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キリスト教や仏教が問題を起こしたことなどここ数十年、まったく聞いたことがありません。
が新興宗教(キリスト教系や仏教系含む)は問題を次々に起こします。キリスト教や仏教と比べれば人数がはるかに少なく、したがって同じような人間性の人間の集まりであれば犯罪件数は低くなるはずです。

理由は何と考えますですか?

A 回答 (11件中1~10件)

端的に言って、


哲学よりも、組織の存続を優先するところは、
反社会的行為や犯罪につながりやすいです。

典型的なのが、お布施と布教を
半ば強制するような団体はそうです。

お金を集めるときには、
反社会的、あるいは犯罪的な方法の方が
効率がいいのですが、
普通は倫理観が残っていますから、
なかなかできません。

人の判断力や倫理観を麻痺させる手段として
宗教や教義を持ち出したとき、
その宗教は犯罪者集団になります。
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皆さん長文でそれなりに真剣な回答になっていますので、


端的に回答します。

単に時間的な問題だと思います。キリスト教・仏教等など成立してから優に2千年は経っています。成立直後は奇跡や超能力で病人を治したりとかのパフォーマンスで人を引きつけ、故に当時の権力者からの弾圧を受けたりとかをしていました。
2千年の間に教義を整えたり、内部からの批判があったり、他宗派からの攻撃・論争にあったり、様々なことがあり自己変革をしつつ今にいたります。

新興宗教はその時間がありません。初期宗教のいかがわしさをそのまま内包しています。

>同じような人間性の人間の集まりであれば犯罪件数は低くなるはず
強力なカリスマ指導者のもと、少数の人間があつまると指令がすぐに伝わり、また指導者の考えもすぐに理解されやすくなります。従って反対勢力が構成されず、行動が直接的になりやすい傾向があります。これは新興宗教に限りません。政治的な少数勢力にも過激派が多いのはこのためでしょう。
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>キリスト教や仏教が問題を起こしたことなどここ数十年、まったく聞いたことがありません。



ベルギー人の神父が妊娠した日本人のスチュアデスを殺して(?)本国に逃亡という事件がありましたね。裁判を受けていないので、犯人かどうかは分かりませんが、少なくとも未解決の疑惑事件でした。仏教の坊さんのスキャンダルもよく聞きます。もちろん新興宗教のスキャンダルはごまんとあります。
結局新興宗教の場合は、既存宗教のテリトリーを奪い取らねばなりませんので、それだけ布教に攻撃的になって、強引な手段をとって問題になるのでしょう。布教に一番有力な手段は指導者を神格化することでしょう。信者のお金をどんどん使って寄付して「博士号」を買い、世界中から尊敬されているようなことを宣伝するのもその手段の一つでしょうね。
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キリスト教も仏教も己の血を歴史に差し出してますからね。



日本で何人の仏教徒の血が流れましたか?
一向一揆のように大量の血が流れています。
キリスト教はキリシタン弾圧によって数多くの血を歴史に捧げました。

ところで、新興宗教は自らの血を世に差し出していますか?
他人に血を流させて自らは血を流さないとは言語道断です。
新興宗教の教主や幹部は自分の血の代償を支払わねばならないのです。

言ってる事とやってる事が矛盾しているので摩擦が起こるのは当然の事ですが。

この回答への補足

知識不足で申し訳ありません。
血の代償とは何ですか。
宗教の専門用語でしょうか?

