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輪廻する主体は何?

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  • 質問者:Fumius
  • 投稿日時:2007/06/18 06:32
  • 困り度:暇なときに回答をください

仏教では無我が説かれるそうですが、これは諸々の構成要素が、私が「私」と思い込んでいるものを形成しているに過ぎず、「私」は永続的ではないということを説明しているのだと解釈しました。一方、輪廻が説かれるということは、「私」には何らかの永続的な主体があると見なされているということだと思います。この輪廻する主体は、私の構成要素の中の本体のようなものでしょうか?いずれは意識がなくなり、私であったものは解体されるということは常識的に理解できるのですが、意識や五感といったものを取り去っても、なお、私の根源あるいは本質があって、それが輪廻するということでしょうか?「方便」とか、「仮」といった答えでは私には理解できません。仏教をそれほど知らない人(高校倫理の教科書レベルの知識をもつ人)でも納得のゆく説明をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。

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NO.35です
>実態を変化するものであると定義するならば、変化しないものである座標は実態ではないということでしょうか。

なかなか鋭いところをついていらっしゃる
変化しないものは実態ではないか非かということですが
そうですね今のところ変化しないものは実態化されたものを見たことが
ないので変化しないものは実態ではないと捉えても良いかもしれませんが根源的な意味は違います、実態の無いものは変化しないのではなく実態そのものが無いのであって色も形も存在しない存在であり実態のあるものを実態のあるものとして示すことの出来る存在であるということなのです。
もし変化しないものであれは実態の無いものの中の時間を外しただけで
空間も主体性も無くなってしまうのでそれだけではないということがいえると思います。

>座標というと、なにやら客観的なもののような印象ですが、個別特殊的にそれぞれの「私」の本質と見なされるようなものでしょうか。

まあそういうことです
ですが不思議に思われる人が多いですねここは
私の本質が沢山あるというところに納得いかない点らしいです。
Aさんの本質はAさんの基準ですがBさんの本質はBさんの基準・・・・・
とここが不思議ですね自分でもどう説明して良いのか・・・
超能力研究でテレパシーというのが有りますがあれは他人の感じている意識を主体性で捉えるという荒業です。

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NO.33.34です。
すみませんNO.34間違えました。
>実態のないものを実態のあるものとして区分する働きを有する不滅のものが輪廻するものであるということでしょうか。

これなのですが実態のないもの(主体性)実態のあるもの(非主体性)区分する働きを有する不滅のものではないです。
実態の無いものを座標が(つまり我々の主体性が座標です)不滅であって
実態のあるものつまり関数が変化すると言う意味です。

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ごちゃごちゃになるといけないので実態の無いものと実態のあるものをご紹介します。

実態の無いもの=座標
主体性,時間,空間
実態のあるもの=関数
{物質,肉体,脳,意識,現世,来世,あの世,超能力etc}=非主体性
例えばですね死というものはですね肉体が滅びる訳ですから実態のあるものが変わるだけであり実態の無いものが変わるわけではないのです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。実態を変化するものであると定義するならば、変化しないものである座標は実態ではないということでしょうか。座標というと、なにやら客観的なもののような印象ですが、個別特殊的にそれぞれの「私」の本質と見なされるようなものでしょうか。

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>実態のないものを実態のあるものとして区分する働きを有する不滅のものが輪廻するものであるということでしょうか。

そうだと思われます。
よく意識とか性格とか違うじゃないかと聞かれるのですがそれは
NO.33でいうと非主体性にあたる部分だと思います。

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この回答へのお礼

回答がりがとうございます。理解しました。

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とりあえず哲学なので哲学的に証明しましょう。
1つの主体性を考えてみてくださいその主体性以外はみんな非主体性です。
座標を思い描いてください主体性は捉える側なので座標の方です非主体性は捉えられるほうなので関数です。
非主体性の関数がどんなに変化しようと主体性の座標はが壊れることはありません。
証明終わり。
なぜ座標にしたかというと主体性が次元的なものだからです。
時間を思い描いてください実態を示すことが出来ませんね。
空間を思い描いてください実態がありませんね
主体性を思い描いてください実態がありませんねようするに実態のないものを実態のあるものと対象にしているのが座標ですので座標という考え方でよいかと思われます。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。実態のないものを実態のあるものとして区分する働きを有する不滅のものが輪廻するものであるということでしょうか。

