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笑いについて自分の考えを述べるので意見ください。

まず大前提として芸人は女性では無理だと思います。なぜならどうしても性的な目線になってしまうからです。
本人がそうじゃないといっても、見てる側が意識しないようにしても、男性なら生理的に自然にそうなってしまうので無理です。
どうしても笑いと違う事になります。集中できません。つまり心から腹痛を起こすほど笑えません。
女性であることをネタにした、例えば結婚ネタとかもてない女役がどうのこうのというのも笑えません。
上記と同じ理由もありますが、女としての売り込み部分というのをどうしても感じてしまうからです。

次に笑いを楽しむ上で重要なのは笑いのレベルだと思いますが、高いレベルの笑いとは放送できない笑いです。
ですからテレビで受けている笑いは、安全な牙の抜かれた笑いだと思います。寿司でいうならわさび抜きです。女子供向けです。
現在流通している笑いは、笑いの本質とはかけ離れたものだと感じます。
お笑い芸人ではなく、お笑い劇場だと思います。
そこでは支配人や、支配人関係者の名前に傷がつくような笑いは禁止されます。
笑いの本質は「風刺」や「本質を瞬間的に見抜くこと」と思うのですが、現在笑いを提供する場を考えると
とてもじゃないけど本物の笑いは無理だと思います。

全否定しているわけではありません。基本的に日本の笑いこそ世界一だと思います。
常識の土台がないと非常識が成り立たないので常識がしっかり浸透していないと笑いにならないからです。
アメリカや北朝鮮で「~という理由で人を殺した」と言っても、「ふーん」で返されると言うことです。
これはつまり風刺や、本質を叩いても、どれだけ安全かという笑いを提供する側の環境の話でもあるのです。
そういう意味で日本が一番安全だから一番笑いが発展したと思います。

逆を言えば笑いというものは大変危険なものなのです。
例えていうならお笑い番組のスポンサーとして名乗りを上げるならば、
お笑い芸人に自社の製品をぼろくそにこき下ろされる覚悟を持つぐらいのことだと思います。
そして恐らく今後、そんなスポンサーはいないでしょう。

つまりテレビとかDVDとか自分が笑いに刺し殺される覚悟のない奴が提供した場所に本当の笑いはないと思うのです。
逆に笑いのためにスポンサーに立ち向かう覚悟のある奴も見あたりません。
そもそもそんな緊迫感すら笑いの場にはいらないはずではありますが。

日本は最近、常識が薄れてきております。こんな土台の上に本当の笑いなどもう望めないのではと悲しくなります。
最近腹を抱えて呼吸が苦しくなるほど笑ったことありますか?
世界の数ある国の一つに成り下がってしまうのでしょうか。日本の笑いはもう終わりなのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

確かに....。

おっしゃることがよくわかります。

ただ、女芸人の存在自体については、否定しません。
性的に見てしまう男性がいるとしても、視聴者はだんせいばかりではないし、女性にとっては、女捨てた芸は、時に、自分たちが決して出来ないこと、言えない事を代弁、代行してくれていたりするので、お笑いだから笑わせるということに限らず、自分たちがコンプレックス抱きそうな事に我慢して見栄はるよりも、堂々とチャムポイントにしたりしているのには、癒されたりも、勇気も賞賛されるかも知れませんから。

ただ、さっきも一言がっかりした感想を書いてきましたが....
森三中の大島さんには、がっかりさせられましたね。
『10匹のこぶたちゃん』という 楽しそうな番組が始まったと思って、楽しみに見ていたところ、あれはお笑いじゃあない。
公共電波私物化。旦那さんが有名な番組制作者だからって、自分のだんなさんの立場守るためとはいえ、内輪以外の視聴者に発信している番組であることを忘れるのはプロとは言えません。個人的トラブルの攻撃を公共電波でやらないで。
関係のない視聴者は、いきなり汚い暴言くらって、非常に迷惑で不快な気持ちになりました。
そんなの、芸人同士、電波使わないところで解決してほしいですよね。
それで上戸彩をほめる発言、て、同じ夫婦同士で業界牛耳ってる者同士、なんか勘違いしてるのではないかな?
と思わざるを得なかったです。
どんなに 出演依頼が多い時期のタレントさんだからって、けじめはつけて欲しい。
お笑い芸人と 作家夫婦だから、女優とミュージシャンだから、とか業界人間同士だからって何やっていいってことないですよね?
森三中 大島さんはお笑い芸人なのに、今夜の暴言は、見ている人にいきなり暴力ふるうようなふるまいでしたから。。。
自分たち以外の人たちが関わっていることを主張するなら、自分も公共電波私物化したり、関係ない人たちを傷つける発言を 夫婦で業界の中心人物になっているから、とか気が大きくなりすぎているとしか思えない言動して。
反省して謝罪すべきですよね。

