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今日、社会科の授業で日露戦争について教わったとき、韓国人の人に今でも日本人が嫌いな人がたくさんいると聞きました。しかし、同じく植民地だった台湾には、あまり日本人が嫌いな人がいないと聞きました。むしろ台湾の人は、日本が好きなようです。その差はいったいどこから生まれるのですか?教えてください。

A 回答 (8件)

台湾と一言で言っても、元々台湾にいた先住民族、17世紀ぐらいから中国から移住してきた中国人、更には共産党との内戦で敗れた国民党が台湾に逃げ込んできた時(1949年)に一緒に来た中国人、の三つに大別できます。



大雑把に言うと、国民党と一緒に逃げて来た人達は、少し前(1945年)まで中国大陸で日本と戦っていたので、意識としては当然「日本嫌い」です。

それ以前に台湾に移住してきた中国人の意識を表す良い例は、No.4の方が紹介した「犬が去ったら、豚が来た」という言葉でしょう。これは、日本の敗戦で中国国民党政権の支配下に入った台湾で、元からいた中国人が、腐敗した国民党政権を軽蔑して言った言葉です。もう少しわかりやすい例で言えば、No.2の方があげた金美齢と並んで、親日派の代表としてよく名前が挙げられる黄昭堂の「私も十三歳まで、日本統治時代を過ごしましたから、正直に言いますが…、嫌でしたよ。日本人は一等国民でわれわれは二等国民。思い起こしても日本人は威張っていた。そういう事実を知っているから二度と日本の支配は受けたくない。ところが、日本敗戦後にやってきた方(国民党=外省人)がもっと悪かったから、そのおかげで親日的になってしまった」(謝雅梅『日本に恋した台湾人』2000年、240頁より)という事です。
尚、中国語でも、人間を犬に例えるのは、強い軽蔑の意味を含んでいるので、「犬が去ったら、豚が来た」というのは、褒め言葉でも何でもありません。まして、日本の統治をありがたがっている訳では全くありません。

先住民族については、日本の植民地支配に最も激しく武力で抵抗したのはこの人達で、その最後のものが1930年の霧社事件です。霧社公学校(小学校に相当)の運動会に集まっていた日本人を襲撃して、日本人134人が殺されました。その後山中に立てこもった先住民に対して、日本側は航空機による爆撃などの近代兵器を使ってこれを鎮圧しましたが、それまで日本の「理蕃政策(りばんせいさく)」(=先住民を強制的に『文明化』する政策)は、根本からの見直しを迫らせました。霧社は、理蕃政策が非常に上手く行っているいわば「モデル地区」のように思われていたからです。
そこで出て来たのがいわゆる『皇民化政策』で、簡単に言えば「心の底から日本人にしてしまえ」という事ですね。これはわりと上手く行きました。何故上手く行ったかについては、No.7の方の回答にもあるように、一般的に「民族意識」が形成されていない場合は、他の文化を受け入れやすい、という事もあるでしょうし、日本が持ち込んだ文化水準の『モノ』の面が、それまでの先住民族の生活に比べて遥かに高かった、という事もあるかもしれませんし、侵入してきた部外者の首を狩る風習があった先住民の「戦闘性」が、「大和魂」とよく合致した、という説もあります。

そんな訳で、結構複雑なのですが、あえて一つをあげるとすれば、人口比で約8割を占める本省人(元からいる中国人)の、「国民党政権がひど過ぎたから、日本が相対的にマシに思える」って事でしょうか…。(No.1の方の回答と同じです。)
また、国民党政権と一緒に台湾に来た中国人も、抗日戦争を経験した世代は僅かになっており、意識の上での本省人との差は徐々になくなりつつあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
どの方の意見もそうですが、やはり中国と比べた結果こういう考えにいたったということですね。