補足日時:2007/07/09 21:43
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>キリスト教や仏教が問題を起こしたことなどここ数十年、まったく聞いたことがありません。



伝統宗教の犯罪は決して少なくありません。
伝統宗教は問題を起こしても社会から問題だと認識されなかったり、
問題を公にさせない政治力が働くので、
問題行動が少なく見えるのです。
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NO.4です。


NO.4の内容に「あなた」とありますが、
質問者さんを指しているのではありません。
誤解のないよう。

新興宗教団体にだまされたという事件を見聞きしますが
日頃 
どうしてこの人達は 自分で選んだ道なのに
自分で自分のことに責任取らないんだろうと
思っていました。
その気持ちがN0.4の内容になりました。
精神的脅迫を受けたとか、単純な問題じゃないといわれれば
その通りなのですが、
「神」に 自分の生活を人生を まるっと預けた依存心の強さが
鼻についたのです。

こういうことが問題だと考えるのも ありだと思います。

では。
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NO.4です。


「あなた」とありますが、
質問者さんを指しているのではありません。
誤解のないよう。

新興宗教団体にだまされたとかいって訴訟問題に発展するニュースや事件を見聞きしますが、
どうして彼らは自分の今までの行動に責任を持てないのだろうかと
思っていました。
その気持ちが NO.4の内容になりました。
精神的な脅迫を受けたとか、単純な問題じゃないとかいわれれば
全くその通りですが、
自己責任の角度からも 考えてもいいと思ったのです。
では。
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カリスマ性の高い人のまわりに 人が集まります。


世の中は間違っている(理不尽)
世の中を変えたい
人々が自分についてくる、自分を支持していく
自分はパワーがある(神)らしい。
かんちがいしたやつが、
本気で(純真で真っ直ぐだから こわい)
世直しする気になる。

その人の一途さ(純真で真っ直ぐ)に、いよいよ人々は感動する。
人が集まりすぎて、いつしか
いつの間にか神と呼ばれたその人の手には負えなくなり、
誰か側近が、管理することになる(団体化)
お困りでしょうと誰か心あるひとがおいてった寸志が
いつしか、献金という義務になり、
献金するとおかげがあるとありがたがれ、
(人間はなんと欲深い。謙虚な心があればこんな現象起きないのに。)
献金が使命となる。

神と呼ばれた人は、いつしか寿命がきて亡くなる
神と呼ばれた人は、本気で自分を神と思っていたから、
不老不死もしくは、人より長生きすると思いこんでいた。
そのため、自分が死んだ後の後継者を決めずに亡くなる。
「神」が死んだなら、
その宗教団体は 自然消滅でいいのに
何故だろう
大きくなりすぎた団体構成人物達は、
身代わりでもいいから、(?) 神を必要とし、
「神」だった人の娘だか、妹だか、息子だか、弟だかを
全然自覚もない人なのに、かつぎ上げる。
宗教は 続いていく。

人は 使命感を持って 尽くしたいんですね。
生き甲斐が欲しいとでもいいますか。
そのことによって 自分のステータスが上がる、みたいな。
なのに、実社会は 自分に冷たく きびしい。
でも、身近に「神」の存在があって
その人に尽くしさえすれば
自分のこの世での役割が確立されるとなれば、
わかりやすい、簡単。ある意味、楽ちん。

実社会で苦労するより、理不尽に耐えるより、
人間関係に苦しむより、
そんなことにぼろぼろになることに価値を見いだすより、
神にすがっていた方が、神に尽くしていた方が楽ちん。
心も汚れにくい。
これを、救われた、幸せ、と 勘違いする奴。

それから、不幸、不運に対する恐怖感の強い人。
厄払い、魔除け、大難を小難や無難にする力の持ち主に
すがりたいんですね。

んもう、すがってばかりいないで、
大地にちゃんと自分の足で立てっつーの。
何か、悪いことが起きたなら、
「身から出たさび」と認める心の強さを持とーよ。

はっきりいって
宗教団体の人々って、
教祖様が 神らしい体裁を整えるだけの豊かな資金を得るために
存在してるって
思っていいのでは。

ただ1つ、金(お布施、献金)です。
献金で 信仰心(救い、御利益)が得られるもんか。 目を覚ませ。
他者を入信させること(布教)についても 
「お徳を積むって そういうことなの?」って よく考えろ。
そのことに最初のうちに気がつかないから、
後でこんなはずではなかったって
もめるんですよ。(問題発生)