他のご夫婦やご家族、二世、三世タレントさんたち、視聴者を不愉快にするような決してそんなプロ意識忘れたことする人はいません。
応援してくれているのは 家族だけじゃないこと、の意識が低過ぎると思いました。
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 私も昔は“笑い”とは誰かをバカにすることだと思っていました。

他人をバカにするか自分をバカにするかの違いで、下品・上品の違いが出るのだと。しかし、右脳・左脳について書かれた『右脳革命』T.R.ブレークスリー著、大前研一 編訳(新潮文庫)を読んでから、その後“笑い”についての考え方が変わりました。
 ご存知のように【左脳】は言語や論理的思考の中枢であり積み上げ思考、【右脳】は映像・イメージの中枢であり瞬時思考 です。この左脳と右脳を脳梁<のうりょう>が結びつけています。(正確さを欠いていると思いますが賢明な読者諸氏の忖度に助けていただければ幸いです。)
【左脳】は「優先脳」とも呼ばれ、いわゆる理屈屋です。【右脳】と言い合いをすれば言い負かしてしまいます。しかし、スキーで谷足加重とか理屈で滑るより【右脳】の感覚に任せた方がうまくいく事もあるのです。このようにヒトには2系統の違った思考回路があり、どちらが正しいか、向いているかは、その対象となる事象の性質によるのです。また互いに補い合い、正しい判断ができるようにしているのです。
 さて、前田健の松浦亜弥のものまねについて考えましょう。まず反応するのは瞬時思考の右脳です。
 【右脳】似てる!(非言語思考で)     それに対して、理論派
 【左脳】あほか!あいつ男やで、あややに似てるわけないやろ。
 【右脳】そんでも、なんとなく似てる。
 【左脳】そう言われればそうかなぁ。でもあいつオッサンやで。
このように、右脳と左脳で情報がキャッチボールされて、現状を正しく認識しようとするのです。脳がしゃっくりしているようなものです。電気でいうと発振回路、音でいうとハウリングです。どうです、お腹をかかえて笑うイメージにぴったりでしょ。島田紳助はおかしな例えをします。若手芸人が藤原紀香にアタックするのを「セスナで航空母艦に突っ込む」と言いました。このように、右脳と左脳でやりとりが多く行われる“笑い”が大笑いできるのであり、このやりとりが1回で終わるのがクスリとした“笑い”なのです。この考えは私TAMORIDESUのオリジナルです。どうでしょう?
 
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この回答へのお礼

遅れましたが面白い意見ありがとうございました。
私の考えを述べると、脳が一つの物事を捉えるとき、そのキャッチボールの回数というより右左脳の理解の差が笑いかなとも思いました。
一回で終わっても大きな差があれば大笑いに繋がるとも思います。島田紳助はその差を作り上げる思考スピードが速いのだと思います。
左脳で捉える事が速いのはカタブツ、右脳が速いのは芸術家、とすればその両方の目を持ち、捉えた情報を素早く混ぜ予想もしなかった新しいものを作り、相手によって速度のコントロールやタイミングを調整できて投げれる才能が笑わせ屋なのかなと。
しかもそれを作り出す際に密かにペッペッと自分のツバを混ぜ込んでいたりする場合は秀逸かなとも思います。或いは投げたフリして近づいてコッソリ相手のポケットに入れたり、それが時限爆弾のようになっていたり・・・。その手法の幅が笑いの幅にもなるかなと。

