No.7ベストアンサー
- 回答日時:
この問題を考えるにあたって、まず西洋の思想がなんでできているのかを知る必要があると思うんですね。
で、西洋思想の源流って本を開いてみました。
西洋思想の源は、ギリシャの自由民の思想とヘブライ人の虜囚民の思想、この二つが相対しつつ補い合いつつ現代の西洋思想になっている。
ロゴスってコイネー(古典ギリシャ語)だと思います。
アリストテレス、プラトン、ヘラクレイトス、ソクラテス、、、、いろいろな人たちがロゴスについて言及しましたよね。
それぞれのロゴスがちょっとづつ違うんですね。
それはさておき、近代につながる西洋思想はどこにあるのか。
ギリシャの土地にイスラエル本国の何倍ものユダヤ人が住んでいたんですね。アレキサンドリアなどにも、ヘレニズム色の強い土地柄なので、ユダヤ人といえどもギリシャ文化に染まっていた。
イスラエル思想とギリシャ哲学の融合・同化傾向を示す前1世紀の「ソロもの知恵」や、イエスとほぼ同年代のフィロンの哲学はそうしたヘレニズムに染まった風土の産物。
ここでは超越的・不可認識的な第一原理(神)と、世界を結ぶ中間原理として、ロゴスが重要な役割を持った。
それはストア風に世界秩序と人倫秩序を兼備するロゴスであり、知恵書風に創造のはじめにある秩序であり、「父の第一の子」であり、またプラトン風に範型的イデアでもあった。
プラトンの流れを汲みながら超越一元論の体系を整備し、のちの中世スコラ神学の構造やヘーゲルにまでつながるネオプラトニズムの太い潮流れの、特定しにくい発端にあたり、フィロンが一していることは確か。
そしてここにさらに1世紀ほどのちのヨハネ福音書のイエス=ロゴスの思弁がむすびつく。
それ以来、イエス・キリストは「ことば、ロゴス」としてヨーロッパ的思弁の中心を占めることになった。
ここで注意しなければならないのは、このロゴスが、すでに変質していること。
これはもはや「集める」と語源とする静的で、理論的・計算的で、「存在」とは異なる次元の「ことば」ではない。
ヘブライ語の「追い求める」を語源とするダーバールのもつ力動性と、存在させるための力を秘めた「ことば」。
二つの文化の衝突と結合は、文化の根底をなすキーワードの意味を変質させ、たしかにあいまいだが多義で豊かなものになった。
中世ヨーロッパの哲学のすべては、そしてひょっとしたら近代のそれの大きな部分も、この結合なしには成り立たなかったでしょう。
ヘレニズム哲学の中軸であり、のちのヨーロッパ思想を大幅に形づくったストアやネオプラトニズム自体が、じつは きわめてセム的・イスラエル的要素を含み、創始者とみなされる人々にはセム系が多いと大勢の学者が指摘している。
ってことだそうです。
で、創始者とみなされるセム系とは、ヘレニズム文化の影響を受けたセム人 ってことでしょうか。
ロゴス、多義性を持つことば。
ヨハネの福音書の作者は、そのようなロゴスの変容に影響を受けたと思えるんですね。
<はじめに言(ロゴス)があった。言は神とともにあり、言は神であった>
と作者は考えた。
ロゴスという言葉はコイネー(古典ギリシャ語)だと思いますが、ではヘブル語ではなんというか。
そう考えた時、創世記を連想するんですね。
ルーアハ。
イエスはルーアハか。
わかりません。
尚、4福音書はそれぞれ特徴があり、マルコは奇跡話が多く、復活の記述はあまりくわしくない。
マタイはきわめてイスラエル的で、旧約の成就と律法の完成としての新約という視点から書いている。
ルカは独特の物語的資料が多く、むしろヘレニズム的教養をしのばせる普遍的な救いを強調している。
ヨハネの福音書は少なくとも数十年後のものであり、他の3福音書に比べ、人間としてのイエスよりむしろ、先在のロゴス・神の子としてのイエスを描いているという特徴がある。
成立の場所もそれぞれ、マルコはローマ、マタイはパレスチナ、ルカはギリシャ、ヨハネはシリアという推測がある。
だそうです。
シリアもかなりヘレニズムの影響を受けた土地柄ですので、二つの文化が溶け込んだ結果、イエスはロゴスという思想になったんじゃないでしょうか。
No.6
- 回答日時:
ヨハネ福音書の1章の「言葉」は、すべてギリシャ語ではロゴスです。
「はじめにロゴスがあり、ロゴスは神と共にあり、ロゴスは神であった」。したがって聖書的には、ロゴスは神です。論理的にいえば、反証の余地はどこにもありません。現実的に考えるどうかは信仰です。
真理とロゴスを混ぜている人がいますが、聖書で真理を訳されるギリシャ語の多くはギリシャ語はロゴスではないので注意してください。
聖書では、言葉と訳されるギリシャ語は、実は2つあります。ロゴスとレーマです。レーマはヨハネ6章57節あたりだったか、使われています。
これは哲学とまぜて考えてはいけないと思いますよ。何といっても著者たちがそんなロゴスの思想背景を考えて、ロゴスなんて言葉を使っているのではないのですから。ロゴスというのは哲学用語になっていますが、当時はただの日常語です。哲学を混ぜて聖書のなかのロゴス解釈するのは現代病とでもいえることだろうと思います。
No.4
- 回答日時:
>いい得ぬロゴスというものを敢えて単純な言葉で表現すると「綜合」なんて思ったりもするのですが、どうなんでしょう?
