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 みなさんに教えていただきたいです。
 「知る権利」は憲法21条で保障される、というのが通説・判例です。その「知る権利」について、「20世紀になると、社会的に大きな影響力をもつマス・メディアが発達し、それらのメディアから大量の情報が一方的に流され、情報の「送り手」であるマス・メディアと情報の「受け手」である一般国民との分離が顕著になった。そこで、表現の自由を一般国民の側から再構成し、表現の受け手の自由(聞く自由、読む自由、観る自由)を保障するためそれを「知る権利」と捉えることが必要になってきた。」(憲法第3版 芦部信喜)と知る権利の趣旨について書いています。表現の自由を一般国民の側から再構成するというのは、理屈として何となくは分かるのですが、趣旨の中で、「聞く自由、読む自由、観る自由を保障するため」というのがわかりません。「聞く自由、読む自由、観る自由」って何なのでしょう。これが問題になったことはないように思うのですが。理解している方、教えてください。お願いします。

A 回答 (1件)

基本的に、「聞く自由、読む自由、観る自由」ってとどのつまり、13条の幸福追求権から派生して来ているのではないでしょうか?



当然条文にはそんな自由はないですから、困ったときは幸福追求権とLRAで何でもかんでもやっちゃうしかないですな。聞く自由があるっということは表裏一体で聞かない自由もあるはずです。私が勤務する町では選挙カーが「みなさま、どうか○○に清き一票を!」みたいな選挙の連呼が禁止されています。これも聞かない自由が行政に反映した帰結です。

芦部先生以外にも有斐閣の憲法とか、ファンダメンタル憲法、ちょっと難しいですが、佐藤幸治の憲法なんかも読んでみるといいと思います。

事例系なら、芦部先生の「憲法判例を読む(ちょっと著名に自信ないな…でもこんな感じだったと思う。確か芦部先生お得意の岩波書店のもの)」とかも見てみてはどうですかな?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
なるほどですね~。「聞かない自由」は考えませんでした。少し霧が晴れました。もしよろしければ、補足の質問をしてよろしいですか?

知る権利は受け手の自由を認めるために表現の自由を再構成したものでした。それはつまり少し乱暴な言い方をすれば、「受け手側の権利を認めてやろうよ、俺たち聞きたいんだよ(視たいんだよ、読みたいんだよ)」ということから、受け手側の権利を認めようと、しかし、そうはいってもそれが具体的請求権となるには具体的請求権を認めるべき立法がなされないといけない。つまり知る権利は抽象的権利だというのが通説、と理解して良いのですか?

聞く自由(観る自由、読む自由)が侵害されたという話を聞いたことがないので、「表現の自由を一般国民の側から再構成する」というがあまりイメージできないのです。

あとお薦め頂いた芦部先生の「憲法判例を読む」近いうちに読んでみたいと思います。

補足日時:2007/05/16 18:25
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