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No.32ベストアンサー10pt

  • 回答者:taishi1
  • 回答日時:2007/06/28 12:19

 深いテーマだけに様々なご意見が出てとても興味ぶかいスレになりましたね。

>もしも、死後に、今の意識も継続されず、しかも別の意識が生じることがないとすれば、すばやく死ぬことが苦から逃れるためには最善だと思えるのですが

 おっしゃるように、仏教の目的は苦からの解放でしょうが、唯物論的世界観に立てば厳しい出家生活を送るより自殺が一番てっとりばやいでしょ?というツッコミにまっこうから返す言葉がないんですよね。自殺の倫理的是非論はさておき、少なくとも己一人は確実に苦からは逃れられる、ということは言えてしまう。

>釈迦ほどの知恵者が修行に励んだことをおもうと、やはり、本来の仏教は、なんらかの形で、死後の継続を前提としていたのだろうなと思えてきます。

 確かにブッダは死後生を教えの前提としていたと捉える方が自然で無理がないかもしれません。
 思うに「アートマンならざるものをアートマンとみなすなかれ」「名称と形態を有するものはアートマンではない」といったブッダの非我説が無我説となり、一方輪廻的世界観との整合性をもたせるために、(他の回答で専門家の方も述べておられるように)後の大乗仏教は中観→唯識→金剛大乗(密教)と発展する過程で如来蔵や大我思想といった煩瑣な哲学を構築せざるを得なかったのでしょう。
 昨今有名なスリランカの高僧・スマナサーラ長老が大乗仏教は観念の遊戯に堕しているのではないか、といった手厳しい批評とともに日本仏教界にとって数々の核爆弾的発言(笑)をされているのは、このあたりのいきさつも含んでいるようです。

 輪廻の主体は何か、という問題は私もかつて関心を持ち自分なりにいろいろと調べてはみました。確信的答えを見出せぬままそのうち関心もなくなってしまいましたが、私の場合仏教外のヒンドゥー思想との比較がいろいろと興味深い刺激を与えてくれました。
 ヒンドゥー教の主流思想はヴェーダーンタ哲学ですが、この哲学の中でも最も正統な学派を不二一元論(アドワイタ)といい、インド思想史における仏教の好敵手でした。
 この学派は唯一の実在はブラフマン(=アートマン=真我)のみで、それ以外の一切…宇宙も霊的世界も輪廻も…無明の作り出した幻影(マーヤー)に過ぎぬ、と説きます。彼らは輪廻の主体をジーヴァ・アートマン(個我)と呼び、これも無明から生じた幻にすぎぬと説きます。
 我々は輪廻する宇宙という壮大な夢の中で業に従い流転しているが、実は個別的自我などというものはなく、我々の本性は実在・意識・至福たるブラフマン(純粋精神・目撃者)である。「汝はそれなり」という有名な言葉ですね。
 このブラフマン(真我)には原因も属性もないとされ、目が目自身を見れぬように、認識することの背後にある認識主体であり、「肉体は真我ではない」「精神作用は真我ではない」というように、~ではない、~ではない、という否定形でしか表現できぬとも言われます。

 私はいつの日救われる?
 それその「私」が消えたとき

 有名なヒンドゥーの聖者の言葉ですが、この言葉がヒンドゥーの真髄を端的に表しています。輪廻の主体は「私」という自我意識であり、無明による幻影である。「私」や「私のもの」といった誤った感覚がある限り我々は幻の中で輪廻を繰り返すだろうという思想です。
 これを仏教的表現で言えば輪廻の主体は自我意識という煩悩である、となるのではないでしょうか。

 で、仏教と不二一元論は延々と論争をします。無我を掲げる仏教徒は口が裂けてもアートマンやブラフマンなどと言いませんし、「お前ら喋りすぎだ、真我などとまるで永遠不滅の実体があると勘違いするじゃないか、第一真我のみ実在といいながら、それを覆う無明が存在するなら二元論ではないか」と噛み付き、不二一元論者は解脱の境地をも空とする仏教徒を虚無論者と罵りつつあれこれ反論し、煩瑣きわまる論争が展開します。
 ブッダが聞けば不毛の論議をするなと大喝したかもしれませんが(笑)、しかしこの両者、大意においては表現が違うだけで言っていることは酷似しているようにも見えます。実際不二一元論の学祖にしてインド史上最大の哲人とされるシャンカラ大師は「仮面の仏教徒」と陰口を叩かれたほどでした。

 無明が断滅された悟りの境地を、止滅というネガティブ表現(仏教)で語るか、純粋叡智というポジティブ表現(ヴェーダーンタ)をするかの違いなのではないかと、素人の私などには思えてならないのですが…

