風林火山の旗について
武田信玄の風林火山の旗は山本勘助が考案したんですか?
回答(6件)
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No.6ベストアンサー20pt
大阪の阿倍野神社に「伝北畠親房軍旗」される旗があります。
手元の資料が白黒なので色は分かりませんが、中央の大きな黒(?)丸の上に「梵字」が一文字と、両脇に「疾如風 徐如林」と「侵掠如火不動如山」の文字が書き込まれています。
北畠親房といえば後醍醐天皇・後村上天皇を支えた南朝の中心人物であり南朝の正当性を説いた「神皇正統記」の著者、その子の顕家は奥州から大軍を率いての上洛を果たし、一時は足利尊氏を窮地に陥れました武将。
信玄の風林火山の旗は北畠親子が押し立てた軍旗を参考にしたたものとされているそうです。
補足です。
山本勘介(市河文書では「山本菅助」ですが、当て字は当時、普通に行なわれていました。「ヤマモトカンスケ」という音がすべてです)という武将は実在しました↓
http://okwave.jp/qa3190223.html
ただし、軍師と呼べる存在ではなかった事実も、市河文書によって明らかにされています。軍師としての山本勘介は、フィクション限定の存在です。
山本勘助は、架空の人物と思われます。
が、、、近年足軽大将「山本甘助」なるものの墓が発見され、これが山本勘助のモデルといわれておるようです。
さて、「風林火山」の旗ですが、NO3の方が書いておられるとおり、快川紹喜和尚が送ったものと考えてよいでしょう。
因みに因みに彼は死ぬ時(火あぶりにされたときに)に有名な「心頭滅却すれば火もまた凉し」と言う有名な言葉を残しています。
No.1ベストアンサー10pt
ありえません。
山本勘助を軍師とする歴史小説「甲陽軍鑑」においても、「書は一冊も読み申さず」「学はないが物事をよく知っている」などとありますので、フィクションの世界でも、山本勘助は孫子を読んだことはないでしょう。
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