お礼日時:2007/10/17 01:45

何かレスポンスがもらえたらうれしいです。



堂本兄弟って面白いですか?
という問いをしてみます。よく聞いていると、あれはかなり偏狭な笑いです。ゲストの質問コーナーなんかで顕著ですが、ゲストの趣味なんかが変わっていたりすると笑いますよね。それは、「趣味とはこういうものだ」、という前提がレギュラー陣や、お客さんの中にあってそれからずれているから笑うのだと思います。そこに、「こんな趣味もあるんだ」といった多様性を認める姿勢はありません。彼らのキャラクタは好きだけど、笑いは今一つじゃないですか?
最近こんな経験がありました。僕のいるのは、30万人ほどの街です。夕方から雨が降って、昼は暑い日なので大学ではTシャツを着ていました。そして、アルバイト先に夕方傘をさして向かったのですが、その途中でなんか何人もの見知らぬ通りすがりから笑われました。おそらく、少し肌寒い雨の中にTシャツでいるのがおかしかったのかな、と思いました。うがった見方ではありますが、笑った彼らは「昼は暑かったからなあー」という発想ができないんだな、と思いました。
笑いでさえも、目の前の現象しか対象にしない刹那的なものになりつつあるのかも知れないと考えてしまいました。言いあらわしづらいけど、笑いというのは目の前を対象にしていればいいものではないと思います。
「太った、痩せた」とか「ケチになった」とか「この前は、」とか本来、笑いには時間関係が必須です。そして、練られていない、その場限りの笑いが豊かなものであるはずはないと僕は思います。
あと、「こんなやつもおるなあー」という多様性、「変なやつ」を否定することによってそいつを認めるという逆説も笑いですが、それも失われている気がします。

>日本は最近、常識が薄れてきております。こんな土台の上に本当の笑いなどもう望めないのではと悲しくなります。

常識が多様化したというのが正しいのかも知れません。例として女性にしてみたところで、結婚している女性、キャリアウーマンでバリバリ仕事している女性、共働き女性、高学歴な女性、金にしか興味を持たない女性、秋葉原に入りびったっている女性、モテない女性、遊びまくっている女性、メンへル系女性、・・・・とかいろいろ思いつきます。(もちろん男性もいろいろある)
これらの女性の価値観、趣味、志向性、すべて違うでしょう。笑いは常識からのずれを楽しむ部分もあるので、常識が画一化していた時代(戦後焼け野原、戦後復興、高度成長)、つまりはみんなが同じ方向を向いていた時代には、老若男女みんな笑えるというのがあり得ましたが、常識が多様化すると、それは期待できなくなります。一つのビデオを見せても、必ず白けてる人間が出てきます。
だから、共通の笑いと呼びうるものとしては記号を比べる笑い(例:東大・三流私大、もてるやつ・ダサい男、この問題が解ける・解けない、何々が下手・上手、ある宗教の信者・一般人、この言葉を言う彼氏・言わない彼氏など)しかないんじゃないでしょうか。
これはとっても空虚です。多様性を認めるのではなくて、2つを対比させ、引き放つからです。
なんだか世の中が2言論に凝縮して行っている感じがして嫌です。個性でも何でもありません。二つとも認め、自分の知らない世界の方は無視して干渉せずにそっとしていてあげる、それが多様性を認めるということかとおもいます。

