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超難題クイズ・・・ 日本の対外関係

役に立った:3件
  • 質問者:zeno_kk
  • 投稿日時:2007/05/12 19:41
  • 困り度:すぐに回答が欲しいです

大学で日本の対外関係に対するクイズが出されたのですが、自分に基礎的な歴史の知識がないため、かなり苦しんでいます。

クイズの内容は

・8世紀の中盤
・14世紀の終盤
・17世紀の終盤から、18世紀の序盤
・20世紀の中盤

において、日本は外部からの圧迫をうけた。それに対する日本の対応とそれによる日本のイメージへの関連性を答えよといったものです。

個人的に14世紀終盤の圧迫は「元寇」のことかな、と思うのですが……

クイズの原文は、以下の通りです。

Japan has felt threatened by the outside four times during the pre-modern period: in the mid 7th century; in the 13th century; in the late 16th and early 17th centuries; in the mid 19th century. Briefly describe each of these threats, Japan's response, and how these responses may be related to Japan's self image.

どんなことでも構いません。「おそらくこのことでは?」といった指摘がありましたら、是非知恵をお貸しください。

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No.4ベストアンサー20pt

  • 回答者:Roman0
  • 回答日時:2007/05/12 21:26

 「日本のイメージ」という言い方をすると非常に誤解されやすいですね。原文が Japan's self image、つまり日本人による日本のイメージですから、「日本人の国家観」とか「日本人の日本観」とか「日本人の愛国心」などと捉えた方が良いです。
 内容が外圧による自己イメージへの影響ですから、外に対する内という対立関係が明確な話なので、「愛国心」という意訳ができます。そもそも、「外」があって始めて身内という認識が生じるわけですし。

 で、これはサヨクが歪んだことを言いそうな質問ですね。

 少なくとも私はまともな回答を書きますので、歪んだ回答があったらよく比較して下さい。

in the mid 7th century
 朝鮮が高句麗・百済・新羅に分裂していて、唐と競り合っていた時代です。百済には日本の身内がいて、分家のような内府という役所もあったのですが、真っ先に潰されました。しかし、残存勢力は日本にいた百済の余豊璋王子を擁立して百済を再興しようとし、日本に余豊璋の帰国と援軍を求めました。
 日本はその求めに応じ、朝鮮に軍を送りますが、最終的には有名な白村江で大敗し、軍を引かざるをえなくなります。このときの敵は、新羅と唐でした。
 この結果朝鮮に残ったのは新羅と高句麗です。もし高句麗が新羅・唐連合に潰されたら、次に連合が侵略の手を伸ばすのが日本であることは、火を見るより明らかでした。

 そんな状況でしたから、日本はもともと進めていた大化の改新による中央集権化を更に推し進めることになります。聖徳太子が既に隋に対して対等外交を目指し、隋を中華とする柵封体制から脱却しようとしていた動きがありましたが、この柵封体制連合を明確に敵と意識し、自主単独防衛の体制に入っていきます。
 なお、その後実際に高句麗は滅ぼされるのですが、その直後に新羅が唐を裏切り、唐と抗争を繰り広げます。そんな中で天智天皇は、どうやら親唐外交をしようとしていた節がありますが、後を継いだ天武は新羅と結んでいます。実際、この時期遣唐使はくなっており、新羅とは年一度の交流をしています。新羅を背後から支えて唐の防壁とする外交政策を取ったと考えられます。
 その結果、日本侵略は行われませんでした。

in the 13th century
 元寇ですね。元のフビライの命で、元と朝鮮の軍隊が二度、鎌倉武士と戦いました。
 初回のときの元は、南宋とも戦っており、日本侵攻には南宋を日本が支援すると厄介だからあらかじめ潰しておくか動けなくしておくという戦略がありました。二度目は、無事南宋も潰したので南宋に向けていた軍隊が明き、また南宋軍で降伏した軍隊もあったので、これを消耗させ、また勝ったら占領地に屯田させる戦略がありました。さきの百済の残党のように、降伏したとは言え南宋再興のために蜂起などされると困るからです。微妙に、戦略目的が異なりますね。

 結果は、ご存知のように両方共に、鎌倉武士は勝ちました。
 ただ、ちょっと困ったことに、台風で勝った要素が無視できません。これにより、日本は天佑神助のある国であるという自己認識が生まれたと言えます。ちなみに当時この台風は「大風」と呼ばれており、「神風」と呼ばれだしたのは第二次大戦の頃です。

