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 過去や現在は今まで絶対にあると思ってきたんですが、それが言葉でできている以上、本当は存在しないんじゃないかと思ってしまいました。
 つねに過去や現在について「~かもしれない」としか言えないのでしょうか?
 何か過去や現在が存在すると断定しづらくなってしまいました。
 こういう場合、どうすれば、過去や現在について「~がある。」や「~があった。」と断定口調を使うことができるようになれるのでしょうか?
 

A 回答 (8件)

>何か過去や現在が存在すると断定しづらくなってしまいました。



過去は物理的には存在しないわけですから、断定できないのは当たり前のように思います。また、現在は、過去と未来の境目の一点ですから、厳密に言えば時間幅ゼロですから、これも存在しないのは当たり前だと思います。過去や現在が存在しているのは、実際には記憶の中だけだと思います。
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この回答へのお礼

 確かにおっしゃるとおりだと思いました。現在についての深い考察ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/08 15:36

蛇足:最終の意識がないと、何も存在しません。

人も何も最終意識の中にお  ります。最終の意識はあなたのいう楽です。ですから自覚しなくても楽 にいるのです。今、あなたが楽でなければ、あなたは存在しません。楽か ら全てがきております。もっとはっきり最終の楽を経験や自覚したけれ  ば、最終の意識へといくべきです。それは今の自分を超越・超克すること ですが、それは多くの宗教や思想が唱えている教えです。どの思想が自分 に近いかはその内知るでしょう。晩いか早いかは人それぞれでしょう。
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1. 9行目の誤植訂正 “所以下かの”は、“由来するかの”の誤植でしたすみません。



2. そもそも何かを説明したり、認識する時に、最終の根拠や、何を目指しているかの、目的や理念などが欠落していては、十分な説明や認識にならないこともご経験されている事と存じます。そういうことを考え合わせてください。
3.紹介のアドレスと著書はヒンドゥの思想には違いがありませんが、やはりヒンドゥ的宗教の一つであることは否めません。勿論、必ず信仰者として対する必要はないのですが。
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この回答へのお礼

>2. そもそも何かを説明したり、認識する時に、最終の根拠や、何を目指しているかの、目的や理念などが欠落していては、十分な説明や認識にならないこともご経験されている事と存じます。そういうことを考え合わせてください。

おそらく、私は現在や過去を絶対にあると思って、楽をしたいのでしょうね。しかし、どうしても現在や過去が絶対にあるとは思えないので、たとえ、言葉でしか存在しない自分の感じた現在や過去がなかったとしても、それがあると信じて楽を得られればいいと思ってこれました。
 たびたびの回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/09 14:25

 分りにくかったでしょうか?こういう課題については、いろんな経歴・生活、状況の方や物理学や心理学、文学や思想史、哲学や宗教のいろんな種類から考えてきたことですから、私も申しあげましたとおり、どういう状況で、どんな部面の答えが追求されているのかが、なんとかご参考のことを申しあげる上の必須のことであります。

“存在の根因者と存在させる、当為価値理念を確信することが要請されるのでしょう。”のフレーズで私が伝えたかったことは、苦楽のことや真理、乃至はそれを伝える言葉には関連していません。科学や演繹の思考、理論はこの現実と言われている世界と次元をその限りで取り扱っています。そういうものの前や、それが目指したり、或は終わらされて、その先のことは、或は宗教や一部の哲学とかが扱うのでしょう。過去現在未来の問題はそういう面もあるのです。物理のいろんな分野やそのたの理知が示すものは、こういう“それ以前”と“それ以後”は取り扱わないし、応えはその中間の所謂事実だけです。そもそもなにから所以下かの不可視の立脚根拠を私は、“存在の根因者”と表現し事実の向こうの世界の価値と理念は、当為命題のなすことですから、そういうものを“当為の価値理念”と言いました。そのことを視野にいれる精神には、途中であるこの世の世界もそういう当為命題の要請が貫いていることになります。そしていっさいの存在と現象、意識の全ては階層的構造の中の、それぞれの位置を占める当為原理として存在しているのである、という考えであります。そういう絶対窮極者には、過去現在未来という区別は全くなく、全てがその絶対者の永遠なる意識の、創造という夢世界の永遠の現在しかない。全てを永遠なる瞬間という一時でみている。その中の我我の勝手に紡いでいる、内容にはなっていない。全てが一なる意識でしかない。という私が正しいと思っているヒンドゥ思想のご紹介のつもりでした。詳細はhttp://www.yogananda-srf.org/とパラマハンサ・ヨガナンダのバガヴァッド・ギータをご研究になられると出てきます。Sanskritなどを引用すると文字化けするので、簡単に私の言葉でお伝えしました。未熟で日本の方に分るようには難しいです。
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 みなさんのお答えがたいへん勉強になりました。

