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こんにちは。今大学の授業で「離婚」についてのプレゼンを製作中です。
主な題材は離婚で有名な(笑)ヘンリ8世なのですが、この授業は比較文化なので、日本と比べないといけないのです。
そこで質問なのですが、日本でもヘンリ8世のように幾度も離婚を繰り返した武将はいますか?また、当時(室町時代)の離婚に対しての概念はどんなものだったのでしょうか?

A 回答 (4件)

離婚を繰り返した有名大名なら「大友義鎮(宗麟)」などいかがでしょうか。


 一色夫人---家督相続の時に離婚、理由不明
 奈多夫人---信仰上の対立(神官の娘ですから)キリスト教が嫌い
 吉弘菊姫---添い遂げる(側室)

お次は朝倉義景
 細川晴元の娘---死別
 近衛稙家の娘---子供が生まれず離縁
 これ以外に側室数人(小宰相など)

これ以外ですと、1回くらいはざらで、浅井長政(織田信長の妹婿)や松平広忠(徳川家康の父)など様々です。

戦国大名の場合はやはり政略結婚ですから、政治的な問題で離婚することが多く、また正妻以外に側室を置くことも普通で、織田信長の子供などは誰がどうなっているのか判らないほど複雑です。
大友義鎮もキリスト教嫌いの妻と離婚してからは、側室と仲良くやっていましたし、ヨーロッパのように女性も相続権を有する国とは事情が違うと思います。
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この回答へのお礼

やっぱりヘンリ8世の話は滅多にないから有名なんですね。ちょっと違う視点からのプレゼンにしようかと思います。
アドバイスありがとうございます!

お礼日時:2007/05/17 18:18

日本でも西洋でも、結婚は政略結婚ですから、離婚となりますと相手の実家との決別、戦闘状態となりますから、簡単には離婚できません。



ヘンリー8世の場合も、離婚によりスペイン、ネーデルランド、オーストリアと戦闘状態に突入しています。
日本の場合、離婚が原因で戦闘状態となる事はありません。
これは、側室制度があるため、夫が妻との交渉を絶っても問題が少なかったためです。
(武田信玄と正室の三条夫人とは、仲が悪かったが離婚はしていない。)
逆に、敵対関係になった場合、夫婦仲がどんなに良くても離婚となりました。
(武田信玄と北条氏康が戦闘状態になったとき、氏康の嫡子氏政の正室信玄の娘である黄梅院を信玄の元に送り返しています。氏政自身は、離婚したくなかったのですが、敵となった信玄の娘を置いておく事ができなかったようです)
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この回答へのお礼

う~ん・・・離婚を題材にしたプレゼンは難しいかもしれませんね。ヘンリ8世の話が好きなので、ぜひ関連させてやりたいのですが。
アドバイスありがとうございます!

お礼日時:2007/05/17 18:16

近世まで女性の一生が記録化されている事はまれで、最後まで政治に絡んだ北条政子や北の政所は特殊例です。

有名な信長の正妻濃姫は、最終的にはどうなったか明確でありません。また正室の子供が相続すると言う事も、様々な暗闘があり適者が選ばれていた戦国時代が終了してからルール化されたもので、家光の将軍就任時がそれを明確化したものと言われています。
従ってそれまでは、「離婚・離縁」を言う必要も無く、遠ざける・追放する・殺すと言う形で処理されていました。家康の正妻が正式に(?)殺されたのは政治問題がからんだからで、離縁が記録化される様になったのは江戸時代からです。
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この回答へのお礼

そうなんですか。やっぱり歴史を調べるのって難しいですねぇ・・・。本当に短いプレゼンなのでそこまで話せるかどうか・・・際どいです。
ありがとうございます!

お礼日時:2007/05/17 18:14

離婚を繰り返した武将は寡聞にして知りませんが、離婚をくりかえした女性としては、最終的に秀忠の正室になったお江が有名ですね。


ヘンリー八世の場合、正妻しか認めないローマカソリックの教義と、正嫡子にしか相続を認めない欧州の問題があり、離婚をくりかえしました。
日本には、側室OKで、養子もOKなので、正嫡子を作るために離婚して再婚するというモチベーションは沸かなかったと思います。
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この回答へのお礼

なるほど!確かに大奥とかありますもんね!
回答ありがとうございます!

お礼日時:2007/05/17 18:13

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