in the late 16th and early 17th centuries
 黒船ですね。
 アジア市場への足がかりと、捕鯨船の水と燃料を補給する基地が欲しくて、アメリカが日本を開国させた事件です。むろん米国だけでなくヨーロッパ各国も日本と国交を結びます。細かい経緯については本当は、大川周明の「米英東亜侵略史」などを読むと良いのですが。
 なお、当時のアジアは、ほぼヨーロッパ列強の植民地とされていました。それを知った日本人の一部が、植民地にされるわけにはいかないと考え、維新志士(の一部)となり、明治維新を成し遂げました。
 当時の世界は、列強と植民地という単純二分法でほぼ理解できる世界でしたから、植民地が嫌なら列強になるしかありません。列強とは強い軍隊を持っている国々のことです。そして、当時最強の軍隊を持てる国家形態は、ナポレオンに始まる「国民国家」でした。それ故に、明治の元勲たちはフランスやプロイセンに学んで日本を国民国家として大改造する道を邁進しました。
 その結果、かなりの成功を収めます。日露戦争においては、世界で始めて白人国に勝利した有色人種国として列強の一角をなすまでに発展することができました。強烈な国家意識が、おそらく初めてこのとき全国民に生まれたと考えられます。

in the mid 19th century
 アメリカで起きた経済恐慌により、全世界が不況の波に飲み込まれ、その対策のため欧米はブロック経済圏を作りました。協定を結んだ国同志での関税は安く、それ以外からの輸入は高関税をかけるという、締め出し政策です。その中に入れなかった日本は輸出が困難になり、生きる道として独自のブロック経済圏を東亜に作ろうとしました。満州国もその一部です。が、その東亜市場をアメリカやヨーロッパ諸国も欲し、そのためABCD包囲陣が作られて日本は経済封鎖され、日干し状態になります。
 これを打破するために、日本は大東亜戦争を戦いました。

 結果、敗戦するわけですが、その結果、勝者による復讐が行われました。ドイツに対する二度のニュルンベルク裁判と、日本に対する東京裁判です。
 事後法で裁いたとか、連合国の方が酷い戦争犯罪をしているとか、そういう話は山ほどあるのですが、それ以上に強烈だったのが、War Guilt Information Program という GHQ の政策です。日本は民衆が抑圧された悪の帝国であり、アメリカによって自由と民主主義が与えられたという嘘が、プロパガンダとして徹底的に報道・教育・出版の世界で流布されました。
 その結果が、現代です。戦前の日本は暗黒だったという歴史観が刷り込まれてしまいました。現状、刷り込んだ下手人のアメリカはさほどでもありませんが、共産党中国は今も言い続けています。ソ連も言っていましたが、今は無くなっています。しかし、アメリカの下院で性奴隷問題などと言ってプロパガンダを持ち出す者がいるなど、根は残っているようです。たとえ、マイク・ホンダのスポンサーが共産党中国であるとは言え、土壌の無いところに芽は生えないものです。

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この回答へのお礼

Roman0さん、とても参考になる意見、本当にありがとうございました。
特にmid 7th centuryの事柄は全く見当もつかないことだったので、ものすごく勉強になりました。指摘した年代がズレていて申し訳ありませんでした。でも細かい回答に時間を割いて頂いて本当に嬉しいです、それぞれの事柄に対する文献を探してみます。ありがとうございました。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:tanuki4u
  • 回答日時:2007/05/12 20:42

英文を日本文にした段階で 1世紀ずれているのはなぜでしょうか?

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この回答へのお礼

完璧に、勘違いしていました。指摘して頂いてありがとうございます。

  • 参考になった:0件

No.2ベストアンサー10pt

 おもしろそうな質問ですね。英語も歴史も専門家ではありませんが、回答させてください。
 英語のことは詳しくありませんが、元寇は1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)です。ひょっとすると、クイズ内容の世紀は、1世紀ずつ前ではありませんか(そうであれば原文とも、数字が一致します)。その仮定で回答します(間違っている場合は、以下は無視してください)。

・7世紀中盤
  日本(大和政権)・百済(朝鮮半島南西部にあった国)と唐(中国の王朝)・新羅(朝鮮半島の東部にあった国で後に朝鮮半島を統一)が戦っています(白村江の戦い 663年)。日本・百済連合軍は破れ、百済は滅亡して、日本は防衛のためにいわゆる倭城を作っています。
・13世紀終盤
   元寇(前述のとおり)。防衛施設として、防塁を建設。
・16世紀終盤から17世紀序盤
   武力行使は受けていませんが、キリスト教徒が増加した時期です。豊臣政権・徳川幕府共、キリスト教禁令を出しています。なお、1637年には島原の乱が発生しています。
・19世紀中盤
   ペリー来航他各国使節の来訪。中国(清)のアヘン戦争の敗北の後でもあり、防衛上の問題にもなっています。内政問題として、尊皇攘夷派と開国派が対立しました。

 どの出来事からも、日本は鎖国的な政策や、それを主張する勢力がでてきています。そのことを言っているのではないでしょうか?大学レベルですので、もっと深い考えをしないといけないかもしれませんね。ね。

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この回答へのお礼

確かに、防衛策に通ずる事柄に徹していますね!!
大変参考になりました、ありがとうございます。明日、図書館に行って調べてみるつもりです。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:kokoreko
  • 回答日時:2007/05/12 19:53

宿なし大学?どんな大学でこんなクイズを出す?
題はどんな感じかな
はっきり言って
自習で解決するレベルでは
分単位で解決するんじゃないかな
できるだけがんばってもいいんじゃない
やりおえたときの爽快感といったら、、、
れんしゅうだと思ってほしい

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