徳をつむってどうすればいいんでしょうか?
教えて下さい。
今、風水に興味があります。
本を読むと、「徳」が無い人が、金を沢山もっても、不幸になると書いてありました。 「徳」ってなに?と思って、調べてみると、
仏教では「お布施をすること」となってました。
「お布施」をすれば、徳がつめるなら、やはりお金持ちは、徳がつくってことなんでしょうか?
貧乏人が出来る徳のつみ方をご存知の方は教えて下さい。
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いくらお布施や寄付をしても、そこに心がなければ徳は積めません。
徳には、人の目に留まる陽徳と、人が気づかない陰徳があるといいます。大切なのは、陰徳のほうだそうです。
つまり、人に対して嫌だと思われることをしないよう気をつける当たり前のことから、落ちているゴミを拾って捨てるなど人知れず誰かのために働くことまで、お金がなくても心がけひとつで簡単に出来ます。
こんな世の中ですから、徳を積むことを心がけてもなかなか難しいところはありますが、そうありたいですよね。
これからも綺麗な気持ちで過ごしてほしいと思います。
神社や路傍のお地蔵さんに頭を下げる(挨拶だけでよいです)事も大きな徳積みです。
心から感謝をした数だけ徳は積まれます。(食事の際の「頂きます」も同じ)
逆に不平不満は「徳減らし」です。
仏教的な布施を回答してみると・・。
積極的な布施は、法施、安心施、財施(ざいせ)の三つです。
法施は真理と呼ばれる、正しい教えを相手に伝えること、安心施は、相手の苦しみを聞いてあげ、相談にのってあげること。財施はその名のとうり。
ただ、注意点、法施と安心施は正しい教え、知識を元に相手の苦しみを取り除きます。したがって"それが、ない"場合は、不可。これの例え、性欲が強くして仕方ない→では、風俗に行きなさいはダメ。
あと、財施は対象を限定のこと。つまり、都道府県や公共、福祉団体に布施しても、相手の都合(エゴ)によって、その布施が、使われるので、特にはならない。
対処は仏陀、又はその修行者が、ベスト。ただ、これも、そこら辺のお寺に布施しても、意味がない。あくまでも、正しい教えを実践している団体。いま思い浮かべるのは、ゆういつ"チベット仏教"関連の団体くらい。安心施も、自分が楽しい時に相談受けても、功徳にはならない。苦しい時に悩みを聞いてあげて、初めて功徳となります。
結果、上記の布施は基本的に難しいことになりますよね。
で、ここ。
>貧乏人が出来る徳のつみ方をご存知の方は教えて下さい。
消極的な方法ですが、持戒の実践で、功徳が、つめます。
在家の五戒、不殺生、邪淫、不ちゅうとう(漢字忘れた)、不妄語、不飲酒の五つ。順に説明すると、生き物をむやみに殺さない、虫などを。邪なSEXをしない、風俗はダメ、浮気もダメ、極端にいうと結婚するまでダメ。ひとの物を勝手に盗むな。嘘をつくな。酒(煙草を含む)はダメ。
ただし、すべて一度に遮断は無理、可能なところから。
あと、有名なのは、"チューの瞑想"、これはチベット仏教の"虹のかいてい(=漢字忘れた)"という本に記載あったけど、神々にこの肉体をバラバラに切り刻み、神々に供養するというもの。
>お布施」をすれば、徳がつめるなら、やはりお金持ちは、徳がつくってことなんでしょうか?
