三社祭の神輿(形状)にまつわる疑問
先週は初夏の風物詩三社祭でしたね。
それを含め毎年この時期には多くの祭礼に足を運びますが,数々の神輿を見ていて,やはり三社型の神輿がいちばん気に入っています。
そこで気になったのですが
(1)通常,蕨手は野筋と繋がっていますが,なぜ三社型の神輿は屋根の下からせり上がっているのでしょうか。
(2)屋根の膨らみが抑えられているのにはどんな意味があるのでしょうか。
ご存知の方,よろしくご教授ください!
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
蕨手が屋根の下の隅木から伸びているのが「関西型」の特徴です。
なぜ「浅草」三社祭が関西型なのか?
徳川幕府が奉納した日光東照宮のお神輿は、滋賀県の日吉大社のお神輿(もちろん「関西型」)を参考にしているそうです。で、その東照宮のお神輿に真似て徳川家光が浅草神社に奉納した、と・・・。
PODCASTで「宮本卯之助商店」(神輿作りの老舗)の7代目が以下のように語っていました。
「戦争で神輿蔵が直撃弾を受け、徳川家光が寄進した三基の神輿が焼失。戦後、浅草神社の役員や卯之助商店の5代目達が日光東照宮に行って範をとってもらい復活させた。」
こんなウラ話もしてました。
「復活させるときに蕨手を大きく作りすぎてしまった。(評判が悪かった?)が、時代が変わり、今ではその大きい蕨手がカッコイイと評価されている。」
この回答へのお礼
ご回答を手がかりに調べてみたところ,多くの新発見がありました。
担ぐこととはまた別の角度からの神輿に対する興味がいっそう増しました。
ご回答ありがとうございました!
あなたが通常の型と言っているのは、現代の江戸神輿の事を言っているのだと思います。
通常は屋根が延型と唐破風型の二通りで、注文により三社型や八棟型などを制作します。
現在の東京神輿は何処の神輿屋で作っても、ほとんど同じ形に仕上がりますが、明治・大正の頃の神輿は色々な形がありました、しかし戦争でほとんどが焼けてしまったようです。
三社様の本社神輿も戦災で焼けてしまいました、戦後これを復興するに当たり、議論を重ねた結果、南千住に良い形の神輿があるので、これを参考に設計したと聞いています。
この回答へのお礼
なるほど参考になりました。
ご回答ありがとうございました。
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