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ブラジル在住です。ポルトガル語は勉強中でまだカタコト以下です。
こないだ初対面の方に、私自身の宗教についてたずねられました。
そこで「無宗教」をそのまま訳して「sem religiao」と答えたところ、
「あなたは神様を信じていないのか」と聞き返されました。
「神様は信じているが、宗教(団体)には属していない」と答えました。
なぜかと聞かれましたが、「機会がなかったから?」と頭の中では浮かびましたが、ポル語にできず、相手の方は納得しないままウヤムヤになってしまいました。
私は「神様はいないと信じている人」=無神論者で、洗礼をうけたり、集会に参加したり「宗教団体に所属している人」=○○教徒である、と捉えていたのでこのような答え方になってしまったわけですが、これを海外の方に分かってもらうにはどのような説明が適切でしょうか。(sem religiaoとは言わないほうがいい?)
あるいは、「お墓参りにも行く、神社にも行く、実家には仏壇も神棚もある、天理教の御祭りにも参加する」私は仏教徒で神道で天理教だと言ったほうが誤解を招かないですか?(それなら無宗教ではないだろう、というのが一般的な考えならそれでもかまわないんですが)
個人的には、この宇宙を動かしているエネルギーとか、生物の潜在エネルギーとか、なにか形のないものを、「神様」と呼んでいるに過ぎなくて、どんな宗教も同じ(キリスト教も仏教も自然神も)と思っています。そういう意味で神様(と呼ばれるところのエネルギー)の存在は信じています。
まあ、「人間」を神とあがめる宗教は別ですが。
質問文が長くなってしまって申し訳ありません。
要は「○○教徒である」ということの定義って何ですか?(その宗教の神様の存在を信じることか、洗礼を受けることか、はたまた戒律を守ることか・・・)というのが質問です。

A 回答 (17件中1~10件)

この問題は、多くの日本人にとって、最も海外とのギャップを感じる問題の一つだと思います。


私は、高校の時、縁あってカトリックの洗礼を受けましたが、未だに、いや一生涯、厳密な一神教の世界は理解できない、いや理解したくないと思います。いくら十戒の第1戒に、「あなたには、私のほかに、神々があってはならない」という厳然たる掟があって、基本的に異教は崇拝してならないと考えられているからといっても、それは自分がもしそう思いたければ思えばいいことであって、異教を信仰している人にまで、押し付けることはできません。

十字軍以来、こうした一神教の考え方が、世界侵略を正当化するための「錦の御旗」になったことは事実ですし、ガリレオの地動説のような多くの科学的な発見も、「神の冒涜」という名の下に、異端(神の意志に背くとみなされる考え方)扱いされました。

前教皇(ローマ法王)ヨハネ・パウロ2世は、最も偉大な教皇の一人と呼ばれておりますが、彼の業績の一つとして、他の宗教との和解を図ったことが挙げられます。1986年および2002年に世界の宗教者をアシジに招いて平和の祈りを捧げたり、2000年の大聖年には聖地エルサレムを訪問し、ユダヤ教との歴史的和解への道筋をつけました。2001年には、シリアでローマ教皇としては初めてイスラム教のモスクに足を踏み入れ、さらに、2004年には東方正教会に2人の聖人の遺物を返還し、1000年にわたる東西教会の分裂を乗り越える試みを開始しました。また、前記十字軍に対する謝罪や、ガリレオへの名誉回復と地動説の承認(1992年10月)など、過去の過ちに対する見直しも行いました。そして、この前教皇の下で、教皇庁諸宗教対話評議会の名秘書官(次長)として、世界の諸宗教を対話でつなぎ平和への道を開いた、尻枝正行神父(本年6月ローマで死去)の功績も忘れることができません。

そもそも第2バチカン公会議(1962年~1965年)以降、カトリックは宗教間の対話にかなり努力するようになり、少なくても表面上はあまり、他宗教を排他的に扱うことはなくなったと思います。例えば、マザー・テレサはインドの貧民街で「死を待つ人々の家」というホスピス施設を創設しましたが、彼女は収容者の臨終に際し必ずその人の宗教を聞き、その宗教で葬儀を行ったと言われています。

