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後半に渡辺謙が昔行った山に行きますよね?
そしておじいさんと一緒に酒を飲んだりして話ますけど
朝になると消えてますよね??
おじいさんは幻だったんでしょうか??それとも現実??
あのおじいさんがとても印象に残っています。

A 回答 (5件)

再びお邪魔します。

ANo.3です。

先ほどお礼を拝見しました。

>発病した人にレスいただけるなんて思ってもいませんでした!!

何か勘違いされているようですが、私は若年性アルツハイマーを発症している者では
ありません。
前回答にあるように、「若年性アルツハイマーが発症した時の」佐伯雅行と同じ49歳と
いうだけです(^^;

>いろいろ意見がみられますね!!

意外にも、あのシーンを幻想と捉えている方が多くて、正直、驚いています。
作品の理解や解釈はご覧になった方によって違うことがあるとは思いますが、幻想だ
とすると絵付けされたカップが灰の中から出て来た理由がわかりません。

また、前回答にもあるように、エグゼクティブ・プロデューサーでもある渡辺謙さんの著
作『誰? WHO AM I?』をお読みになれば、現実のシーンとして描かれていることがお
解かりになると思います。
その中には、「菅原自身も認知症が始まっていて、施設から逃げ出してきているという
設定」と書かれています。

また、「…菅原の、生きることへの執着心、赤々と燃える火、そして緑のエネルギーと
が相まって、佐伯に、もう一度生きてみようという勇気を与えてくれる…」とも述べてい
ます。

ま、今回は改めて、本当に受け取り方は人其々なのだなぁ、と感じた次第です。
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この回答へのお礼

あ、失礼しました(^^;)
原作あったんんですね!!
是非読んでみようと思います。

お礼日時:2007/07/02 19:44

えー、すでに「幻だった」と回答がついてますが


私の見方をひとつ・・。

実は伏線として、施設を訪れた際の光景からつながっていると思われます。
入所者が集まって歌っているシーン、カラオケの画面がアップになり、前ではりきって歌っている老人がアップになります。
そう、この歌が後の焚き火の時歌われるものです。

主人公が施設で見た光景、いつか自分もああなる・・という不安と絶望、そして諦めと否定。
気持ちよく歌っている老人に自分を重ね、この人も施設に来たくて来たのか?
俺は本当にここに来るべきなのか?
俺は本当にボケてゆくのか?
それが「歌」と「カラオケの老人」という形をとって後に登場したわけですね。
同一の歌を歌っているという点で、これは幻であり心理描写であると、やんわり観客に分かるようにした演出かと思いました。

そして、そういう施設に行こうか行こまいかという葛藤と、
自分はどうなってしまうのかという諦めがあったからこそ、
ひとつだけ絶対に忘れまいとしてカップを焼きに行ったのでしょう。
翌日の朝には実の妻も分からなくなってしまうというのに・・・。

とてもいいシーンでした。
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この回答へのお礼

幻ですか。いろんな考えを聞くことが
できてよかったです。
自分なりに考えることができる映画に
仕上がっているみたいですね。
とても面白い邦画と出会うことが
できました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/02 17:45

どうもこんにちは!


若年性アルツハイマーが発症した時の佐伯雅行と同じ49歳のオヤヂです(^^;

>おじいさんは幻だったんでしょうか??それとも現実?

あの大滝秀治さん演じる陶芸家、菅原老人との一夜は現実に起こったことです。
若い頃の枝実子の幻に導かれるようにして、かつて二人が出会った『日向窯』に辿り着き
ましたが、あそこで起こったことは全て現実のことなのです。

その証拠としては、先ず菅原老人が回想シーン当時の姿でなく当時よりもそれなりに歳
をとっていたことが挙げられます。
(回想シーンでは若く見えるようにタオルを巻いて頭を隠していました。)