いいえ、たまたま人間として生まれた時の功徳によって、お金持ちの家に転生、または、その智慧によって財を得ただけ。
もし徳が、本当にあり、智慧が、あるなら、財産そのものが、死後、もっていけないのだから、上記の布施の実践をするはず。この布施が、なく、ただ財産を貪り、執着するなら、死をさかえに、来世、苦しみ多き世界へと生まれ変わります。
例えば、50億の例えを大型客船とします。そして、その大型客船で、対岸にわたったと(来世という意味)、そして対岸にわたった段階で、その大型客船から降りなければいけなくなり、無一文、裸の状態で、放置されてしましたと。逆に布施をし、正しい宗教を実践していたひとは、その対岸を小さな船(質素な)で対岸を渡ったと、そして、そこには素晴らしい車、その先には豪邸、召使が、用意されていたと。
これだけの差が、正しい布施、宗教の実践には、違いが、あると言われてます。
(ここの部分、趣旨と完全に違いますね、ごめんなさい。)
長い回答を心からお詫びします(__)
以上
徳には特に陰徳という考え方があります。例えば禅宗の寺では夜中の3時くらいに一番偉い人がトイレの掃除をするそうです。これは行いを誰にも見られないということに意味があるのです。
陰徳は見返りを求めない善行を行うことによって徳を積むという考え方ですから、本来の意味では、このことはしらているので陰徳にはなりません。というのも善行が知られてしまうと、その知られたことが賞賛につながり無償でという部分が無くなりってしまいます。たとえていうと貸し借り無しです。陰徳はある意味世間に貸しを作る行為といえるのです。
しかしながら、ここが難しいのですが、隠れて善行を行っても、心中で「これだけ陰徳を積んだから何か見返りがある」などと考えていると陰徳にはならないのです。そういったことを考えずにひたすら善行に勤しむことが積徳になるということです。
なので陰徳は誰も見ていないようなところで、善行を積み見返りを求めない心が徳を高めると言うことになるのです。
本来より原始に近い仏教で徳を積むとは仏教の戒律を守って生活していく上で
積まれていくものです。しかし仏教の戒律を守るということは出家する必要が
あるので、衆生(一般の人)は出家に準じることとして仏教徒に寄進すること、
具体的には修行僧に修行の場を与える(つまりお寺を建てること)が良いと
考えられました。そのことがお布施になってきたんだと思います。
本来は仏教の戒律を守ることが徳なのですから、それをやっていけばいいのでは
ないでしょうか。まず基本の五戒から。
1.不殺生戒(生き物を殺してはいけない)
2.不偸盗戒(他人のものを盗んではいけない)
3.不邪淫戒(自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない)
4.不妄語戒(うそをついてはいけない)
5.不飲酒戒(酒を飲んではいけない)
です。
お布施はしなくていいと思います。
色々な経験を積み
沢山の事を学び
喜びも悲しみも知り
人に優しく接する気持ちなど
幸せは、何も無い事が幸せ
何も悪い事が無いって事が
ある意味幸せって意味で
幸せな時は、当人気づかないコトが多い
学校を卒業しても、人生は
色々な事を学び、勉強なんだと思います。
色々な経験を積んで
人として、いい男?いい女に成長して下さい。
私も勉強中です。
はじめまして。
以前主人が霊能者・・霊媒師?!の方(詳しくは分かりませんが)に
あなたは沢山徳を積む機会に遭遇する運命の人だから人の為に惜しまず
徳を積みなさいと言われたそうです。
具体的には
・自殺をしている人に遭遇して助けた(私も一緒に居ました)
・ひき逃げされた子供を目の前で見て犯人を捕まえた
・飲食店で親から虐待されている子供を見て親に注意した
等など、細かいものも含めたら数え切れないそうですし、主人は
普通では遭遇しない出来事に遭う運命なのでしょうね。
性格も損得勘定で動くタイプではありません。見て見ぬふりが出来ず
正義感が強過ぎるので時々ハラハラさせられます^^;
困っている人を見たら手を差し伸べる、見て見ぬふりをしない、
些細な事も含めて人の為になる事を損得勘定抜きで行動する事
なのかなと思います。
No.5ベストアンサー10pt
生きとし生けるもの、全てに愛情と感謝の気持ちを持って生活する。
自分の幸せだけじゃなく、ほかの人の幸せになることをする。
何もおおげさなことじゃなく、ごみが落ちてたら拾う、ごみを出さない生活をこころがける、困っている人がいたら手を差し伸べる、丁寧な言葉遣いを心がける、などなど。
もちろん、お金もわずかでもいいから寄付したりしてもいいでしょう。何もお寺じゃなくても、ユニセフのような国際援助団体や、イラクの子どもたちとか、災害にあって困っている人たちへの募金とか。
愛情だけでは人は救えないですからね。
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