プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

将来に思い描いてる事があり、それに心理学が必要です。
まだ、はっきりとしたビジョンもないので恐縮ですが、
私自身がレイプ被害者なので、性虐待に詳しい団体と言うか・・
トラウマを抱えながらも頑張って生きる人たちとの交流の場、憩いの場を提供したいと思ってます。
あくまで治療の場ではなく、憩いの場を目指したいです。
自分の利益を追求しない形でカウンセリングも行いたいと考えてます。
ただ、私もカウンセリングを受けてきた経験から、堅苦しいカウンセラーとクライアントという関係ではなく、もっとカジュアルな打ち解けやすいものを目指してます。セラピーなどもいいですね。

私はクリスチャンではないのですが、キリストの教えに救われた部分もあり、出来れば、聖書の教えを基本にしたカウンセリングらしきものを取り入れられたらって思ってるのですが、聖書を説く(愛を説く?)カウンセラーとか実在するのでしょうか?
そのカウンセリングは牧師さんのする仕事なのでしょうか?
聖書、キリストの教えなどは、何処で学べますか?

もし、聖書ではなく心理学を学ぶ場合、やっぱり大学院まで通って資格を取るのがいいのでしょうが、余り魅力を感じません。
NPO団体が開いてる講座の方に興味あるのですが、臨床心理士の資格じゃなくても、誰かの役に立てる事は出来るでしょうか?

A 回答 (4件)

大きな痛手になる経験を、なんとか乗り越えてこられたんですね。


カウンセリングの間は、ご自身のつらい経験と向き合うこともあって
勇気が必要とされることもあったのではないでしょうか。

もし、憩いや交流の場をとお考えでしたら、
同じ立場や苦しみにある者同士気持ちを分かち合い交流する
「ピア・サポート」「ピア・カウセリング」というものがあります。
いわゆる支援自助グループですね。性犯罪被害者のグループもありますので、
そちらへご自身も当事者として参加しながら、そのグループの活動を把握し、
少しずつ自分にできることを学んでいくというステップを踏まれると
いいのではないでしょうか。臨床心理士の学びまではいかなくても、
知識や心構えを身につける研修や訓練を、必要に応じて受けることもあると思います。

ところで、キリスト教についてですが、牧師やクリスチャンの中にも
精神科医やカウンセラーとして活躍する人はたくさんいます。
しかし、聖書の教えでは人を救うのは神であるとしますが、
カウンセリングは相手を主体とし、相手の自己解決能力を支援するのが目的です。
カウンセリング自体が、人を「受容」はするけども必要以上に「許容」しない、
相手の心や一生を背負っているという責任を持ちつつも、
自己解決能力を促す「黒子」に徹するといった、アンビバレントさを抱えています。
他人を救うためと称して行うカウンセリングはただの傲慢、洗脳と同罪です。
聖書のこととは無関係に、本質を見誤ったり相手を再び傷付けるんですね。
地の塩・世の光として世の中や人に貢献する者の心構えとして、
つまり、自分が他人を救ってやるという傲慢さを律するために
聖書の教えを心に刻みつつ、聖書の教えを説く場と、
カウンセリングを行う場とを切り分けているというのが現状です。

聖書の教えそのものは教会で学べます。
求道者(初心者・非信者)向けの教室もあります。
(ものみの塔・統一教会とは無関係と称している教会にしてくださいね)。
キリスト教と心の支援とのかかわりについては、キリスト教の専門書として
クリスチャンや牧師が書いたものがいくつもあります。
「いのちのことば社」というところから刊行されているものに
読みやすいものがいくつかあると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
質問の全てに答えていただき、感激してます。

ピア・カウンセリングと言うものがあったのですね。聞いた事はあるような気がします。
まさしく、私が求めてたのはこれです!カウンセラーとして活躍するのが一番なのでしょうが、被害者だからこそ出来ない事もあるのは簡単に想像できるから、だったら何が出来るのかなって探してました。
臨床心理士まで勉強するとなると大袈裟だし、求めてるものと違う気がしてて、でもいい加減な勉強では相手を傷つけかねないですよね。
治療中でも被害者同士でしか分からない事が合って、そんな時に感じる深い孤立感を解消する手伝いがしたいです。

聖書の教えを真剣に学びたいので、思い切って教会に足を運ぼうと思います。
図書館などで本を借りて勉強してたのですが、実際にお話を聞きたいって強く思ってます。

本業としたい別の夢があって、それと併行して実現できるように計画を立ててたんですが、自分に出来る範囲を考えたら中途半端になってしまい困っていたんです。お陰さまで、何とか形になりそうです。

お礼日時:2007/07/13 16:47

キリストの教えは教会で洗礼を受けたいといえば学べると思います。

私は、まだ洗礼をうけていませんが、カトリック教会の罪の告白はカウンセリングのような効果があるかもしれません。ちなみにプロテスタントでは、牧師、カトリックでは、神父といいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

キリスト教の事をよく知ってから、洗礼を受けたいと思ってます。
まずは、教会に足を運ぶところからですよね。
プロテスタントの教会に行こうと思ってます。

お礼日時:2007/07/23 02:02

>臨床心理士の資格じゃなくても、誰かの役に立てる事は出来るでしょうか?



いのちの電話は、毎年ボランティアを募集していますすし、研修もしかりしています。そういう体験は傷ついたり悩んだりしている人との接点を感覚的に把握し、コミュニケートできる能力を高めてくれます。

ただし電話業務に限っては、聞き手ですから誤解のないように。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いのちの電話は、自分も一度だけお世話になった事があります。
研修とかもあったんですね。
実現まで時間はたっぷりあるし、研修場所と日程の都合が付けば参加したいですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/07/13 16:51

聖書に書いてある内容は、信ずることにより影響を与えるものだと思います。



それより きちんとした心理学を 学んだほうが より有効だと思いますよ。

ちなみに私自身、聖書は そんなに役に立たないと思いますよ。

レイプされた人に
>右の頬を打たれたなら,左の頬も差し出せ. 下着を奪おうとするものには,上着も与えよ
なんて言っても 無意味ですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

確かに、余りにも宗教色が出すぎると怪しく感じられるかも知れません。
私の場合、誰かに聖書の話を聞かされたわけではなく、たまたま手にした本がクリスチャンの本だったので縁があったのかもしれませんね。
被害直後も子供だったので誰にも言えず、毎日、お寺に行ったりして、自分が宗教に馴染みやすい体質だったと思います。

>右の頬を打たれたなら,左の頬も差し出せ. 下着を奪おうとするものには,上着も与えよ
イエス様の言葉は分かりにくいらしく、こう言った文章を解釈しなければいけませんが、私は無知に近いのですし、誰にどのような言葉を選ぶかも聖書を熟知してないと難しそうですね。

心理学なら、アドラー系の前向きな物を探そうと思ってます。
カウンセラーとして活躍したい訳ではないので、どこまで勉強していいのかが問題ですね。

お礼日時:2007/07/13 16:29

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