日本語の歴史について、言語学に詳しい方へ
1.言語が「体系」を保つということと、「変化」するということは一見両立しがたいが、ある観点から見ると両立をすることができるらしい。どのように見れば両立するのでしょうか?
2.鎌倉時代の係助詞、ヤとカの違いについて分かりやすく簡潔に教えてください。
よろしくお願いします。
回答(2件)
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示
- |
- ベストアンサーのみ表示
No.2ベストアンサー20pt
1)は、構造主義言語学からも、そういうことが云えそうですが、チョムスキーの生成文法理論からだと、言語の持つ「体系性」というのは、統辞論的構造だと云えます。
生成文法の「生成規則」は、きわめて普遍的なもので、すべての言語に適用されます。体系性を持つ言語の体系の基礎にある生成ルールは、不変なものではないのであり、別の生成ルールで、その言語の文章が生成されるような例が出てきて、この生成ルールが優勢になると、ある意味、体系が「変化」したとも云えます。
古い生成ルールに拘泥する人からは、新しい生成ルールを使って文章を作る人は、文法ミス、乱れた言葉の使い方となりますが、新しい生成ルールで、統辞論的に整合あるシステムができ、それが優勢になって、古いルール・体系に取って代われば、体系は変化します。
体系の保持は、言語コミュケーションの実用的必要性と、生成ルールの共有から成立するのですが、同じ理由で、別の生成ルールが、ある小集団のなかであってもコミュニケーション上要請され、共有され、これが、一般化して優勢になると、体系の変化が起こるということです。
コミュニケーションの必要性とルールの共有という同じ原理が、体系の保持を裏付けると同時に、その変化も根拠付けることができるということです。
2)は、「や」や「か」は、古くから係助詞なので、鎌倉時代にどうであったかということはよく分かりません.特に鎌倉時代に、固有の係助詞ではないからです。
古語辞典で用例を見ると、「疑問」の意味の場合、「か」の方が確認の意味が強いです。「や」は、「だろうか」「かも知れない」という程度の軽い疑問になります。「問いかけ」の意味だと、「か」も「や」も用法がありますが、「か」は鎌倉時代によく使われたのかも知れません。
「反問・反語」で単独の「や」が、鎌倉時代あたりに、特別に使われたという可能性があります。「か」も「反語」ですが、これはずっと使われています。
具体的な例を挙げて、どう違うのかは考えられるかも知れませんが、「か」と「や」の違いは、微妙な違いがずっと時代を通じてあり、鎌倉時代に固有な違いはわかりません。
この回答へのお礼
ありがとうございました!!後からがんばって調べてみたところ、体系を保ちつつ変化していく矛盾性について、語は言語活動をしていく中で絶えず生まれ滅びていくものであり、人々が把握できる範囲内で少しずつ変化していくものである。しかし、そこには絶えず体系は成立していることは事実で、その証拠に平安時代を見ても、鎌倉時代を見ても言語は存在している。と結論を出しました。
係助詞「や」と「か」は鎌倉時代においては、「か」は疑い、「や」は問いというように分けられていたようです。どちらも疑問の意味を含んでいますが、「か」は聞き手の考えや判断が入っていて、相手に説明の要求をする際用いられ、「か」は質問の真偽や肯否を問う場合に用いられるようです。
でも、本当かどうかはわかりません(汗)
asterさんが回答してくれてなかったらがんばれなかったかもしれないです。
ありがとうございました!
No.1ベストアンサー10pt
日本語の理解からして、「体系を保つ」ことと「変化」することは別段矛盾しないと思います。それがどんな観点であってもです。なぜなら「体系を保つ」ことは「不変」であることと同義ではないからです。
この回答へのお礼
変化することと体系を保つこと、この二つは両極端の場所に位置していると私は思います。物事には様々な観点がありますね。では、どうしたら「体系を保ちながら変化する」ことができるのでしょうか?MAKOCHIさんの意見を機会があったらお聞きしたいです。ありがとうございました!!
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示
- |
- ベストアンサーのみ表示