お礼日時:2007/05/29 22:48

民族形成がされていたかいないかの差がおおきいです。


日本が台湾を統治する以前には、台湾人の民族形成がされていませんでした。
そのため、日本文化を抵抗無く受け入れる事ができましたが、民族形成が終わっていた朝鮮では、すんなりと日本文化を受け入れる事ができませんでした。

これは、日本の台湾・朝鮮支配に限った事ではなく、民族形成が進んだ民族を支配すればするほど、植民地支配・占領支配に抵抗する事は、世界史全般に言える事です。
トルコのバルカン半島支配においても、親トルコのボスニア・アルバニアと反トルコのセルビア・ギリシャがあります。
これは、セルビアやギリシャの民族形成が進んでいた反面、ボスニアやアルバニアでは、トルコ支配下で民族形成が進んだためです。
(台湾では、日本支配下で民族形成が進みました)

アフリカ諸国のほとんどが、民族形成以前にヨーロッパの支配化に入ったため、現在でも旧宗主国の影響から脱却できないのに対し、アジア諸国のほとんどが、民族形成後に植民地となったため、旧宗主国の影響を最小限に押さえ込み、自立できるようになっています。
東南アジア諸国では、フィリピンが民族形成以前にスペインの植民地となっています。
フィリピンの民族形成期は、スペイン統治時代からアメリカ統治時代ですから、スペインやアメリカの影響力が今も強く残っています。
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この回答へのお礼

民族形成があれば抵抗が出てしまいますよね。なるほど、そういう理由もありそうですね。

お礼日時:2007/05/29 22:52

>その差はいったいどこから生まれるのですか?教えてください。



歴史的な事実は、皆さんが記述している通りです。

現代の事で書くと、韓国は「反日国家」なんですよ。
有史以来1895年まで中国の植民地だった(日清条約第1条。清国は朝鮮国の独立を承認する)のですが、歪曲した韓国歴史教科書には1行も載っていません。
それどころか、秀吉の朝鮮出兵+1910年から1945年までの事実を教科書の45%を割いて「日本人・日本は残虐な行為を行った」とウソを教えています。(読むと愕然としますよ)
ベトナム戦争参戦にいたっては、たった3行です。
ベトナム人従軍慰安婦事件、韓国軍人とベトナム人従軍慰安婦との混血孤児15000名余の事実(ベトナム政府)も一切記述がありません。

この影響で、未だに韓国のホテル・喫茶店・レストランでは「犬と日本人お断り(朝鮮・韓国語)」とポスターが貼っている店が多いですよ。
「韓流」といっても、韓国国内では「笑いもの」なんです。

日本で活動している韓国人芸能人も「日本で話している内容と、韓国内で話している内容は180度異なり」ます。
最近では、ユンソナ事件が有名ですよね。
BoAは、毎年5000万程の資金援助を反日活動団体に行っています。
(中央日報記事)
3年前、彼女は「平会員から名誉会員にランクアップ」しました。
これらも、歪曲した教育の影響なんです。

韓国の事を、中国・北朝鮮の「Puppet government」と揶揄する政府系シンクタンクもあります。

台湾では、こういう「イデオロギー的教育」を行っていません。
「事実は事実、ウソはウソ」と民主的な教育を行っています。

この違いでしよう。
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台湾が海のシルクロードに面している事。


これが最大の相違点でしょう。

交易の通路と言うコトはそれだけに対外文化と接する機会が多い。
異文化に対して対応力があると言うコト。

変わって朝鮮半島ですが中国の影響で本当に中国が許した範囲のみの公益に限られました。
本当に中国と日本以外の文化とは接していない。
引き篭もり民族になってしまいました。

日本も土佐や薩摩の人間が外国へ旅立ったように太平洋と言う海の玄関口で大海原に目を向けていた事でしょう。
朝鮮半島にはそれが無い。

対外文化に対しての柔軟性が歴史的に育っていない。
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<台湾>