ダウンタウン
僕の考えですが、彼らは独自の世界を作ることで(つまり、一般人の誰も知らない世界・常識)、価値観・常識の違いを克服してきたのではないでしょうか。僕が思い浮かべるのは、松本が突然大声をあげて暴力をふるったり(キャシー塚本のコントなど)、アニメキャラをデフォルメしたかぶり物で登場するコントなどです。あとは、TV業界の事情の笑いとか(スタッフを番組に参加させている、裏方的な場面を映す:ガキの使い)。これまでの笑いにはなかった笑いだと思います。
島田しんすけが、面白くない芸人がたくさん出てきたらダウンタウンのせいだ、ということを言っていました。(本だったかな?)
それは、つまり彼らの独自の世界観をまねるような芸風の芸人のことです。(ダウンタウンの独自の世界を真似て、エキセントリック(風変わり)なことを言ってみたところで、なにも面白くありません。たぶん、ダウンタウンは独自の世界観の設定や、見せ方、従来からの笑いとの親和性、馴染みやすさ、間、などが絶妙なのでしょう。だから、意味不明な内容のことをやっていてもそれなりに面白いのだと思います。)
ただ、最近松本がなんだかトーンダウンしてきた感じがします。彼も、もう「独自の世界」が終わりつつあると感じているのでしょう。今はもっと、アート・空想的なものではなく、実利・現実的な事柄を題材にしないと受けないのかもしれません。笑いが受けなくなっても、たけし監督みたいになれるといいんですが。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
番組については前提に誰をターゲットとしてるかがあると思います。沸点の低い笑いで満足する人、或いはファン向けの番組だからでしょう。出演者もそれを分かっているという双方合意の場があるのではと思います。
世間については例えばいじめなどは多様性の否定という構図の良い例だと思います。世に蔓延した「想像力の欠如」の例です。因みに貴方を笑った人達を笑わすのは非常に容易な事です。彼らに想像力を求めても仕方ないのでそれより自らを磨く方が大事と思います。
一方現代多様化した価値観が大多数ならばマイノリティの集合体の状態とも言えます。ですが時代がどんなに変わっていっても常に自らも変化し続けながら自分の意図した位置に居続けることができるのが笑いの才能ではないでしょうか。
又「無視して干渉せず」が適切かどうかは相手を見て判断した上でそうならそうだと思いますがTPO含めこの辺は人それぞれだと思います。
ダウンタウンの笑いについては全てではないと思いますが、やってきたことがその各時代において程良い(ある一定の人は追いつける)笑いだったのではと思います。笑いを作ることに長けた人にとってはむしろこの速度調整こそ難しいところだったと思います。
「面白くない芸人がたくさん出てきたらDTのせい」これはDTが自然体でさも簡単にやってのける様に見えるから、実際に自分にもできると勘違いするのが大量発生すると言うことなのかも知れませんね。ある俳優が「あんな演技楽勝だ、自分だってできる」と客に思わせたら良い演技ができてるという話があったのですが、それと同じ事かも知れません。
>松本トーンダウンたけし監督みたいになれるといい
これら世論はガソリンになるはずです。ある意味MなSというか。DTが好評価されていた時代は速度調整が狂っていたおかしな時代だったのではないでしょうか。狙ってやったならまだしも大多数から賞賛されるはずがないですから。このぐらいでセットポジションといえるのかもです。
又、特定の誰かを目指す事はないでしょうからたけし監督みたいになりたいとは思っていないと思います。同一カテゴリでも同じ紙と鉛筆を持っただけで価値観・固定観念の破壊や新しい視点の提案等が持ち味かと。そういう意味で楽しみです。

お礼日時:2007/06/23 16:20

40代男性です。


幼少期にクレイジーとドリフで育ち、高校生の時にマンザイブームと
ビートたけしの洗礼にあった者です。今でもほとんどのお笑い番組は
見ています。20代までは首都圏に住んでいたので、それなりにライブも
見れましたが、現在は地方在住なので残念ながらライブを見に行くことは
できない状態です。

質問者様の言わんとしている事に対してかなり共感を覚える部分はあるの
ですが、若干異なる部分もあるので回答させてもらいます。

>まず大前提として芸人は女性では無理だと思います。
これはどうかなと思います。過去には、かしまし娘、内海桂子・好江、
海原千里・万里等の素晴しい先達がいた訳だし、性的うんぬんを持ち
出さなくても笑いは十分あったと思ってますよ。今の人で言えば、
清水ミチコなんかすごいと思いますけどね。
あと、お礼の中で森三中の大島の事を書かれていたけど、あれは僕は
腹抱えて笑いましたよ。確かにあのシーンで笑いじゃなくて性的興奮を
覚える人もいるだろうけど、万人に向けての笑いなんて所詮無理な訳で。
逆に上島がチ○ポ出したシーンで興奮しちゃう女性もいるんだろうしね。

>高いレベルの笑いとは放送できない笑いです。
これはあなたの決め付けかもしれないな。確かに僕も若い頃は、同じ
ように思った時期もありました。スネークマンショーなんかその最たる
ものだと思うし。ただね、笑いってそれだけじゃないと思うんだよね。
毒がある笑いって言うのは確かに面白い。だから逆に毒を盛ればいいのか
って事にはならないと思うし、毒は時代に合ってないと逆に面白くなか
ったりする場合もあると思います。例えば、ひょうきん族と全員集合が
しのぎを削っていた時期があるんだけど、今、その両方がDVDになってます。僕の子供に両方を見せたんだけど、ドリフに圧倒的な軍配を挙げる
のですよ。それで思ったのは動きで見せる笑いっていうのはある意味
普遍的なのかと。
だから、風刺的だけじゃない笑いってのも有りなんじゃないかな。

今のテレビ番組は確かに自主規制が多すぎて、芸人さん達が自由に
パフォーマンスできなくなっているし、おかげでトーク番組的なものが
増えざるを得ないし、いわゆるヒナ段芸人なんてものあるんだろうと思う。ただそういう規制を求めちゃったのは結果的に我々視聴者なんですよね。くだらない「常識」って名の下にね。