一説によれば、「神」というのは、全ての人類にとって超越的な存在であり、ある所にはキリストを通じてキリスト教として伝わり、ある所にはアラーを通じてイスラム教として伝わり、又、ある所には釈迦を通じて仏教として伝わっただけだという説もあります。つまり、神という意味では確かに一つであり、一神教であっても不思議でないというのです。元々私は、信仰厚い家庭に育ちました。両方の祖母とも、超越的な神の存在を信じ、仏教、神道、キリスト教それぞれを等しく崇敬おり、上の考えに近いものでした。
結局、本当の所はそれこそ「神のみぞ知る」ことであり、どの宗教が優れているか、などという議論をしていても仕方がないと思います。宗教の目的は、人間の心の浄化であり、教義は二の次なのだと思います。だから宗教で争いが起こるなどということは、本当に信じられないことなのです。

日本人のこうした考え方は、依然としてやはり世界的にみれば、特殊なのでしょう。容易に外国の人には理解されないことかもしれません。だからと言って、妥協する必要はないと思いますし、こうした多神教的世界観を逆手にとって、信条や宗教を盾にした戦争や侵略に異を唱えることは大切だと思います。又、最近アメリカでは、他宗教の人に人に配慮して、Merry Christmas という代わりに Season's Greetingsっという挨拶を交わすようにしたり、フランスでも、宗教的な強制を排除しようという動きがあるようであり、歓迎すべきと思います。

かつて新渡戸稲造は、ベルギーの法律家の家に招かれた時、彼から日本の学校で宗教を教えないことに疑問を呈され、「それではどうやって道徳教育を授けることができるのですか?」と質され、はたと困りました。そして日本人の心と行動を律するいわば「宗教」に当たるものが 「武士道」だということに思い当り、名著「武士道」を書きました。是非英語・日本語対訳になっている講談社バイリンガルブックス版
http://www.kodansha-intl.com/books/html/jp/97847 …
の一読をお勧めします。

長文となり、大変失礼しました。しかし、この問題は私にとって、生涯の課題の一つであり、この機会に思う所をまとめさせていただいたことを感謝します。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答、大変勉強になりました。
今回の件は私にとって、今まで空気のようだった自分の日本人としての宗教(信仰)を深く考えるよいきっかけだったと思います。信仰とは本当に人それぞれで、誰にとっても簡単に一言ですべてを言い表すことのできるものでもないし、本当に回答者さまのように、ひとりの人間が生涯をかけて追究していくべきものかもしれないと思いました。
>神という意味では確かに一つであり・・・
深く納得できる考えです。
>「武士道」
確かに道徳とは「道を説く」ものであり、宗教と呼べるものでなくてもかまいませんね。(神道も「道」ですよね)日本に戻りました折には、ぜひ、拝読したいと思います。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/02 08:04

>なんとなく濁すのがいいんじゃないでしょうか。


日本人どうしならできますが、こちらの国では濁すこと自体が難しいですし、印象も悪いです。なので聞かれたことにはこちらも誠心誠意答えなければいけないな、と思います。ですが、確かに自分から話題にすることはまずないでしょうね。

確かにそうですね、しかし、「そのことについては話したくないんだよ。」とはっきり伝えれば、それ以後続けようとする人は居ないと思いますよ。ラテン系は特に「i don't know」これが多い返事です。スペン後では「no se.」ですが、ポルトガル語もそれに近いですか??「ああ、話したくないんだ」、彼らはそう言うことについてはシンプルですから♪濁す、と言う表現が勘違いさせてしまいましたね。でも、外人も結構、濁すんですよ。遠まわしな言い方するんですよ。そうそうストレートではないので、たまにはっきり言わないと!って張り切りすぎて、びっくりされたりしますので、語学勉強と共に、付き合い方も勉強されてください。がんばってください。ブラジルもラテンアメリカですから、冗談言って逃げるのも方法の一つかも。失礼な響きかもしれませんが、彼らは結構、頓知が利けてなんぼなんですよ。日本人は、冗談が下手ですからね。でも、きっと宗教の話も、うまく出来る日が来ると思います。とても真面目な方のようですし。
片言だと、やっぱり勘違いがおこるでしょうからね・・・。私も、片言の時代は、難しい話題になると、勘違いをさせたり、大きな疑問を持たせてしまったりしていました。そう言う経験が、モチベーションをあげてもくれるんですけどね♪本当に、頑張ってくださいね(:
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この回答へのお礼

