日本での「いしゆみ」技術
日本では「いしゆみ」は古来朝鮮などから伝来して暫く実用されましたがその後廃れてしまいました。
この為鎧などは板金鎧などの重武装に至らず、攻城技術についても機械力に頼らず人海戦術に近いものでとどまりました。
これは必要がなかっただけでしょうか?
または原理の発明が出来なかったからでしょうか?
戦闘時石つぶての利用は良くみられますが強力な弓や大きな石弾の投擲に「いしゆみ」を利用がされなかったのが不思議です。
回答(6件)
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必要性が無かったからです
日本には 中国のような城塞都市がありませんでした
日本以外では 都市は 防御用の城壁に囲まれているのが常識です(住民の居住地を含めて)
日本では 住民の居住地まで含めて城壁に囲まれていた都市はありません
平安京で最も防御対策をしていた時期でも2m程度の塀に囲まれていた程度です(それもすぐにあちこちが壊れて補修もしない)、大して防御の役に立ちません
本格的な攻城戦(城塞都市の)はありません
あえて言えば 石山本願寺攻防戦程度です
この回答へのお礼
日本には本格的城塞がなかったと言うご指摘は納得です。
堺の自由都市の防壁も堅固であったとはおもわれませんし、寺内町も本格的防壁にはほど遠いとおもわれます。
各地の城郭も規模的に大きいとはいえません。
大規模な攻城兵器を必要とまで行かなかったのは納得できますが野戦での使用まで不要という点は些かひっかかります。
ご回答有り難うございました。
単に値段が高いからでは?
日本で弩に関連する記述を見たことがあるわけではありませんが、歴史小説を読むと、中国の古代史に詳しい僧侶や武士が適度に出てきますので、当然その存在も知っているし、輸入も製作も可能でしょう。
何故使わないかは、単価が高いのと、維持管理に知識と金が必要で個人では負担できないからではないでしょうか。
鎌倉時代でも、室町時代でも、お金も暇もある武士が、誰にでも当てられる弩を好んで使うとも思えませんし、お金もなく農作業で忙しい、足軽にはとても手が出ないのではと思います。
鉄砲にしても、戦国時代初期のころは、お金のある一部の武器オタ武将が持っている分にはほとんど活躍の機会はないですよね。 中期になって、当時の経済ヤクザの本願寺が素人門弟に大量投入したり、経済大名の信長が尾張の弱兵集団に与えて、初めて戦で効果を上げたわけですよね。
鉄砲を弩に置き換えても、一定の戦果は上がったと思います。
私見ですけどね。
この回答へのお礼
単価が高かった事はそのとうりと思いますがこれは鉄砲も同様で決定的な理由とはおもわれません。
鉄砲も個人で持つのは財力がある個人に限られるでしょう。
おおくは領主が購入して支給する形だったと思います。
遺跡発掘などで弩が何例か出ています。
また、古代の文献上で弩が載っているようです。中国の文献等を見れば絵付きで解説されています。
すぐに廃れてしまっているわけですが、原理が発明できなかったわけではないと思われます。
平安時代以降の戦闘形態に弩が必要とされなかったのではないでしょうか。
弓と刀と馬は嗜みで、戦闘で一番活躍したのは槍のようです。また、最後に止めをしたのは短剣とか刀子というような小物でした。
日本で遠くから致命傷を与える兵器が出てきたのは鉄砲が出てくるまで待たなければならなかったようです。その鉄砲も実際には致命傷を与える兵器としてよりも戦線をかく乱させる兵器として使われることのほうが多かったようです。
日本人は大量殺戮兵器も好まなかったということではないでしょうか。
この回答へのお礼
ご回答有り難うございます。
「いしゆみ」はかなり強力で有効射程内であれば板金鎧も貫通しましたから致命傷を与える兵器でした。
連射が出来ないのが長弓にかなわなかったとおもいます。
確かに日本では大量殺戮兵器の概念は乏しかったとおもいます。
No.3ベストアンサー10pt
基本的に、日本に投石器は合いません。まず平地がとにかく少なく、山が多く川も点在していますから、投石器のように巨大な攻城兵器を運ぶだけの道路を作ることがそもそも困難です。また、石材の運搬も同様の理由から困難で、発展しなかった大きな理由はこのあたりでしょうね。
さて、弩ですが、この系列の弓の利点は「錬度が低い人でも」「比較的簡単に相手に命中させることができる」という感じですね。逆にデメリットははっきりしていて、とにかく連射速度が遅いです。
熟練した人でも1分に1発程度でした。イギリスの長弓は熟練すれば1分に6発の速度でした。この違いは大きく、百年戦争初期はイギリス長弓隊に対しフランスの弩弓隊は敗北しています。