だまされた! とか、(もう、みっともない。見苦しい。)
もっと自分の行動は自分で責任とってね。
信仰したかったのはあなた。
その道に進んだのはあなた。
教祖は 本当に真面目に純粋に信仰してます。
その人を信じる信じるないは
間違いなく あなたの選択によるもの。
それを 後で だまされたというのはおかしい。
自分の見る目 判断力がなかったのだと考えるのが正解。

質問者さん、
問題発生は こういったところにあると
私は考えます。
煮詰めれば 人の欲深さ。

長文で 申し訳ありません。
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キリスト教や仏教は、成立から時間がたっているので、宗教活動を続けていくだけの社会基盤も、財政基盤もあるでしょう。



しかし、新興宗教では、まず宗教的な生活に没頭するための財政的基盤がありません。そこで、詐欺まがいのことや、脅迫などで、とにかくお金を集めようとするので、問題になるわけです。
また、社会的にも、それまでの宗教には満足できない人が集まっているので、社会規範についての姿勢が、既存のものに対して反発する気分が強い場合が多いのではないでしょうか。たとえば「白装束を着て山の中に集まっている」ということは、それ自体では特に問題はないでしょうが、普通に生活している人から見ると気味が悪く、一般社会との摩擦となり、あげくに紛争となったりしていくわけです。

仏教でも、浄土宗や禅宗などの分派時には、反社会的宗教として弾圧されたこともありますし、キリスト教で中世に「宗教戦争」が起こったことは周知のことだと思います。
宗教は、その人の社会観、生活態度などと密接に関係するので、それが従来の社会に受け入れられなかった場合に、紛争となる可能性が高いと言えるでしょうし、その点で社会的に認知されていない新興宗教ほど、紛争になりやすいのでしょう。
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生まれたばかりの教団は、カルトと言います。


問題を起こす教団をカルト教団というのではなく、問題を起こさない教団でもカルト教団と言います。
大体カルト教団は、生まれてから開祖が生きている時代から開祖に直接指導を受けた幹部らが実権を握っている時代を言います。
カルト教団が、問題の教団と同一視されるのは、カルトの時期にある教壇が、よく問題を起こすためです。
カルトの次の世代をセクト、その後安定したチャーチの時代へと教団は変化します。

カルトの時代は、教団の方向性が定まっておらず、また信徒も数が少なく固定化されていませんから、開祖や教団内の有力者の考え方により運営が左右されるため、世間の常識からかけ離れた方向に一度動き出すと、ストップさせる存在がいなくなってしまいます。
そのため、ヘンな方向に動いて、社会的な問題を引き起こす事になります。
さらに、若い教団が、他の教団と同じ事をしていては、教団の発展はありえません。
目立つ事を行い、教団の知名度を上げる必要があります。
それが度を越しますと、世間から問題視される事にもなりがちです。
一度問題教団とされますと、その人達は、益々世間から孤立し、自分達の仲間だけの関係に陥りがちになります。
そうなりますと、「自分達の教団の考え方を、外部から見た場合どう思われるか」という視点が欠落してしまいます。
そうなりますと、益々問題が大きくなってしまいます。

ただ教団が安定化しますと、教団の活性力が失われ、徐々に衰退してゆくことになります。
それを防ぐためには、教団の中にカルト的な部分が必要になります。
現在キリスト教では、信者の減少が問題になっています。
ただその中で、ペンテコステ系だけは信者を大幅に伸ばしています。
ペンテコステ系(日本での最大教派はアッセンブリ・オブ・ゴッド)は、牧師一人一人の独立性が極めて高く、牧師一人一人が実質的に別々の教派とされるほどに独立しています。
そのため、ペンテコステ系の教派では、常にカルト的地位に個々の教会があり、教派の活性化に役立てているのです。
そのため、時々おかしな牧師が現れ、世間の批判を浴びたりします。
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