「Nao sei.」もしくは「Nao quero falar・・・」ですかね。
確かに、これならまちがいなく伝わりますよね(^^)。
遠まわしな表現でも、ネイティブ同士なら伝わるので(日本人どうしであれブラジル人どうしであれ)、伝われば問題ないと思うんですけどね。「何が言いたいの?」ってなってしまうのが問題なわけで・・・。
ポル語にはポル語なりの婉曲な表現はあるかと思うんですが、これはブラジル人との会話に慣れないとしょうがないですね。がんばります!
今まで日本でたくさんのブラジル人の方が、職場(ブラジル人が多かった)でも家(主人はブラジル人)でも、一生懸命日本語を覚えてコミュニケートしてくれてたから、私も少しでも早くこの国になじめるように本当にがんばります。ご返答いただきまして、また励ましていただいて本当にありがとうございます。

お礼日時:2007/08/05 18:32

No.7, 9です。


だいぶ以前に私がスペイン語を習ったときのベネスエラ人(白人系)の先生が「クリスチャンではない」と言ってたんですが、無宗教なのか何なのか不明。
私のスペイン語も大したことないので。

旅の指差し会話帳ですか・・・・・・・・・・・・・・・
それはまた。

先日読み直した本。
グレートスピリット、キリスト教徒をやめて自然(nature)を信じることにした人、自然宗教、アニミズム、多神教などのキーワードが出てきました。
ブラジルにいらっしゃるならなかなか読める機会はないかもしれませんが(アマゾンで通販すれば買えると思うけど)、宗教の定義を知りたいのなら、こういう感じの本を読んでみたらいいかもしれません。
ユダヤ-キリスト教についても触れられています。
また、はっきり言うのだけが「海外」ではありません。違う文化もあります。

海外旅行的には角が立たぬよう、難しくならないように、というのが穏当なお勧め意見だと思いますが、そういう会話の仕方に納得できないなら、ご自分で勉強するしかないでしょう。

『ナバホへの旅 たましいの風景』河合隼雄、朝日新聞社
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83 …

私が持っているのはハードカバーなんですが。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83 …

この回答への補足

>また、はっきり言うのだけが「海外」ではありません。違う文化もあります。
わざわざのご指摘恐れいります。もちろん日本人が、いつでもどこでもなんでもかんでも曖昧にしているわけではないように、海外(私はこうは言ってませんが)の方だって、ケースバイケースだし、時と場合と相手によりけりだし、個人の性格にもよるでしょう。また文化もいろいろあるでしょう。そうしたことは前提としてのコメントのつもりだったんですが、あげ足を取られないためにはこうした断りを入れるべきだったのでしょうか。あるいは誤解を招いてしまったのであれば、大変申し訳ありませんでした。
「はっきり言うの「だけ」が「海外」の文化」だと申し上げるつもりはありません。
>海外旅行的には・・・
旅行ではなく在住(永住)です。
また、「話題を避けるべき」というご意見に私が共感を示していないのは、もとより私自身で「わかってもらうにはどうしたらいいか」という趣旨の質問を立てておりますので、論点の拡大を避けるため、災難を避けるのに非常に有効で、また貴重なご意見をいただきながら、上記の質問内容に則った方針でコメントさせていただいております。どうか、ご容赦下さいませ。

補足日時:2007/08/05 16:54
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この回答へのお礼

補足欄訂正です。
>、「話題を避けるべき」あるいは方便として「仏教(神教)を名乗るべき」というご意見に・・・・

重ね重ねのご回答ありがとうございます。
ご紹介いただきました本は、日本に帰りました折にぜひ拝読させていただきます。(通販は可能ですが、何分こちらの給料で生活しているものですので、物価の高い日本の買い物は控えさせていただいております。)