また、メリットの面で、「錬度が低い人」というのは、日本の場合は13世紀までは武士どうしの一騎打ちですから、錬度が低いなんていうことは(年少ならともかく)ありません。そうなれば弓にも慣れていますから「比較的簡単に相手に命中させることができる」という利点も、普通の弓で問題ないので意味がありません。そうなると、装填が遅いというデメリットだけが残ります。
また、13世紀まで騎射が主流の日本ですから、騎射に弩は使えません。足軽など、恒久的に訓練をしていない兵が主役になったのは14世紀になってからですが、それでも弓で事足りた(戦になれば、投石から始まってそのあと弓の射掛けあいになるのですが、相手も密集していますから、こういった戦ではあまり精度が必要とされません)のではないかと考えます。
結局、日本の風土にそぐわなかったというのが実態ではないかと考えます。
この回答へのお礼
ご指摘有り難うございます。
確かに「いしゆみ」は練度の点は問題があるようですが、私は連射にはかなりの練度が必要ではなかっかと考えています。
従って「いしゆみ」の効果を期待するには、かなりの数を揃える必要があり、また訓練による熟練が必要であったとかんがえています。
当時の日本ではそれを可能とする職人集団もなく、機材についての蓄積もありませんでした。
また経済力も不足していたし、鉄砲の急速な普及が「いしゆみ」の発達を不要のものにしたのではないかとおもうのですが。
結局日本では不採用の武器だったというわけですか。
No.2ベストアンサー20pt
いしゆみ「弩」は、城攻めなどに使用される武具であり、中国から朝鮮半島を経由して日本につわって来ました。古代において朝鮮半島との交流や交戦があった時期(663年,白村江の戦)には、各地に広く使われたようです。平安時代では、後三年の役(1083年)に使用された記事がありますが、国内においては以下のように大きな篭城戦などがないため、おそらく技術自体が廃れたのではないかと思います。
後三年の役以後では、平安時代の後期に起きた保元・平治の乱につづく源平合戦~鎌倉時代初期の承久の乱では、富士川合戦,宇治川合戦などの野戦や、京都市内の市街戦,瀬戸内海に沿岸で起きた海戦などであり、「弩」を出す必要性はなかった状況でしょう。
南北朝時代では、千早赤阪城の戦いでは篭城戦ですが、地形上から「弩」を運搬したりするのは不向きな面があります。一般に、日本の山城では、地形の関係より「弩」を使って攻略できそうな城は無いのではないかと思います。大陸国家のような広大な地形における篭城戦向きの武器ではなかったかと思います。
さらに、戦国時代になるとその頃には火薬を使用した武器が現れてきており、もはや「弩」の時代は過ぎ去っております。関が原以後の篭城戦では、大阪冬の陣(1614年)や夏の陣(1615年)では、既に大砲の時代であり、「弩」の出番はなくなっております。
従って、「日本」では、中国などの国と比べて国内戦が少なく、また地形上の問題などから、「弩」は早々に廃れるものであったと思います。
「弩」の日本における興廃については、下記の記事を参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9
この回答へのお礼
騎射になれた武士と地形から日本に「石弓」がなじまなかつたのは頷けます。
戦国期でも堅固なのは本城で砦などは木柵に毛のはえた位の構造でしたから。
文献を有り難うございました。 参考になりました。
昔の日本の武士は弓馬の道といわれていたように騎射が本来の表芸でした。特に大きな戦乱があった平安末期や鎌倉時代はまさに彼らの時代で騎射ではいしゆみは使えませんね。
また、日本の弓の制作技術は長弓であり、いしゆみ制作に必要と考えられる膠などの動物の組織を利用した弓の制作技術の蓄積が少なかったのではと考えられます。
戦国時代にはいると可成りの速度で鉄砲が普及しますから強力な武器があれば使用したのではと思います。なので本当に普及しなかったのは私もよくはわからないのですが、誰かがいしゆみを使用して画期的な戦果が上げれば一気に普及した可能性もあるとは思います。
この回答へのお礼
早速のご回答有り難うございました。
確かに連射がし難いのが「石弓」の欠点で馬上の使用は困難です。
しかし歩兵の集団ではその威力と射程から実用されなかった理由が他にもあるのかと不審でした。
鉄砲の急速な普及から不要視されたのですね。 それに日本の城郭は余り堅固でなかった構造もありそうです。
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