縄文時代は農耕牧畜ではなくて狩猟採集ですか
私の少ない読書の範囲では『新石器時代=農耕牧畜』という理解なのですが、日本では『縄文時代=狩猟採集』ということになっているようです。縄文時代が新石器時代であるとすれば、日本は独自の社会発展をしてきたのでしょうか?
(1)縄文時代=新石器時代という理解でよろしいか?
(2)だとすれば、新石器時代と言わずに縄文時代というのはなぜでしょうか?
(3)縄文時代が新石器時代であるとすれば、日本は独自の社会発展をしてきたのでしょうか?
以上です。素人にも判るように、よろしく御願いします。
ANo.5の続きです。
◎ 日本は他の地域と異なる社会発展をしてきたので
というよりも旧・中・新石器、青銅、鉄器、狩猟・農耕・牧畜で時代区分するというのがもはや「古い学問手法」であるということです。
そんなに単純に文化発展あるというわけではないことが発掘調査で分かってきたということです。
元々は考古学が先行したヨーロッパで、ヨーロッパの状況による学問的初期の時代区分であったわけですから調査研究が進んだ現代ではあてはまらなくなった、ということです。
それは特段日本だけが違う、ということでもないと思います。
この回答へのお礼
なるほど、そうなっているのかぁとは思いますが、ぼやーっとした感じで、よく解ったとは参りません。
お手すきの時で結構ですので、参考書籍、参考URL(もちろんシロウト向け)などお教え頂けるととてもありがたいのですが。
縄文時代=新石器時代というステレオタイプに当てはめることはできないと思います。
現在の研究では縄文時代後期にはすでに稲作が始まっていたという説が有力です。
イネと稲作は、縄文時代前期の終わり頃はじめて日本列島に渡来した。
当時のイネと稲作は現代とは違い、焼き畑式の耕作スタイルに、熱帯ジャポニカと言われる陸稲だった。
柳田国男以来の「海上の道」である可能性が濃厚で、中国大陸から直接、伝播した可能性が高い。
(※朝鮮半島は経由していない。)
また滋賀県でマグロの歯と骨が出土しており、海のある太平洋側と内陸の滋賀県の交易もあった証拠だとされています。
この回答へのお礼
ありがとうございます。教えていただいた参考URLはとても勉強になりそうです。まだしっかり読めていませんが...
もともと新石器・中石器・旧石器という時代区分はヨーロッパでの時代区分です。
それもかなり古い時代に設定されているので現状ではそぐわない、またヨーロッパとアジア、日本では気候風土が異なるため当然文化の発展段階なども違っていますので一律に適用できません。
例えば石器時代の後には青銅器時代、鉄器時代という時代区分が続きますが、日本では青銅器と鉄器がほぼ同時に使用開始されますし、同時に磨製石斧などもまだ使われています。従ってこのような時代区分では意味がなく、日本では土器による文化区分をしているので先土器(旧石器)、縄文、弥生という時代区分になるのです。
南米のマヤ・アステカなども思考に入れてみるとわかるのではないかと思います。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
日本は他の地域と異なる社会発展をしてきたので、「日本では土器による文化区分をしている」という理解でよろしいでしょうか?
縄文時代=新石器時代 は間違い。
縄文時代=旧石器時代の一部+中石器時代+新石器時代の一部
とありますが…。
http://www.linkclub.or.jp/~qingxia/cpaint/nihon2 …
この回答へのお礼
ありがとうございます。
日本史の時代区分と世界史の時代区分が異なる。(日本史の特殊性?それとも日本の社会発展の特殊性?)
日本では有土器旧石器という時期がある。(日本の特殊社会発展)
日本でも新石器相当時期には農耕が始まっている。
という理解でよろしいでしょうか?
縄文時代というのはかなり長い期間を指すので初期の縄文時代と後期の
縄文時代ではかなり様相が違うと思います。
学校の日本史では従来縄文時代は採集狩猟、非定住の時代とされてきましたが、
近年は縄文時代にも農耕が始まっていたといわれるようになっています。
また日本では農耕=稲作というイメージが強いのですが、民族学の分野から
見れば日本の初期農耕文化はポリネシアや東南アジアの山岳民族と同様の
イモ類を栽培する焼畑文化だったのではないかという説もあります。
実際、信州の山間部には焼畑文化の名残が見られる風習が残っていたりします。
ポリネシアや東南アジアの山岳民族は山の斜面を利用した焼畑と採集狩猟を
組み合わせた生活をしており、焼畑は村を移動する非定住型農耕です。
弥生時代の平地に定住して水田を耕作する文化の前に日本にも非定住型の
畑作文化を持つ人々がいたと考えられ、その時代が縄文時代と区分される
時期にあったのではないかと考えられるのです。
この回答へのお礼
ありがとうございます。文章が下手で質問の真意が伝わっていないようです。日本を一歩外に出れば、新石器=農耕、牧畜。縄文が新石器であるとすれば、狩猟、採集というのは、日本は極めて特殊な社会発展をしてきたのでしょうか?それとも縄文=狩猟、採集が誤りですか?縄文=新石器というのが誤りでしょうか?というのが質問の真意です。
縄文時代が、狩猟採集ならば、縄文時代の縄文。
こりは一体何なんだ?
こう言う質問ですね。^^
最近の研究では、栽培を行い、定住していたらしいです。^^
矢尻に使われる黒曜石は、殆どが中部地方で産出されていたようですので、思いの他交易が盛んであったと推測されます。
縄文時代前期(温暖化で東北地方が優勢であった頃。)
人口の大半は中部以北に集中していました。
この頃は、巨大な栗林が巨大な人口を支えていましたので、
農耕をする必要性も無かったようです。
ここが定住地です。
火炎土器の発掘される遺跡を調べるのも手かもしれません。
後期は寒冷化し、東北の大部族は崩壊します。
この頃から南北の趨勢が入れ替わるようです。
魏志倭人伝でも、アルプス以北は毛人が住み、邪馬台国に従っていないと記されています。
稲作は縄文後期からとなっています。
この回答への補足
ありがとうございます。文章が下手で質問の真意が伝わっていないようです。日本を一歩外に出れば、新石器=農耕、牧畜。縄文が新石器であるとすれば、狩猟、採集というのは、日本は極めて特殊な社会発展をしてきたのでしょうか?それとも縄文=狩猟、採集が誤りですか?縄文=新石器というのが誤りでしょうか?というのが質問の真意です。
新石器時代とは、世界的に見る時代区分のひとつで、打製石器(旧石器時代)に代わる磨製石器を使用し始めた時代のことを指します。
また、縄文時代とは、日本における時代区分のひとつであり、その文化は新石器文化であるとされています。(すなわち、打製石器から磨製石器を利用)
つまり、(1)の解釈として縄文時代=新石器時代というのは微妙にニュアンスが違うものだと思われます。
また、質問者様がおっしゃっているように、日本の縄文時代は『狩猟採集生活』を基盤とし、縄文土器を使用して煮炊きをしていました。
一方、世界的に見る新石器時代は、野生の動物の子などを飼いならすことから牧畜を始め、麦などを栽培するようになりました。
日本で『農耕牧畜』を始めるのは、弥生時代になってからとされています。
以上の内容を総じて見てみると、やはり新石器時代=縄文時代というのはちょっと違うのではないでしょうか。
P.S 一般人ですので、あくまで参考程度にお考えください。
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