お礼日時:2007/08/05 17:03

定義も、今いる国や地域に合わせるしかないと思います。


厳密に戒律を守っているのが当たり前な国もあれば、
結構ルーズな国もあるので、
ルーズな国なら「仏教」とか「神教」の教徒と言ってもいいでしょうが、
敬虔な国では無理ですよね。
まぁ、100%扱える言語でもってさえ宗教の話は難しいのですから、
お茶を濁してその場を凌げばベストかと。
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この回答へのお礼

「合わせる」は、もしかして新しいご意見ですかね。(他の方の回答から私が読み取れてないのでしたら、すみません)
他の方のお礼欄で、「濁す」のは難しいと書き込んでいるんですが、今回のところは、相手の方がつたないポル語の私を相手に、懸命にコミュニケーションをとろうとしてくれてたので(ふたりきりだったので、他の人に話題を振ったりもできなかった)「濁すなんて思いつかなかった」と言うのが正直なところかもしれません。今後私のほうから宗教の話題を振ることはないと思います。
ご回答いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2007/08/02 08:41

命の尊さや人を思いやることなどについて道徳で習いますが、一定の宗教に元ずいているわけではなく日本人の場合、人間の道徳心として当たり前に教わったような気がします。

小学校の頃、悪い事をしたら地獄に堕ちるとか罰があたるなど親から幾度となく戒められる話を聞くこともありましたが、なんだかいろいろな宗教や伝説などミックスされていて一定の宗教の教えに結びついていたのか判断はつきません。宗教を聞かれると困る日本人の若者は多いと思います。しかし信心は浅くても、お盆には多くの人が家に帰り霊をお迎えしたりお墓に参って掃除をします。宗教というより先祖代々亡き人の霊を弔う心は強いのではないでしょうか?話は違うかもしれませんが、アメリカ人の友だちは日本語が話せると言うのですが「こんにちは」「お腹すいた」程度で会話はまるで無理です。日本人の場合英語は話せないと言ってもレストランでの注文や旅行先で大抵のことは対処できる人も多い。話せるということについての見解の違いですが、宗教についても家で仏壇にお参りしてるくらいじゃ私は仏教徒とは言えない!くらいズレてることも厳しい日本人にはあるのではないでしょうか?団体に属してなくても、浅くても深くても宗教の個人的な活動内容までは他人に図れませんから、海外での会話で信仰心の度合いはさほど気にしなくていいと思います。語りたい人は語るし、語りたくない人はそう言えばすむ事です。
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この回答へのお礼

>語りたい人は語るし、語りたくない人はそう言えばすむ
できることなら語りたいので、こちらにお寄せいただいたご回答をもとに、自分の考えを深めるとともに、ポルトガル語の学習にも力を入れたいと思います。
「話せる」というような意味に幅のある言葉についても、できるかぎり、正確に伝えられるようになりたいですね。完全にはムリでしょうけど(たとえ日本人どうしでも)少なくとも努力はしたいな、と・・。
それがコミュニケーションであり、言語力(日本語力、ポル語力)だと思うので・・・って、ここは私の意思表明の場ではないですよね(笑)申し訳ありません。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/02 08:24

イギリスとカナダに在住経験のある30代女性です(現在はカナダ在住)。


私は渡航前、海外をよく知る知人から「外国人と、宗教と政治の話はするな!」とアドバイスを受けましたよ(笑)
実際こちらに住んでみると、よく「宗教は?」と聞かれます。私は決まって「私は無宗教だけど、親族の葬式や法事は仏教のスタイルで行うんだ」と答えます。すると、当たり前のように「そんなの変だ!」と言われるのですが、私はそこで「日本人はそういう人が多いんだ。日本ではよくあることだ!」と強く答えます。だって、実際そうだと思うし、日本人って特定の宗教を熱心に信仰している方って、外国に比べたら少ないと思うんですよね。実際、身内のお葬式は仏教でするのに、結婚式は教会で…って。でもこれは日本の教育的、文化的な問題であって、外国の方にとやかく言われる筋合いはないと思いますよ。
カナダは移民が多いので、色んな国出身の方と話す機会がありますが、例えば同じカトリックでも、私の友人Aさん(韓国人)は毎週日曜日に教会に行くけど、Bさん(ブラジル人)は1年前に結婚した時に行ったっきりで、それ以降は教会に行ってないわ、と平気で言ってます。でも2人とも「私は敬謙なクリスチャンだ」といいます。人それぞれですね。
ちなみに私の場合は英語ですが、質問者様はポルトガル語ですし、ただいま勉強中との事ですので、会話の内容によっては非常に伝える事が難しいと思います。いずれにせよ、語学力がアップすれば色々ディスカッションができて楽しくなると思います。頑張ってくださいね♪
質問の趣旨とそれてしまってたらすいませんm(__)m
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この回答へのお礼