 ちなみに「無明はなぜ、何から生じたのか」「業や輪廻に始まりはあるのか」といった答えなき疑問ですが、宇宙論においてビッグバン以前の時空を考えるのはナンセンスっていわれるようなジレンマですよね。
 余談ですが、20世紀初頭における物理学上の数々の発見でニュートンの機械的宇宙観が葬られ、古典的唯物論を「19世紀の骨董品」にしてしまった。新しい世界モデルの基礎構築に貢献したハイゼンベルグやボーアなどが、量子論・原子物理学に基いた新しい世界観と大乗仏教やヒンドゥー哲学との類似を知って愕然とした話は有名です。
 百年後の現在、宇宙が生命のように子宇宙・孫宇宙を際限なく生む多重発生理論だの、宇宙は真空エネルギー(無)から生まれ相移転して発生した(ピレンケン・モデル)だの、「無」からできた宇宙は本来11次元の時空(超ひも理論)だの…最新宇宙論はインド神話に親しんだ私にさえオカルトなヨタ話にしか聞こえません(笑)。きわめつきは、『客観的宇宙というものは存在せず、時空を超えた次元から投影された虚像にすぎない。時空を勝手に構築しているのは我々の脳にすぎぬ』とするホログラフィック・モデルですが、唯識思想や宇宙を神の夢とするヒンドゥー思想と何が違うのか?いずれの理論も実証には数十年かかるそうですが、宗教より物理の方がぶっ飛んでると思うのは私だけでしょうか。

 長々と失礼しましたが、ご考察の一助にでもなればと思い、ヒンドゥー思想からの観点についても触れてみました。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。真我が唯一の実在と考えるあり方は、徹底的な懐疑主義であるという印象を受けました。「私」以外のあらゆるものを虚妄と見なす態度は、なんとなく、教科書に出ていたデカルトを思い出させます。こまごましたところで仏教と異なりながらも、我を否定しつくすことで輪廻が終わるという考えの方向性は仏教によく似ていますね。興味深く読みませていただきました。

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主体性は永久に不滅です滅亡という概念が無いからです。
滅亡とは滅亡されていない存在がなければいけませんが魂は滅亡とか
関係ないですなので不滅です証明してもいいですよ例えば石があったとしましょうそれは石が壊れていな状態ですねそれが壊れるわけですあたりまえです。ですが主体性は壊れていない座標が無いので壊れないのですわかりますか?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。正直なところ、よくわかりませんが、魂という主体性を有するものがあって、それが生成・解体というサイクルとは無縁であるということですね。

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まず人間には主体性というのがありますね自分が「魂を信じない人の心理を教えてください」と質問したときある人が補足要求で「主体性とは何ぞや」ときかれて答えたらキレられて終わってしまいましたがその答えで言いますと我々が魂の世界でしか物事を見れていないということです。今自分の意識は自分でしか感じ取れませんこの感じ取れる存在そのものが主体性です。自我とはまた違い主体性は身体とリンクしっぱなしです。それは肉体と離れたときに輪廻が始まります肉体と離れると主体性は浮遊します。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。意識を感じ取る存在のあり方が主体性で、その主体性を有する部分が輪廻の主ということでしょうか。意識を了解しているものもまた意識であると思っていました。

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  • 回答者:agrippa
  • 回答日時:2007/06/27 16:19

誰の定めた運命なのだろう。

戦争による種滅亡の危機に備えて
時代が要請した

しかし同じものを観しかもはるか深く高い教養を有するを目の当たりににすればちいさき心洗われるのみ。

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  • 回答者:agrippa
  • 回答日時:2007/06/27 16:02

繋ぎとめたる魂の緒。

まだ沈まずやていえんは。。。

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  • 回答者:agrippa
  • 回答日時:2007/06/27 15:01

始まりはどこかなどあまり意味は無い。
元々あった。
欲が支配すれば大衆は苦しむ。
いつも
大衆の苦しみるつぼの中から欲を離れた哲学者が輩出される。
仏教では解脱。
中国では孔子や孟子。
平和なときはただ継承するだけ。
それも大事。
世の中の幸不幸は上に立つ人によってほぼ決定する。
上になったり下になったり
そういうものがめぐるめぐる
輪廻
人の世。
無明というものはないが無明が尽きるということもない
世は無常
過去の偉い人の残した言葉。
時は来る
皆の総力をあげて創る日本。
その基本構想を創る時。
悲願
艱難辛苦の果てに
咲く花
世界の国家像の雛型とならん。

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