお金の問題がからみます。

 日本は戦後賠償ビジネスとして、日本企業をその元占領・被害国へ移動させて、経済発展を後押しするというかたちなどによって、彼らに経済発展の基盤を与えました。これはある意味では彼らが望んだことでもあります。開発経済学上の常識にあたりますが、お金だけあっても、経済というのはまわりません。重要なのは特に失業者を減らし労働を増やすこと、労働者を回復すれば、消費が生まれるので経済が回り始めます。そして輸入代替制度から輸出志向型へと産業をシフトしていく。したがって、こういうかたちで日本の清算ははじまりました。

 そしてある意味で喜ばれ別の意味で批判を浴びたのがODA(政府開発援助)による賠償です。国はこれを賠償の一部として位置づけ、とくに中国には法外なお金を投与してきました。東南アジアや中国の大規模なインフラをつくったのは、日本の尽力がかなりあります。しかし、これにはいくつか各地の地域社会を破壊するという被害をも生みました。

 しかし、国そのものはこれで大喜びしたといえるでしょう。中国・韓国以外ではほとんど戦争への憎悪感情を抱いていないのはそのためです。タイなどはきわめて親日的で、日本のODAなどを評価する学者も多いです。

 でも中国や韓国では大金をODAとして費やしてきたにもかかわらず、ほとんど評価されませんでした。これは結局は戦争どうこうというよりも、国が近接していろんな利害が対立して、政治的に歴史問題を再燃させているからです。ですから、外交カードに使われているわけです。

 とはいえ、ODAでの戦後賠償には政治的な取り込みの臭いがプンプンしていたことも確かで、今でも日本の磁場へと各国を引き寄せるために、お金
をまき散らしているという言い方もできます。最近は日本は開発援助をアフリカへとシフトしつつありますが、これも国連常任理事国入りを狙ってのことと言われています。ようするに中国とロシアへの数の圧力というわけです。こういうなかで日本が「人間の安全保障」という理念を国家政策の理念に取り入れたことは、何ら矛盾がありません。

 しかし、中国もこれに対して何の評価もしないというのは行き過ぎで、少なくとも国の見解としてこれを高く見るべきだと思います。

 戦争責任論というのは重要ですが、こういうリアルなところが見えていないので、少し偏りがちです。たぶん両方必要だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。敗戦国であるドイツと日本は、敗戦国であるためでしょうが、他の国より、現実としては、ましな気がします。私は政治には疎いので、偏っていて政治的駆け引きには通用しないかもしれませんが、損得よりも大事なことだと思っています。
日本は、戦後倍賞として賠償すべき事は賠償すべきだったと思います。勝敗によらず間違っていた部分はあるはずです。それは筋は筋として将来讃えられこそすれ国の損失とはならないと思います。そして一方では、たとえば、原爆被害の責任を同盟国のアメリカに求め、求め続けるべきだと思います。何もかもごちゃ混ぜにアメリカに追従して行くのは間違っているし、その責任を求めつづけることは、最終的にはいかなる国も否定し難い事実であり、認められるべきものであるからです。世界に声をあげて、説明・説得していくべきと思います。
正当化すべき所、謝罪すべき所、謝罪を求める所、メリハリをつけることがこの国には必要なのでは無いかと思います。

お礼日時:2007/05/04 22:58

http://kiyotani.at.webry.info/200511/article_41. …
では ロシアは謝罪してないとしていますが
他の記事では カチンの森 謝罪で 検索すると
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/p-rek1/p-sho5/p-s38 …
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-tokushu/chrono …
では 謝罪していることになっています
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ロシアについてははっきりとわからないのですね。

お礼日時:2007/05/04 22:41

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