この回答への補足

過去の女性芸人の笑いについて追記ですが当時の世の男性の性の幅がごく限られていた為、笑いが成り立つ部分があったのだと思います。それはつまり世の男性が女性芸人に「女として見れない」と太鼓判を押してあげている状態です。だからこそ例えば甘える演技や自分はモテるなどというのが笑いになるという構図です。これは笑わせるのが実にチョロい状態があらかじめ用意されている構図ですね。今は性趣向の幅が広がりそういう女も「アリ」の世です。ですからこのような女性も結構不利なのです。恐らくですが現在上沼恵美子が写真集を出したら世に蔓延する熟女フェチが買い漁り、いい売り上げになるでしょう。ふと思ったのですが今私が考える笑いは非常にマイノリティの世界なのかも知れません。放つ方も特殊な人間であれば、それを受け取れるのもごく限られた少数の人間。一般市民が受け取ると大やけどしたり泣き叫んだり、引いたり、あるいは理解できなくてキョトンとしてしまう世界なのかも知れません。私は上記で前に回答があったようにそれは言ってはいけないことであるとかそういうドギツイ世界からこそ本物のニオイを感じるので。この危険なところをギリギリでえぐり取って客に投げつけるのが私が大笑いする笑いです。多分理解されないんでしょうけど(その瞬間客席で笑うのはわずかだと思います)。又、現代の客の(世間の)モラル低下が進むのは、笑いの世界に身を置く人々にとって前述した「女性芸人にとって男の性趣味の幅が広がる」のと同義です。ボケがボケになりにくくなるのです。笑いは常に世の先を行くのですが現代のように頭のおかしい人々だらけの世の中ではその先の笑いに手を伸ばそうとしたときそこは放送禁止の領域しか残ってないのではないでしょうか。

補足日時:2007/05/19 19:32
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この回答へのお礼

>過去には性的うんぬんを持ち出さなくても笑いは十分あった
過去は笑いがまだ研ぎ澄まされてなかったと思います。又「性」が広く大衆に受け入れられていない時代背景もあったかと思います。熟女フェチ、デブフェチ、SM・・・多様な性が認知された現代の客視線(あらゆる女性が性対象の可能性アリ)に、ほぼ純粋に(言うならば性を使っても)笑いの部分で勝負できるのは男性のほうだと思うのです。女性は居ると楽しいタレントとしてできるだけ多くの人から人気を得るのは可能だと思います。だからこそ逆に「笑い」で勝負するのはそういう意味で非常に難しいとも言えます。まず女性側に性では絶対勝負しないという半端じゃない決意・自負・覚悟、プライドがあり、それを客にも浸透させないと厳密には笑いの土俵に立ったと言えないのではと感じました。

>清水ミチコ
彼女について知る限りの情報で考えると彼女の持つ情報量とかものまね芸とかがすごいのであって笑いというのはそれをどう使うかの部分がその才能だと思いますので、彼女の脳内情報量等と面白いかどうかとは少し違う(比例しない)と思います。貧乏人はこの能力(日常的に少ない情報から様々なものを作る脳の発想)の鍛錬が幼少時から行われています。

>万人に向けての笑いは無理
同意します。それを踏まえた上でここで重要なのは芸人側の意識です。より多くの人気を得ようとしているのか、より質の高い笑いを目指しているのか、前者だらけの現状を危惧します。

>「高レベル笑いは放送できない笑い」は決め付け
正直に言うと言い切ってる部分、訂正したいです。説明すると笑いの毒については笑いの「核」だと思っています。ですから全てにそれを出すと客に免疫ができてしまうので効果的に分配できる瞬間的バランス能力が重要(笑いの才能の一つ)だと思います。また毒すらない笑いの意味は無いと思います。

>子供がドリフに圧倒的な軍配
それはドリフの笑いのターゲット年齢層が子供だからではないでしょうか。

>視聴者が作った現状
笑いは本質を切り取って叩きつけるものだと思います。色々思うこともありますが、基本的には客側にいる女性が非常に悪い形で携わってしまった(芸人をタレント化)ことと、客の視点を正しく理解できなかった男女芸人の勘違い等は、中でも大罪だと感じます。或いはニーズを読んだ結果がこれかは分かりませんが。

お礼日時:2007/05/19 18:34

#4です。


揚げ足を取るつもりはないですけど。。。
>男がやれば明らかに女性に嫌われますから。。。
>男性が何%かは必ず性的に反応する。
★やはりそれは逆もありますよね。デブ専門や下ネタ、男性の下半身に興味がある(好きな)女性だって少なからず居るはずです。
インパルス堤下を好きになるトップモデルだっているんですから。