また、「息子は7歳だ」「町の奴らに言わせると、わしはボケだと。施設に入れと抜かしや
がる。何がボケだ。わしはボケてなんかおらんぞ。そんなことは俺が自分で決める」とい
うセリフから分かるように、かつて二人が学んだの陶芸の師匠もアルツハイマーに侵さ
れていたのです。
菅原老人は夜な夜な施設を抜け出して徘徊し、かつての作業場を訪れることがあったの
でしょう。

そして偶々、佐伯と遭遇しますが、彼がかつての教え子だったことには気付きません。
ただ、その作品については昔と同じような批評を漏らしています。

そして、何より持ってきたカップが絵付けされ、ちゃんと灰の中から出て来た(柄の部分
はなくなっていましたが…)のですから、あれは「まるで幻想のような」現実だった、とい
うことがわかります。
佐伯が持参した酒を酌み交わした枝を通した土瓶(薬缶!?)や湯呑みもちゃんと残ってい
ました。

朝が来て佐伯が目覚めると、既に菅原老人の姿はありません。
いつものように人に見つかる前に施設に戻ってしまった後だったのです。

二人で酒を酌み交わす中で、菅原老人の「酒と喰いもんと女がいりゃあ、それで充分だ。
生きてりゃいいんだよ、生きてりゃねぇ!」という言葉は、佐伯に「もう一度、生きてやろ
う!」という決意をさせる重要なシーンになっています。

この辺の詳しい経緯は、渡辺謙さんの著作『誰? WHO AM I?』に書かれていますので、
興味がおありでしたら、荻原浩さんの原作と一緒に御一読をお薦めします。
http://www.bookman.co.jp/whoami/message.html
http://www.amazon.co.jp/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81 …

それにしても、菅原老人役の大滝秀治さんはさすがの名演技でしたね。
最近では、岸部一徳氏と共演しているキンチョーのCMや関根勤さんの物まねのレパー
トリーとしても有名ですが、元々は『民藝』の看板俳優で多くの映画やドラマでも活躍する
実力派俳優の1人です。
1925年のお生まれですから、『明日の記憶』の撮影時には既に80歳になられていたはず
ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BB%9D% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%97%A5% …

ご参考まで

参考URL:http://www.ashitanokioku.jp/
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この回答へのお礼

おお!!
発病した人にレスいただけるなんて
思ってもいませんでした!!
現実ですか~
いろいろ意見がみられますね!!
「もう一度、生きてやろ
う!」そんな考え方もあるんですね。
大変参考になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/02 17:42

幻だと思います。


そして老人が言っていた『ボケてるかどうかはワシ自身が決めるんじゃっ』といっていた言葉は渡辺謙さんが演じる男性自身の中にあった言葉をその幻が代弁していたのではないかと思います。
奥様の若い頃の幻とあのおじいさんの幻を現実のように見ていましたが、あれは心(精神)が現在置かれている自分の状況との決別をしたがっていたのだと思います。翌日、奥様が迎えに来ましたけど誰のことかわからなくなっていましたよね。
人にだまされそうになったり、実際に沢山の認知症の老人を目の当たりにし、ショックが大きくて進行が早まったのかもしれません。

奥様のことは判別できなくなっていたけれど、最も大切な言葉として奥様の名前だけは記憶に刻まれている…というラストだと思います。
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この回答へのお礼

同じく幻ですね!!
『ボケてるかどうかはワシ自身が決めるんじゃっ』
ってかっこよかったですよね~!
久しぶりに良い邦画に出会えました(^^)

お礼日時:2007/07/02 17:38

あの老人は夢の中にでてきた幻ということだと思います。


そのため陶芸の場所が荒れ果てていて、昔は老人が使用していたようです。
現実と夢の世界をうまく織り交ぜた映画でしたね。
ただ焼き物が自分で焼いたのでしょうか?
そこが疑問でした。
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この回答へのお礼

幻ですか!!
たしかに陶芸の場所はひどく荒れてましたね。
そんなところにおじいさんが居たら不自然ですね(笑
疑問が残りますけど良い映画でした。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/02 17:35

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