みな正しいと存じます。 「何とは何か」で始まる、出隆さんの“哲学以前”や、夢中だったカントさんにも今は、他の西洋人に対してと同じように不満をぶつけていますが、なぜこのようなご問題に向かっておられるのか経緯が分ると、また私にも、皆さんにも勉強になります。私自身は、瞬間からのすべての過去は、過去からの全ての構成たる自分意識が紡ぎ、構成し、編集している世界であり、すべてが現在の連続で、過去はなく、この今の意識と世界しかないという思って居ます。過去のことは紡ぎ、編集できますが、未来の内容は画けない。それは現在自体であると、いう以外にはないのではないでしょうか。思いもしない未来の状態も、そのときの現在でしかない。そういう未来の現在が現在の現在に存在しているかどうか。それは、演繹の理知での結論の外にでることと存じます。人間と言う、この世界という次元からそれの根因者を持ってくることになると存じます。その世界では未来の現在も現在の現在としてそんざいしているのでしょう。存在の根因者と存在させる、当為価値理念を確信することが要請されるのでしょう。勝手な言い回しに成り、読みにくいけど許してください。

この回答への補足

>存在の根因者と存在させる、当為価値理念を確信することが要請されるのでしょう。

これは多くの真理や、過去、現在の言葉が、将来や現在の苦を小さくし、楽を得る為のものであるということだと言うことなのでしょうか?

補足日時:2007/05/08 15:40
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それほど確固たる根拠はありませんが私は記号及び記号作用から考えてみるのも一法かと思います。

記号(言葉が一番良い例でしょうが)というものが存在するだけだと記号はモノより存在の根拠(いわゆる実在性あるいは実在感)が「薄い」ようですが、記号が作る体系の存在はモノの存在と同じくらい根拠がしっかりしています。つまり前提(の存在)を忘れていられればすべて実在性が信じられるのだということです。モノだって素粒子や紐(紐というのはモノですが、これはとんでもないことですね。紐が素粒子からできているというのが常識ですが、素粒子が紐でできているというのですから)こんなことを書いていますがこれも記号の実在性によって支えられていることだと思います。長々とすみませんでした。
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この回答へのお礼

>つまり前提(の存在)を忘れていられればすべて実在性が信じられるのだということです。

 ちょっと、前提の存在がなければ、それが本当にあるかは完璧には信じられない感があります。回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/08 15:35

『自分は「断定口調」を使うけれど、それは便宜上使っているのであって、正確には「~かもしれない」の部分を含んでいる』ということを自覚していれば使うことができます。

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この回答へのお礼

>『自分は「断定口調」を使うけれど、それは便宜上使っているのであって、正確には「~かもしれない」の部分を含んでいる』ということを自覚していれば使うことができます。

あ、そういうことですか。なんかすっきりした感じがします。回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/06 21:17

まず、自分が今存在していることには気付いていますか。


気付いているなら、現在があります。
自分を産んだ母親の存在を信じていますか。
信じられるなら、演繹法でご先祖様がいることを信じられますね。
これは、過去の存在を意味していると断定できます。

他の方法としては、考古学、地質学、史学のどれかを極めてください。
これで過去がわかります。

所で、私は過去現在は存在しているのは信じますが、一瞬にして現在が
消えるというより物質が消えることもあるかと思っています。
何故かは、現在出来ている原子、陽子、中性子、電子は素粒子から出来
ています。
さて、この素粒子は何から出来ているが繰り返され、最後に光(エネルギー)
が放散されてその物質は光となり消えると考えています。
ビッグバンはその膨大なエネルギーの放出で素粒子、・・・原子が作ら
れた物と考えています。
何時かは、この宇宙は再度全てが光となり消滅し結集し、それがまた大
爆発を繰り返しているのではないかと考えています。
はて、今回人類はこのイベントから抜けられるかどうか、もし生き延び
られれば、宇宙の歴史を証明できるでしょう。人類が途絶えたら残念な
がら宇宙の歴史を極めることは出来ません。
そのとっくの昔に私は死んでいますが・・・・・
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この回答へのお礼

>はて、今回人類はこのイベントから抜けられるかどうか、もし生き延び
られれば、宇宙の歴史を証明できるでしょう。人類が途絶えたら残念な
がら宇宙の歴史を極めることは出来ません。

自分としては人類が絶滅しても、宇宙が変化し続けることを証明したいですね。人類が絶滅するのって結構可能性高そうですしね。回答ありがとうございました。
 

お礼日時:2007/05/06 21:21

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