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以前、『科学万能主義の宗教はあるか?』と質問したのですが
無さそうでしたので、いっそつくってはどうかと考えました。

ただ、宗教は神など霊的なものを基本的に信仰しており
そういったものに許可が下りるのか疑問です。

そこで2つ考えたのですが
・神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教
・知や技を神と崇め、能力を高めることで神に近づけると説く宗教
このどちらかは設立可能でしょうか?
この2つ以外でも設立可能そうなものがあるなら知りたいです。

A 回答 (6件)

宗教とは、一般に、神や仏等超人間的、絶対的存在や聖なるもの等への信仰や信念を指すものとされています。


宗教というものを、抽象的な言葉で一般的に定義することは可能ですが、では何が宗教で何が宗教ではないか、具体的にその境界線を画すことはとても難しい問題です。
ただ、宗教は、究極的には個人の問題ですから、自分が何かあるものを信仰の対象だと考えれば、それはそれで一つの宗教だと言うのは自由だと思います。
※その「宗教」が、社会的に認知されるか否か、それはまた別の問題です。

ご質問での設立、ということは宗教団体を意味しての言葉だと思いますが、宗教団体を自由に設立することは、信教の自由(憲法20条1項)、結社の自由(21条1項)において、憲法でも保障されている権利ですので、刑事的に違法であったり、民法における公序良俗違反とされない限り、原則設立は可能です。
※宗教団体=宗教法人と言う意味ではありません。


以上を前提にご質問に対する回答ですが。

>神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教

超人間的、絶対的存在を想定していない点で、所謂一般的宗教の定義とははずれるような気もしますが、人はそういう生き方をすべきだとの信念に基づき、そう信ずるもの同士が集って団体を構成すれば、それはそれで立派な宗教団体だとは思います。
ただ、一般社会から、宗教として認知される可能性は低い気がしますが、いずれにせよ、設立は可能です。


>知や技を神と崇め、能力を高めることで神に近づけると説く宗教

神を想定している段階で、すでに宗教だと思います。
※ただ、ご質問例の論理(教義?)にはちよっとおかしさを感じます。
知や技=神だとすれば、質問例の文章は、知や技を神と崇め、能力を高めることで知や技に近づける、となります。
しかし、知や技には、段階があり絶対的な基準というものはありません。
能力を高めることで知や技も高まっていくのであって、近づくという表現は不適切です。
論理(教義?)はともかく、設立は可能です。


>この2つ以外でも設立可能そうなものがあるなら知りたいです。

無数にありすぎて、かえって何も思いつきません。すみません(^^)

この回答への補足

宗教法人でも可能でしょうか?

補足日時:2007/05/05 04:49
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
思いつきで考えたものなので教義に穴があるのは見逃してください。

お礼日時:2007/05/18 18:03

 別に現実らしからぬものや神仏が無ければ宗教法人になれない訳ではありません。

本尊を「科学的真理」とすればできると思います。
でも…
人類は何故生まれたのですか?
これは、現在でも社会から隔絶されたような部族でも必ず答があるような、基本的な問いです。
まして、科学万能主義であるなら、より多くの人が納得できなければ宗教として成り立たないでしょう。

それに、法人でなくとも宗教として科学を中心にするなら、多くの科学者が会員として名を連ねなければ、形として成り立たないでしょう。

まず「知や技を神と崇め、能力を高めることで神に近づけると説く」
これだと、多分多神教にならざるを得ないと思いますが。
その神とはどの程度の存在なのでしょう。
神というからには、それを超える事のできない存在でなければなりませんが。
森羅万象には科学で解明の手をつけていないものも多くあります。というか、ほとんどが手のつけられていない状態ではないでしょうか?
とすれば、何を以って神の位置づけとするのでしょう。

「神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く」
崇拝対象の無い、或いは理想とする対象が無ければ宗教にはなり得ません。

科学万能といっても、科学そのものが、進化で言えば単細胞生物になるかどうかの段階。常に主論と反論がせめぎ合っている段階で、科学を信仰の中心におくのは無理がありすぎます。
でも、チャレンジは良い事なので、できるだけ多くの教義をうち立てて下さい。

参考URL:http://www.ysj.jp/shukyouhoujin.htm
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
思いつきの教義なので穴は見逃してください。

でももう少し暇なときにでも考えてみようと思います。

お礼日時:2007/05/18 18:09

法律上は自由に出来ます。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/18 18:07

>・神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教


 は、むしろ「反宗教」ですね。これを宗教と認めることは困難だと思われます。

>・知や技を神と崇め、能力を高めることで神に近づけると説く宗教
 こちらは、教義をうまく作れば、宗教とすることも可能かもしれません。
 もっとも、「知や技」そのものを神とするのは、かなり無理があるので、やはりそれを司る神を中心に据えて、修行の教えを説くような構成の方が、考えやすいように思います。

 宗教法人になれるかどうかは、外形的に宗教法人法の要件を満たして、教義等について、反社会的でないか、別の目的があるのではないか、ということについて、都道府県の担当課を納得させることができるかどうか、によりますから、具体的なものが何もない現状ではなんとも言えませんね。
 何を考えていらっしゃるのかわかりませんが、宗教は、思想信条が先にあって、その教義を広めるための拠点としての不動産や財産を管理するために、宗教法人が作られます。
 税金対策等で宗教法人を作ろうと考えているようであれば、普通に会社を作って真面目に営業活動をした方がよいとだけ、申し添えます。
 

この回答への補足

法人資格が無いと布教に不利なんじゃないかと思っただけです。

補足日時:2007/05/05 15:00
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
もうちょっと考えてみようと思います。

お礼日時:2007/05/18 18:07

No.2です。

誤解のないよう、ちょっと補足します。

宗教法人法の目的は、あくまでも礼拝施設などの設立維持などコストのかかることに関して
法律上の権利を定めることであって(宗教法人法1条1項)、宗教を社会的に認知させることではありません。
宗教法人法自身、1条2項で「宗教法人法を宗教そのものを制限するように解釈すんなよ」と注意喚起しています。

従って、
>・神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教
なる宗教を信仰する団体が宗教法人として認められないとしても、
それはこのような宗教を行政が認めない、という意味ではないことに注意が必要です。
(繰り返しますが、そのような解釈は宗教法人法自身がダメ出ししています)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
つくるだけなら自由ということですね。

お礼日時:2007/05/18 18:06

カテゴリーの趣旨に鑑み、法律的な回答だけします。



>・神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教
>・知や技を神と崇め、能力を高めることで神に近づけると説く宗教

憲法20条で信教の自由は保障されていますから、法的な制限は何もありません。
「こんな宗教を信仰している」といえば、それでOKです。

宗教法人は宗教法人法に定める手続を経なければなれません。
宗教法人法12条に基づく手続を踏んで
(所在地が1箇所なら)都道府県知事、又は
(広範囲に所在するなら)文部科学省に認証をもらう必要があります。

宗教法人になるためには、宗教団体ならなんでもいいというわけではなく、
「宗教法人法2条にいう『宗教団体』」であることが前提になります。
すなわち、最低でも
「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体
」(2条1号)
と認められる存在である必要はあります。

その点で
>・神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教
これは難しいかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
やはり難しいですか、宗教の定義はあいまいなので
何でもOKなのかなと思ったんですが。

お礼日時:2007/05/18 18:05

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