>「キャラクター」
★これはどんな芸人(ダウンタウンも含め)だってありますよ。

>笑いは勉強や処世術とは違うと思いますので教えてもらうものではないと思うのですが
★笑いの技法として「天丼」とかは、ダウンタウンが若手やタレントに教えた(浸透させた)と私は思っています。そこは「(もう一回)XXっていわな~(そうすればもっと受けたのに)」て松本や浜田が指摘するシーンは良く見られます。(昔の人は自分達が面白ければ良いので、他人にそんなことは言わなかったと思います。)
その他、「そこで噛んだら・・・」、「それ、同じこと2回言うてるだけやん」、「そこ、直ぐに入らんかい!(間が悪い)」、「その話し、ぐずぐず・・・」等、その指摘で笑いを取りながらも若手にノウハウを教えていると思います。
→そのことは、松本自身もラジオ(放送室)でそのようなことを言っています。

>現代は物質的には豊かですが感性においては大貧困時代だと感じます。
★これは、仕方がないことだと思います。厳しい時代や人生を経てきたから「笑える話」ができると思います。現代で言えば、麒麟の田村。かれの貧乏時代の話はやっぱり面白いです。
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この回答へのお礼

>揚げ足を取るつもりはないですけど
全然歓迎です。

>デブ専や下ネタ男の下半身に興味がある女性だって居る、インパルス堤下を好きになるトップモデルだっている
男の性欲の感覚を理解せよと言っても分からないと思いますが、獣そのものです。
女性のいう「ポチャっとした男性かわいいかも~」程度ではありません。性犯罪の割合を男女比で見てください。
話がずれるので戻しますが、要するに割合の話です。男性の方がそういう目で見ている確率が多いのです。
後その話は確か堤下がアタックした側です。

>キャラはダウンタウンだってある
キャラというかその人の人間性は変わらないものです。ボケツッコミの役割りなども違うものだと思います。
ダウンタウンを擁護するわけじゃないですが、少なくとも一度うけたキャラを使い回す事はあまりしてないのではと思います。友近のスナックのママとかみたいに。プライドとかストイックさの問題だと思うのですが。

>指摘で笑いを取りながらも若手にノウハウを教えていると思います
それは笑いの眼力があるからその間が見えるものであって同じ事やれと言われても無理だと思います。
じゃあその甲斐あってダウンタウンのこと越えた奴(越えそうなほど面白くなった奴)がいるのかと問いたいです。
大体自分より面白い奴を作成するメリットが無いです。
自分の感性が鈍らないようにそこそこ刺激を与えてくる奴を作る為とかならわかりますが。

>麒麟の田村の貧乏時代の話はやっぱり面白い
伝わってないようですが、例え貧乏じゃなくても笑いに対する渇望とか熱意があればこの今の現状に満足しないであろうと言うことです。笑いにおいて貧乏はデフォルトで強いのは変わらないと思います。
ただ有能な新人は無能な客が潰してくれるはずですのでそこが心配と言うことです。
余談ですが田中の貧乏時代の話が面白くても仕方ないんです。貧乏だからこそ磨き上げられたするどい感性が笑いに生きてるかどうかの問題だと思います。

お礼日時:2007/05/17 19:58

わたしは女だから、性的な目線にはならないせいか


女芸人で、お腹がよじれるほど笑うこともありますよ。
なので「女性では無理」っていうのは違う気がします。
男性だけがお笑い番組を観てるわけではないんですから
女性のためだけにでも女芸人の存在価値はあると思います。
( もしかしてダウンタウン松本さんのエッセイを
お読みになりました?感化されちゃってません? )

あと、やはり「高いレベル=放送できない」ってとこが
( No.4の回答者さんと同じ理由で )引っかかります。
やっぱり人それぞれの感性があるので、誰かにとって、
ものすごーく笑えることは、逆に誰かをものすごーく
不快にさせる内容になっちゃうんだと思います。
「あ~、今ので●●が凄く傷ついただろうな…」とか
思いながら笑えます?そりゃあ自分がずっと「笑える側」の
立場でいられる補償があるなら問題ないのかもしれません。
でもやっぱり「常識の範囲内で」が安心ですよ。
( そういう…まるで ぬるま湯に浸かったような感じが、
質問者さんからしたら、もどかしいのでしょうけど。)