どうでしょうかね。
プラトンやアリストテレスの時代からロゴスの概念は多義的なものであり、ロゴスにも真のロゴスと偽のロゴスがある、というようなことをハイデッガーは書いています。
(ロゴスが「見えるようにすること」であるがゆえに、それゆえにロゴスは真もしくは偽でありうるのである。__「存在と時間 上」p.89、ただしギリシア文字を片仮名に置き換え)
とすれば、まるで現代で言えば「命題」に当たるようなもので、richlandさんのおっしゃる「いい得ぬロゴス」というのは「命題として表現できないもの」ということになります。
前期のウィトゲンシュタインが「語り得ぬものに対しては沈黙しなければならない」と言っており(単純に切り捨てというよりは判断中止でしょうが)、彼の場合は世界全体を命題の成否の集合体であると考えていたことを援用すれば、「綜合」というのはむしろ「全ての語りうるロゴス」を指すことになるのだと思います。
語りえぬロゴスが存在するのか、というのはこれまた厄介なアポリアですが、語源的に「話」というものがある以上、語りうるものをロゴスと呼ぶのだと思います。それゆえ、「いい得ぬロゴス」という表現が、私にはしっくり来ません。いい得ないのは、おそらく、それを的確に示す単語や文法が整備されていないだけなのではないか、という風に思われます。となれば「いい得ぬ」理由は「不可能」ではなく「未可能」の領域に属するものであるからと言えましょう。未可能と可能を含めた全貌がロゴスの総体である、という見解を私は持っています。
なお、現代哲学の援用という批判がありましたので補足しておきますが、ハイデッガーの「存在と時間」におけるロゴス論は、イエスよりも前の時代、プラトンやアリストテレスの頃に遡って、ロゴスの語源とはなんであり、そしてそれがどのように意味を派生していったのかという変遷を歴史言語学的に考察しているものです。先にも述べた通り、もはやその原初の時代において意味は四分五裂していたという風にハイデッガーは説き明かしています。その後で淘汰があって、イエスの時代、ロゴスという語が「言葉/真理」という意味で人口に膾炙したということは考えられますが、「言葉」と「真理」では(翻訳の問題でもありますが)全くの別物です。「イエスは言葉でしょうか」と「イエスは真理でしょうか」では問うていることに差異が生じてしまいます。そのようなことに鈍感であることは望ましくなく、むしろ本源的に遡及して考えられなければならないと思ったこともあり、たまたま折良く読み合わせていた「存在と時間」を参考として援用したものです。実際、過去の概念は現代よりも単純であるという考え方をすると、時として落とし穴に陥ります。
こう書いてみてふとまた思うことは、「聖書に書かれたイエス」と実際のイエスは果たして同じものなのか、という問題です。正しい聖書研究をすればイエスに到達するというのは果たして本当か。聖書とは「イエス伝」であり、言葉で語られるものですから、それ自体ロゴスであると言うしかないでしょう。しかし聖書によるイエス像は、イエスという人物の全貌を現しているものではありません。真のロゴスなのか偽のロゴスなのか、真のロゴスだとしてもそれだけが全てではないということもあり、聖書に全面的に依存するのも何かおかしいと感じます。文献としては参考になりましょうが。
ましてや、richlandさんの質問文には聖書という語句すら出てきていません。それどころかロゴスという語句をいつの時代のものとして解釈すべきかなどについても言明されていません。この問いの規定のなさが、先に私が「この命題はなかなか厄介」と述べた所以なのです。ひょっとすると「イエスはロゴスでしょうか?」という問いは、命題になっていないのかもしれません。
No.3
- 回答日時:
聖書を理解するのに現代哲学、キリスト教支配時代の三位一体の考えを取り入れることは間違いの元になります。
1世紀時代の人(ギリシャ時代)がどのように理解できるか純粋に調べることが必要です。
聖書の内容は1部を除いて誰にでも解りやすい言葉しか使っていません。
ロゴスとは言葉、真理という意味しかありません。
イエスは言葉であった、つまり言葉(また神の真理を伝える)の役割をする神の代弁者でした。
人間と神との関係は、すべてイエスを通して行われました。
No.2
- 回答日時:
イエスとロゴスの哲学的な関連は、別の方におまかせするとして、聖書成立のころの歴史的背景から述べさせていただきます。
ロゴスに関しては、「ヨハネによる福音書」の冒頭にいわゆる「ロゴス賛歌」という箇所があります。
これは、ヨハネを中心とするキリスト教内のグループに、ヨハネ教団がいて、そのグループは、英知(グノーシス)を重視する傾向にあった。この「ロゴス賛歌」もその教団ないで使われていた典礼文の影響があるのではないかといわれています。
ヨハネ教団に関しては
「現在もっとも支持される説に、ヨハネ福音書はいくつかの段階を経てキリスト教内のあるグループの手によって成立したとする説があり、このグループを「ヨハネ教団」と呼んでいる(後述)。福音書の内容から、ヨハネ教団は使徒ヨハネを重視しており、ヨハネ自身がリーダーであった可能性も高い。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ヨハネ福音書)
「キリスト教の成立にあたり、このようなロゴス観は大きな影響を与えた。
『ヨハネによる福音書』の冒頭では以下のように述べられる。
"Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ Λ?γο?, καὶ ὁ Λ?γο? ἦν πρὸ? τὸν Θε?ν, καὶ Θεὸ? ἦν ὁ Λ?γο?."
はじめに言(ロゴス)があった。言は神とともにあり、言は神であった
(「ヨハネによる福音書」1:1)
これはキリストについて述べたものと解され、三位一体の教説の成立に当たって重大な影響を及ぼした。ロゴスは「父」の言である「子」(=イエス)の本質とみなされた。これにより「ロゴス」はキリストの別称ともなった。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)ロゴス)
ですから、イエスをロゴスとみなして崇拝した教団、ないしはグループが古代にあり、ヨハネ福音書成立に関わったといっていいかと思います。このグループにとっては、もちろんロゴス=イエスとなります。
No.1
- 回答日時:
宗教のカテゴリがないのでここでのご質問なのでしょう。
「私は道であり、真理であり、命である」ととなえるイエスを、ロゴスであると言う場合、どういうことになるでしょうか。
一応哲学を絡めて考えたいと思います。
しかし、この命題はなかなか厄介ですね。
ちょっと前の私なら、「イエスはイエス、ロゴスはロゴス」と答えていたことかと思います。
今ちょうどハイデッガーの「存在と時間」の現象学の説明のところを読んでいるところで、ロゴスに関する説明に行き当たっているところです。
ちくま学芸文庫の87ページ以降から、箇条書きで抜き出してみることにします。
・ロゴスの基本的意義は「話」である。
・ロゴスは「翻訳され」、とりもなおさず解釈されて、理性、判断、概念、定義、根拠、関係などとして理解されてきた。
・話としてのロゴスとは、むしろ、話のなかで話題になっているものごとをあからさまにすること、というほどの意味である。
・ロゴスは、あるものを、すなわち、それについて話されているものを、話しつつある者自身に(中動態)、もしくは話し合っている者たちにむかって、見えるようにするのである。
以下、見えるようにするということから、理性や判断や概念や定義や根拠や関係などといった派生的な意味に言及されることになります。
もちろん、ここで述べられている、「見えるようにする」ということは、視覚化するという意味ではなく、わかりにくいもの(覆われているもの)をわかりやすくするということです。
道も真理も、ものごとをわかりやすくする、見えるようにする作用があるので、ロゴスに似たものであると言えると思います。
とは言え、もしイエスが完全なるロゴスであるとすれば、「イエスはロゴスでしょうか?」などという疑問など起ころうはずもないので、必ずしもロゴスと同じものではないと私は考えます。
諸宗派における考え方については、自称ロゴス初心者の私のことですから、あずかり知りません。
この回答への補足
いい得ぬロゴスというものを敢えて単純な言葉で表現すると「綜合」なんて思ったりもするのですが、どうなんでしょう?
他の方の意見も是非お伺いしたいところなんですが。
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