No.2ベストアンサー
- 回答日時:
信長によって京を追放されたときは、本願寺顕如らの仲介もあって信長は助命し、河内若江の妹婿である三好義継を頼って落ち延びた。
しかし信長によって義継が滅ぼされると、剃髪して恭順の意を示した。しかし天正4年(1576年)、毛利領であった備後にある鞆の浦(足利尊氏再起の地で縁起が良い)に亡命し、そこから信長打倒を目指して諸大名に討伐令を下し続けた。しかし天正6年(1578年)に関東管領の上杉謙信が死去し、天正8年(1580年)に石山本願寺も信長に降伏したため、信長討伐は潰えた。
天正10年(1582年)に信長が本能寺の変で横死すると、毛利輝元の力を借りて再び上洛を目論む一方、羽柴秀吉や柴田勝家にも同じような働きかけを盛んに行った。しかし、親豊臣派であった小早川隆景らが反対したため、毛利輝元は動くことはなく、また義昭はいかなる成り行きで勝家を支持したため秀吉に接近しつつあった毛利氏との関係は冷却した。
その後、毛利氏が正式に秀吉の配下となった後の天正15年(1587年)、出家して秀吉の側近として仕え、京都填島において秀吉より1万石を与えられた。晩年には文禄・慶長の役に際し肥前名護屋まで参陣している。慶長2年(1597年)、大坂で死去。享年61。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9% …
足利氏は名門ですから、数々の支族がいます。
■御一家 (吉良氏、今川氏、渋川氏)
■三管領 (斯波氏、畠山氏、細川氏)
■四職 (一色氏、赤松氏、京極氏、山名氏、土岐氏)
■親類・一門(仁木氏、石橋氏、石塔氏)
■執事・探題(高氏、伊勢氏、上杉氏、桃井氏、諏訪氏、小笠原氏)
などなど、源氏の嫡流(徳川・松平氏を除く)ですので、今も日本各地に多く残っています。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9% …
さすが将軍の血筋だけあって旧守護職家の名前がずらりとあがっていますね。三好義継は妹婿だったんですか。三好氏は阿波で足利一族を将軍候補に立てたことがありますものね。
義昭をかくまった(?)毛利氏としては、あまり余計な画策は秀吉の心象を悪くし、しいては毛利氏と豊家の仲を冷めさせる。頭の良い隆景の反対は良く解ります。
秀吉の側近となり、大阪で没する。初めて知りました。当時としては61歳は長生きの方ですね。
回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
No.5の続きです。
書き忘れました。 義昭に子は一人知られています。 「さこの方」の生んだ男子で奈良大乗院に入った義尋です。 出家の身分ですから、その跡はいないものと思われます。
義尋ですか。やはり出家させられていたのですね。回答ありがとうございました。
さて、皆さんの回答を見まして、あの義昭が上様(笑・信長)について秀吉と昔語りする光景を想像して、ちょっとほほえましく感じました。
「ぬしには手を焼きもうしたぞ」と秀吉が言い、義昭が恐縮したかどうか?皆様はどう思われますか?
たくさんの回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
補足です。
織田信長の横死後足利義昭は、亡命先の備後鞆より京に戻るべく画策しました。 羽柴秀吉、柴田勝家、松平家康のほか島津にも頼んだといいます。 こういう態度が毛利家本流から疎外されることになりましたが、安国寺恵瓊ただ一人が味方でした。
そのつてで天正15年秀吉に招かれて上京しました。
翌天正16年1月13日将軍職を辞して、出家し「昌山」と号し捨扶持1万石を貰い秀吉の御伽衆になりました。 復帰の野望を棄てた訳です。
もつとも文禄の役に際し坊主頭に鎧をつけ、肥前名護屋城に参陣しているのは、安国寺のようになりたかったのかも知れません。
慶長2年昌山義昭は腫れ物のため苦しみながら鞆で死にました。
義昭には正室はいません。 最初の女は織田信長の養女の「さこの方」ですが正室でなく別れました。 都合6人の女がいたとのことです。
奥野高弘氏の研究によりました。
やはり陰謀好きはなかなか治らず、毛利氏の中でも策士である安国寺恵瓊が気の会う友達?彼は伊予に領地を持つ坊さん大名ですから。
やはりお伽衆になったのですか。正室も別れたので、子供も無かったのでしょうか。天正16年に将軍職を辞して=遅いですねぇ。
回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
1.2.に付いては、皆さんがUPしている通りです。
>3・足利氏の子孫の方はご健在でしょうか?
現在、京都に「足利尊氏直系27代当主・足利進悟」さんが住んでいます。
尊氏の系統は、江戸時代も「阿波公方」として続いていました。
徳島県那賀郡那賀町平島に「公方館跡」(現、那賀町歴史資料館)があります。
長宗我部元親の四国統一後も、脈々と「足利家」は独立した領地・家臣を維持していました。
秀吉の四国統一後、蜂須賀家政が阿波入場と同時に(強制的に)領地を没収。3000貫の知行から100石の茶湯料となります。
(当然、大規模な家臣のリストラが起こり、家臣は200余名に減少)
その後、支配地に足利本家が居住している事を嫌った蜂須賀家は「足利の姓を平島姓に強制的に変更」し、一家臣として処遇したのです。
幕末、赤飯を食べていた公方は、阿波を退去。紀伊徳川家を頼ります。
その後、京都に戻り(毎年、紀伊徳川家から200両の援助)ます。
紀伊徳川家からの援助は、明治30年まで続き(年200円)ました。
明治維新は、足利家を「国賊」(後醍醐天皇に弓を引いた)として爵位を認めませんでした。
新田義貞・楠木正成が英雄とされたのとは反対に(1945年まで)足利家は相当苦労したようです。
阿波公方も始めて知りました。そこまで系統がつづいていたのならなおのこと蜂須賀家としても一家臣として扱う(さすがに追放できなかった?)他なかったのでは。徳川家からも援助は受けていたのですね。明治維新以後はさらに冷遇(子孫の方ごめんなさい)だったのですか。
勉強になりました。ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
回答ありがとうございます。参考URLは興味深かったです。江戸時代に喜連川氏と名乗った理由は徳川氏が将軍職になったから、と思ってよいのでしょうか?
秀吉が将軍復活、養子縁組を企てた。いかにも秀吉的発想でありそうな話ですね。ありがとうございました。
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