 日本(の海軍系)が統治し始めたころ、まだ未開で、部族間に共通言語がなく、病気やアヘン患者があふれていた。

 日本が統治することで、部族間に日本語という共通語が生まれて平和になり、病気が減り、アヘン患者が減った。

 原住民は、日本を先生として見たので、日本人も優しく教えてやれた。

 日本が負けて撤退した後、台湾にやってきた中国本土人が台湾の人たちにひどいことをした(番犬が去って豚が来た。番犬はワンワン吼えてうるさかったが我々を守ってくれた。豚は俺たちの物を食うだけだ、というような事を言って嘆き、日本統治時代を懐かしがったそうです)


<韓国>
 明治政府は、韓国が仲の良かった江戸幕府を倒して成立したので、あまりよく思っていなかった。(特に「天皇」なんて名称は、21世紀のこん日でも「許し難い」と思っていて、「日王」などと呼んでいる)

 日本陸軍系が統治を担当した。(ギチギチの精神論で、不自由な生活を強いた。ちなみに、これを書いている私も陸軍流の戦法、教育などなどは嫌いだ! (^^; )

 日本と合併する前、中国から来た文物を日本に伝えてやって日本の「兄貴」のつもりでいた(実際、そうだった)。なのに、吸収合併されて、下に見られるようになって、韓国人がそれに反発するので、日本人はいっそうけんか腰になった。

 独立戦争的なことができないまま、いつのまにか独立させられてプライドが傷ついたままになっている。

 戦後、国家を統一的に支配するため、支配層が国民に対して、日本に対する反感を植え付ける教育をした。(国内世論を統一するために国外に敵を作るのは世の習い)


 などなど。出典はいちいち書けませんが、ぜんぶどこかの本に書いてあったことなので、どこかで「これ読んだことがある」と思われるかも。
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民族の違いがあると思います。

現在の中国や朝鮮は有名な漢民族がほとんどですが、中国内のごくわずかな少数民族たちは、同じ中国人として見られることを嫌っています。そして漢民族は「中華思想」という思想を持っています。中華とは、全宇宙の中心という意味があり、自分のところが一番で、そこから離れていくにしたがって、自分たちよりも格が低くなるという考え方です。台湾も中国の土地だったころ、病気が蔓延しており、中国人は毛嫌いしていたようです。
日本は完全な格下なのにもかかわらず、はやくから発展し、列強とわたりあってきたことが、中国や朝鮮人からすると嫌なのでしょうね。だから植民地時代、台湾も朝鮮も中国も日本から同じ支配を受けていたにもかかわらず、戦後台湾だけが日本に感謝し、追い越そうとがんばっているんだと思います。

ちなみに日本の支配は欧米列強の支配(搾取するだけ搾取する)のと違い、計画的に育てる支配方法(当時日本にも使われていなかった最新技術をつかったインフラの整備や、大麻の撲滅(これも100年がかりでやったそうです)等の最初の30年間は赤字経営だったそうです)でやっていました。


韓国や中国は国家から言論統制されているため、今生きている当時の方も、日本のよかったことを大々的に言えないようです。言ったら国家に殺されてしまいますから・・・。
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金美齢さんの本を読めばよくわかると思いますよ。


中国や国民党に対する反感から美化された一面があるようです。
しかし、やはり当時の日本軍の潔癖さや真面目さが
彼らにとっては尊敬の的だったようですね。
そのような日本人の美徳が「リップンチェンシン(日本精神)」
という言葉で残っています。

台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい
蔡 焜燦 (著)

などがオススメです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そんなこともあったんですか。韓国と台湾では相当差がありますね。

お礼日時:2007/05/29 22:43

台湾が独立国でなく、しかも支配者がころころ変わったのが一つ


(オランダ→鄭成功ら復明運動グループ→清朝→日本)

そして日本の次にやってきた国民党が、ムチャクチャやったので、日本を恨むどころでなくなったのが、主な理由でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、そういうことだったんですか。よくわかりました。

お礼日時:2007/05/28 22:15

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