いえ!とっても嬉しいです。ポルトガル語がんばります!
私もやっぱり正直に強く答えたいですね。というか、こっちの人って逃がしてくれないんですよね(笑)ポル語だけの問題じゃなくて、「明日いける?」「うーん、難しいな」「で、どっちなの?」・・・みたいな(笑)なんでわからないの?と思いながら「NAO!(Aの上にミミズ記号)!!」って言うようなことが何回かありましたね。性格的にははっきりしている方なんですが、柔らかい物言いを心がけていることと、それをつい直訳してしまうのが、いけないんでしょうね。ディスカッションを楽しめるぐらい上達できるように、がんばります!
ご回答いただきまして、ありございます!

お礼日時:2007/08/01 13:27

はじめまして♪私の主人はラテンアメリカ出身です。

ラテンアメリカって、物凄く敬虔なクリスチャンが多いので、宗教の話はしないほうがいいような気がします。。私の主人は、その「無宗教」ですが、それを彼の国で言うと沢山の人に囲まれて、「気狂い」扱いされるそうなので、絶対に、宗教の話には触れないそうです。
彼の国で、教会へ行きました、「別の宗教の者の家ではない、」と司祭に言われ(要は私のこと)、彼が怒って私たちは教会を後にしました。先進国の人々は、あまりこだわりませんが、まだまだ、宗教が問題で紛争している国もあります。日本人のよく言う「山の神、風の神」などの考え方も、完全否定されます、・500年前、スペイン人がラテンアメリカを発見するまで、原住民(インディアンって呼ばれた人々)は日人のような考え方で、「山の神、水の神、森の神、」って考え方だったのを、殺戮でキリスト教の一神論に考えを改めさせられた歴史があるので、特に、ラテンアメリカでは日本人の考え方も危険です。「全能の神」は絶対です。それ以外にありえないのが彼らの考えかた。
仏教は、三大宗教に入れられていないのは、「仏陀は実在する人物で人間であったから。」って理由なんです。え?マホメットだって、商人じゃん。。って思うんですが、。宗教は奥が深く、話すのは、なかなか難しいですね・・・。
宗教の話は、なんとなく濁すのがいいんじゃないでしょうか・・・。頑張ってください(:
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この回答へのお礼

>なんとなく濁すのがいいんじゃないでしょうか。
日本人どうしならできますが、こちらの国では濁すこと自体が難しいですし、印象も悪いです。なので聞かれたことにはこちらも誠心誠意答えなければいけないな、と思います。ですが、確かに自分から話題にすることはまずないでしょうね。今回宗教の話題になってしまったいきさつはNO8の回答者さまのお礼欄に書かせていただいたとおりです。
貴重な経験談をいただきまして、ありがとうございます。
ラテンアメリカ・・・こわいですね(笑)生まれ育った環境が違うんだから信仰もまた違っていて当然で、そこを尊重できなくて何が宗教だと、こんな話を聞くとNO1の回答者さまに心底共感ですね。あっ、批判ではなく感想です。(日本人も残虐だなどとドっと反対意見が寄せられると対処しかねますので、念のため)またもし仮に批判されるべき点をあげるとしても、キリスト教そのものではなく、そのような人達の人間性だと思いますけど・・。はあ、オブラートに包みまくった会話ができる日本社会はすばらしいですね。ご回答いただきましてありがとうございます。