>> 日本の笑いはもう終わりなのでしょうか。

確かに、あまり笑えませんが、別に終わりとは思いません。
逆にそこまでして爆笑したり爆笑させられたりする必要性を
感じません。「クスッ」とか「ニヤリ」程度で、十分では?
わたし的には、一時的な爆笑よりも、笑うまでいかなくても
「なんか愉快だな~」的な気分が、できるだけ長く継続する
ことのほうを望みます。
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この回答へのお礼

>女性のためだけにでも女芸人の存在価値はある
松本のエッセイ読んだか

以前読みました^^;
影響あるかもですが思ってることとよく似てたので自分に変化があったかというとあまり無いと思います。

女芸人について価値がないとは言いませんが、もともと沸点が低い女性からの支持と、性的な目線で応援している男

性ファンという現状を目にして本人がどうとらえているかというところだと思います。(分かってないかもだが)
性的な意味ゼロで応援してる男性ファンもいると思いますが(例えばその女芸人の父親とか兄弟とか)胸元がちらっと見

えただけで気がそがれるのが男ですから非常に少ないと思います。
そんな自分の仕事(笑い)を適正に判断できる人が基本的に少ない中で笑いで勝負する場にいることがどうなのかと

思ってます。

>やっぱり「常識の範囲内で」が安心
このぬるま湯に浸かったような感じがもどかしいのだろうが

ですね、もどかしいです。
ただ誤解を招いてはと思うので書きますが「今凄く傷ついただろうな」とかそのような感覚はあって普通だと思いますし

そういう感覚があるからこそ笑いにもなるという背中合わせの部分があると思うんです。だからそこを切り込んでいく特殊

な人間(憎まれるか笑いをとるかで笑いをとる人間)がお笑い芸人だと思うんです。むしろその覚悟があるからこそ、だと

思うんですが。
それなのに笑いより人に憎まれることを恐れる・・・悪いとは言いませんが、そんな人を「笑いで勝負している」とは全く思えないのです。

>確かにあまり笑えないが「クスッ」とか「ニヤリ」程度で十分。一時的な爆笑よりも「なんか愉快だ」的な気分が長く継

続することのほうを望む。

この意見は見事に女性心理(現在のお笑い界を支えている女性ファン心理)を言い得ていると思います。
つまり求められているハードルが基本的に低いので、低いハードルを高々と超高層ジャンプすると見えないわけです。で

、その高層ジャンプする意味すらなくなっている状態です。
低く飛んでいるのは高く飛べるのに低く飛ぶ事で笑いを作っているわけではないのです。飛べないのです。
「楽しませ」芸人、「明るい雰囲気」芸人、「イケメンだから中高生に人気がある」芸人(ハッキリ言ってこの程度芸人で

も何でもないですが)こういうのが支持され台頭してる現状を悲しく思います。

お礼日時:2007/05/17 19:19

>まず大前提として芸人は女性では無理だと思います。


>なぜならどうしても性的な目線になってしまうからです。

逆を返せば女性から見たら男芸人は無理ってことですね?
ならば、あなたの言う「笑いの本質」は存在しえません。

この回答への補足

森三中・大島似の16歳Iカップアイドル小田切まい
http://news.ameba.jp/2007/02/3368.php
またパイレーツの成れの果ても然りです。

逆として言えるのはイケメン芸人などは笑いの世界では不利であると言うことです。
女子ファンに人気があるのと本当に面白いかどうかは全くの別物とお考えください。

補足日時:2007/05/17 17:57
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この回答へのお礼

>逆を返せば女性から見たら男芸人は無理ってことですね?
>ならば、あなたの言う「笑いの本質」は存在しえません。

イコールで結べないものを照らし合わせないでください。
人間の元々ある無意識の理性の部分のことを指摘したのです。男性と女性では感性が違いますよね?

No.4の回答にも書きましたが、
男がやれば明らかに女性に嫌われますから、そこは本人にとってはメリットが明らかに無いので、それが笑いになるのですが、女性が同じ事をやったら男性が何%かは必ず性的に反応する。
ここが純粋な笑いにならないと言っているのです。これはどうしようもないことだと思いますが。

例えば森山中の大島が全裸で浜ちゃんのいるサウナに入りましたが、あれを見た何%かの男性は興奮するわけです。
つまり無理というか客を笑いに集中させることが男性に比べてはじめから難しいポジションにいるのが女性なんです。

そういう意味のことを伝えたかったのです。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/17 17:57

