モスクワ大公国について
モスクワ大公国は一度元に滅ぼされたのになぜロシア帝国という大帝国をつくりあげたのですか。また周辺民族をどのように征服したのですか。
回答(2件)
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No.2ベストアンサー10pt
>なぜロシア帝国という大帝国をつくりあげたのですか
それは支配されっぱなしでは嫌だったからでしょう。
力が強くなれば支配権を握ろうとするのが昔の人たちです。
今の国際社会でやると問題ですけど・・・・・。
どうして作り上げられたのかというと、キプチャク=ハン国の内部が乱れて弱まったこと、その頃にはモスクワ大公が力をつけていて、キプチャク=ハン国に勝てたから、などの理由なようです。
No.1の方の解説の後に、ウィキペディアの「ロシアの歴史」を読むと解りやすそうです。
私は最近「タタールのくびき」という言葉を知ったぐらいなので、詳しくはないんですけど。
カフカス(コーカサス)あたりはなかなか平定できなかったみたいです。
今もモメてますけれど。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
No.1ベストアンサー20pt
まずモスクワ大公国は元に滅ぼされてません。
モスクワ大公国はキプチャク=ハン国の属国となっただけです。
ちなみに正確には「元」という国家は
中国王朝だけを指していて、モンゴル帝国全体を意味しません。
モンゴル帝国は二代目のオゴタイの死後に分裂してから
一回も統一されませんでした。
汗国はそれぞれ独自の国家です。
そもそもモンゴル軍は人数が少なく
間接統治の方法をとっていました。
だから現時のロシア人の支配組織は維持されました。
キプチャク=ハンが滅ぼしたのは、キエフ公国のほうです。
ルーシ諸国のなかでは、当初はキエフが中心地で
モスクワは辺境に過ぎなかったのですが、
モンゴルの間接統治下でその出先機関となったので
モスクワ市の地位が向上し、
ロシアの政治の中心となっていったのです。
それからモスクワ大公家はイヴァン雷帝の頃に
ロシア帝国となりますが、この一族は断絶していて、
ロマノフ家とは別系統です。
周辺民族をどのように征服したかというのは
有無を言わさずとしか言いようがないですが、
ピョートル大帝以後、近代化を進めたロシアは、
西欧なみの軍事力を持つようになりましたから
斜陽の帝国であったトルコを含めて、
後進的な周辺諸民族は特に脅威ではありませんでした。
遊牧民族が脅威と思われた時代はとうに過ぎています。
ロシアはコサックを尖兵として徐々に拡大を続けます。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
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