お礼日時:2007/08/01 13:00

ちょっと一言だけ。

この件はキリスト教以外の一神教の国でも要注意ですよ。一神教はキリスト教だけではありません。ユダヤ教もイスラム教も一神教です。
「無宗教と無神論者はイコールなのか?」という質問者さんの疑問がありましたが、無神論者どころが、「魂のない」生きもの、動物と同じレベルとされる恐れさえあるそうです。
宗教は(日本人はそうではありませんが)その人の基盤ですから、つっこんだ議論をするときはそれなりの覚悟はいると思いますが、いかがでしょうか?特にブラジルはヨーロッパよりキリスト教の力が残っているところのようですし。
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この回答へのお礼

宗教の話題になってしまったいきさつはNO8の回答者さまのお礼欄に書かせていただいたとおりです。こちらの状況説明がいたらず、大変失礼いたしました。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/01 12:22

No.7です。


お礼コメントをありがとうございました。

>近頃はやりのスポーツジムのホットヨガに通う日本の女性達は、果たして、ヒンドゥー教徒といえるでしょうか?

ええっ!? それは言えないでしょう(笑)いくらなんでも。
だってヒンドゥーの教えを信じてるわけじゃないでしょう???
文化の一旦を習っているだけであって(たいていは美容や健康のために)、何でそんな風に考えるのか私には理解できませんが・・・・・。

一般的な日本人の「お寺と神社」な生活をしている人は自分の意識でいいと思いますが、宗教によっては信者になるための手続き(儀式などなど)がありますから、たとえば勝手にクリスチャンと名乗ったりは出来ないと私は考えます。
洗礼を受けなきゃまずいでしょう(宗派によるのかもしれないが)。
仏教はあんまりうるさいこと言わないんじゃないですか?
他の仏教徒の人にも仲間だと認めてもらえると思います。
出家するなら別ですが(儀式も修行もある)、そうでなきゃ自分の自覚で十分でしょう。
檀家ってのはありますが・・・・。神社なら氏子というのも。

私はわりとカトリックなんかは好き(興味ある)ですが、ニューヨークのハーレムでゴスペル(プロテスタントでしょうね)を見学して、「こりゃ違うわ」と、結局自分は仏教&神道&多神教の血が流れているらしいと「感覚的に納得」したことがあるんです。
で、外人から「あんた仏教徒かい?」と聞かれて「そうです」と答えることに抵抗がないんです。

しかしNo.8の方がおっしゃるように、やたらと宗教なんか聞かないものでもあります。避けたほうが無難だと。
と言いながらスペインのタクシーの運転手のおじいさんに聞かれたことありますけど。
まあ宗教でケンカするような場所でも相手でもなかったから、危険な話題ではなかったんですけどね。

ご自身としては仏教徒とも言いたくないならば、「神様は信じるが無宗教」と言えるようなポルトガル語を磨けばいいんじゃありませんか?
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この回答へのお礼

>ええっ!? それは言えないでしょう(笑)いくらなんでも
ですよね(笑)私もブラジル人がそう言ってたときはかなり驚きました。仏教徒と言うのがイヤなわけでは全然なくて、ただきちんとした教義も宗派も知らないのに、言っていいのか?と思ってたんです(いんですね)。客観的に「私って何教なの?」と逆に聞きたい気持ちと言いますか・・・。自分の宗教(信仰?)くらい自分の言葉で説明できなきゃいけませんよね。がんばってポルトガル語を磨きます!
ご回答いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2007/07/31 10:33

宗教を聞かれたら仏教(BUDDISM)と言うと相手は納得します


だいたい人の宗教を聞くなんて要らぬお世話です
手術で入院する時は別ですが(貴方の葬式の時の用意に聞くのです)
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この回答へのお礼

私の状況説明が適切ではなくて、申し訳ありません。
私の語学力がまだあまりにも未熟なため、「旅の指差し会話帳」という本と辞書を使っての会話(・・・というよりレッスン??)だったんです。なので、本に書かれた言葉から話題を拾って、食べ物のページなら「この中で何が好きですか?」、家族のページなら「あなたに兄弟はいますか?」のような形で会話していたんです。つまり宗教の話題になってしまったのはたまたまそのページまで来てしまっただけで、その方に深い意図はないんです。説明が足りなくて大変失礼いたしました。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/31 06:54

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