>女性では無理だと思います。


★私はハリセンボンや森三中は持ちネタとしては駄目ですけど、フリーの絡みはなかなか良い線行っていると思います。友近や青木もお笑いの持って行き方をちゃんと計算していると思います。

>例えば結婚ネタとかもてない女役がどうのこうのというのも笑えません。女としての売り込み部分というのをどうしても感じてしまうからです。
★これは、男がデブや不細工、下ネタを武器にするのと同じだと思います。

>次に笑いを楽しむ上で重要なのは笑いのレベルだと思いますが、高いレベルの笑いとは放送できない笑いです。
★そうですか? 放送できない笑い=レベルが高いってことは放送禁止用語を使っていたり、人を傷つけたりする内容が面白いってことを言っています?そんなのがレベルの高いお笑いですか?

>笑いのためにスポンサーに立ち向かう覚悟のある奴も見あたりません。
★スポンサーや地位にも屈せず自分の笑いを押し通せるのはダウンタウンが最初で最後じゃないですかね。

>最近腹を抱えて呼吸が苦しくなるほど笑ったことありますか?
★大爆笑することなら未だに有りますよ。でもお笑いで呼吸ができなくなる程って・・・そんなこと昔からないです。(例えば、誰のどんな芸でそうなるんでしょう?)

>日本の笑いはもう終わりなのでしょうか。
★最近、ダウンタウンが若手やタレントに笑いのセオリーを番組を通して教え込んでいる感じがあって、昔に比べれば笑いの取り方(技術)は上手くなっていると思います。でも、日本が豊かで平和でありつづける間はダウンタウンを超える芸人は出てこないと思います。
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この回答へのお礼

女芸人
トークも含め「キャラクター」だと思います。うけたキャラや空気をズルズル使い回すところがプロじゃないと感じます。

男のデブ不細工下ネタと同じ
違います。男がやれば明らかに女性に嫌われますから、そこは本人にとってはメリットが明らかに無いので(それが)笑いになるのですが、女性が同じ事をやったら男性が性的に反応するから純粋な笑いにならないと言っているのです。これはどうしようもないことだと思いますが。

放送禁止系がレベルの高いお笑いか
すべてがそうであるとは言いませんが笑いとは毒的要素が強いものではないでしょうか。ある部分をタブー視してふたをしたら100%ではなくなっているはずです。そういう世間に叩かれるものを避けながら話してるのを見ると歯にものがつまったような印象を受けるのです。あ、今言えること言わないで避けたな・・・と。

ダウンタウンが最初で最後
そうではないことを強く望みますが、恐らくお笑い会社、テレビという媒体からはもう出てこないはずと思います。お笑いという文化より、利益追求を第一としているからです。ネットなどでしか笑いの本質を味わえないと思います。間や空気などこそ醍醐味であるのに関わらず非常に無念です。

お笑いで呼吸ができなくなること昔からない
必ず何らかのフィルターがかかっているので、テレビでそこまで笑えるのは少ない(最近ではまず無い)はずです。誰のどんな芸で、というかテレビを含めた一般生活の中でという意味で書きました。そもそもお笑いを使って笑うという発想がもう自分とは違うのかなとも感じました。日常の生活や人生を笑いの視点を持つと違って見えてくる、その発想のきっかけやヒントとしてのテレビで「常人ではあり得ない発想」を見せてもらっていたのですが、提供する側のプロであるはずの彼らの不甲斐なさに絶望してます。

ダウンタウンが若手に教え込んでいる
笑いは勉強や処世術とは違うと思いますので教えてもらうものではないと思うのですが、ただ彼らが今のテレビが(スポンサーや視聴者が)求めているものを教えることは造作ないと思います。それが本当の笑いであるとはとうてい思えませんが。現代は物質的には豊かですが感性においては大貧困時代だと感じます。ハングリーな「本物」が現れることを期待して止みません。しかし受け皿に常識がないのを懸念します。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/17 17:46

>最近腹を抱えて呼吸が苦しくなるほど笑ったことありますか?



ありますよ。

でも、人によって笑いのツボが違うでしょうから、私が笑ったネタで貴方は笑えないと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。笑いのツボ、難しいですからね。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/17 16:02

内容はともかく、自分の意見を持つことはいいことだと思います。



>最近腹を抱えて呼吸が苦しくなるほど笑ったことありますか?
イミフやコピペ集を見て、しょっちゅう笑わせてもらってます。
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この回答へのお礼

ちょっと見てきました。
なるほどイミフ、これ面白いです。
今後も見てみます。ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/17 16:01

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