プロが教えるわが家の防犯対策術!

はじめまして。
以降、長文になりますが、よろしければお付き合いいただけましたらと思います。

今の世の中はモノに満たされ、十分に便利かつ何不自由無い環境であると私自身は思っております。
確かに私自身は日本人であり、日本に住んでいるために、その充足感を感じていることは間違いありません。
ここでは、日本人のごく一般的な生活を送っている私の視点と立場から感じた事を綴らせていただいております。

私は現在30代前半ですが、私が子供の頃(昭和末期~平成初期)でも十分モノに満たされた便利な世の中であったと感じます。
その頃、画期的に変遷を遂げた代表的なモノを例に挙げると...
・パソコンやインターネットの普及
・現金からプリペイドカードへ(テレホンカード、オレンジカードなど)
・固定電話から携帯電話が主流に
・リモコンによる電化製品の操作が可能に(少し時代錯誤かもしれませんが...)

そして、今現在もモノやそれに付随するサービスがどんどん新たに生み出されたり、形を変えて進化を遂げています。
しかし、近年生み出されるモノやサービスや商売のほとんどは、企業間の競争から来る企業努力から生み出されたモノであったり、
「オサイフケータイ」や「インターネットショッピング」のような、消費者の消費行動を促進させる事を暗の目的としたモノが多いと感じます。

すなわち、「こういったモノがほしい」とか「あれば便利」といった消費者の要望が先に来ているのではなく、
それを生み出す企業の発展と勝利がそもそもの目的になっているような気がします。
ですので、ここ何年もの間に生み出されたモノに対しては、私自身も「へぇ~、思いもよらなかったなぁ」と感心はさせられますが、
「本当にそれは必要なのか?」あるいは「自分が生きていく上では無縁だろう」と感じさせられるモノが多いのです。

先日、東京の渋谷で起きた温泉施設の爆発事故の報道をしていたあるニュースキャスターは、
「そもそも住宅の密集した都会のあのような場所に構造上危険を伴うような温泉施設を造る事自体が人間のエゴであり無謀な事ではないか」
とコメントをしていましたが、私はそのコメントに賛同しました。
このコメントが、事故が起きた後の結果論だと言ってしまえばそれまでなのでしょうが、
実際あの施設は、「街中に居ながら天然温泉に入る事が出来る」という事を謳い文句にされていたと思いますが、
この施設が出来上がる以前から、「街中に居ながら天然温泉に入る事が出来る施設が欲しい」
と考えていた人はどれだけ居たのでしょうか?本当に必要なモノだったのでしょうか?

モノを生み出す技術についての人知はどんどんと進化を遂げても、そうして生み出されたモノの性質を理解し使いこなしたり、
あるいはサービスの提供をする人間の能力が追いついていないような気がします。
特に、安価に見合わないような良い品やサービスを提供しているのを見ると、
その裏側や源流には、無理をした人間の働きがあったりします。
無理を続けると人間のストレスは溜まりますし、予期せぬ弊害も起こります。
また、保守の部分などは機械化されてきていると言っても、その機械を作ったり操作するのは人間なので、
人的ミスに起因する事故(ヒューマンエラーというのでしょうか)が起こっても当然です。

モノを生み出す多くは企業ですが、企業は人間が動かしていますから、企業の発展と勝利は、そこに属する人間に潤いをもたらします。
だから人間はこの先も新しいものを生み出して、常に変化や進化をし続けなければならないのでしょうか?
だとすると、最終的な目標はどこにあり、どのような世の中になる事が理想的だと考えながら進んでいくべきなのでしょうか?
私は保守的な思考の持ち主ですので、人間がこのまま進化ばかりを続けるよりは、バランスの取れた世の中の流れというものを見出し、
それを守り続け、世の中の流れを安定させる...という姿勢に切り替えるわけにはいかないものだろうか?と考えてしまいます。
今の世の中を憂う人も多いですが、あるいは現状は、人間の安住・安息の地へ向かうための過渡期に居るのだけなのでしょうか?
皆様はどのように感じておられますか?

以上、抽象的でナンセンスな内容の疑問でもあるかもしれませんし、
文字数も限りがあるため、言葉足らずで理解しづらい部分があるかもしれません。
そして、この質問内容には「これぞ正解」という回答は無いと思います。
私自身の考えと意見は、何かを否定・批判・攻撃する事を目的としたものでは決してありませんので、
ご回答をいただく方々と議論や言い争うつもりはございませんが、
質問の本質的な部分について、皆様の忌憚無きご意見をお聞かせいただけましたらと思っております。
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 たしか 200 年ほど前の科学者( カントだったかも )が当時、


「 もう科学はじゅうぶんに発展したから、もうこれ以上研究する
必要はない 」と提言したことがあるそうです。

 でも当時はまだ電波の存在も知られておらず、飛行機も世の中に
存在していません。なにしろ内燃機関さえ発明されていないのです
から、自動車すらなかったんです。

 しかし、おそらく当時の人は、自分の住んでいる時代が発展途上で
不便極まりない世界などとは思ってもいなかったことでしょう。
同様に、100 年後の人類が 2007 年を見たら、なんと不便な時代
だったんだと思うことでしょうね。

 実のところ、「 もう科学の発展は必要ない 」と主張する人は
いつの時代にもいます。しかし、30 年前の自動車は現在の何十倍
もの有害物質を含んだ排気ガスを垂れ流していました。火力発電所
はいまより何十倍もの煤煙を垂れ流していました。

 道路網が整備されていないころは、事故の際に救急車が間に合わ
ずに亡くなった人がたくさんいたことでしょう。今なら薬で簡単に
治る赤痢やコレラで死んだ人は、昔はたくさんいました。

 だから、科学は発展し続けなければなりません。化石燃料を
燃やさなくてもエネルギーに困らなくなるための技術が必要です。
天候に関係なく安定して作物が育つ技術が必要です。エイズが
確実に治療できる薬が必要です。地震が来ても倒壊しない家屋を
安価に作れる技術が必要です。

> 現状は、人間の安住・安息の地へ向かうための過渡期に居るのだけなのでしょうか?

 おそらく、目的地がない旅ではあるでしょうね。西暦 1000 年の
人たちは、キリスト生誕から 1000 年という気の遠くなる歳月が
過ぎた時代について、終末が近づいたと思っていたかもしれません。
さらに 1000 年経った時代のことなど創造もしなかったでしょうね。
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この回答へのお礼

さっそくのご意見ありがとうございました。
200年前の科学者の提言...興味深い言葉ですね。

私は生まれてこのかた都会暮らしの生活に慣れてしまっていますので、特に山に囲まれたような田舎の地域に暮らしている方々にとっては、
これでもまだまだ不便さを感じておられる事でしょう。
同じ日本であっても、住む環境によって、人それぞれ何が必要か不必要か、便利か便利でないかは異なってくるものですね。

道路網を整備する事で人や物資の往来を容易にしたり、医薬品の開発や地球環境の保全に不可欠な進歩こそが、これからの人類の課題であると思います。
私たちの周りで新しく生み出されるモノが、直接的ではなく間接的であっても、これらの課題の達成に寄与するものであればと願います。

ここ100年のうちに世の中は急速に変化しましたが、長い歴史を見ても、短期間にこれほどまでの変化を遂げた過去は無いようですので、
これ以上あらぬ方向にエスカレートすることで、人類の末路をたどってしまうような事にならないかと心配するところです。

お礼日時:2007/08/09 02:11

 こんにちは。


人間が自然界の歯車の一つから抜け出て、哀れにもそれを管理してコント
ロールする立場に立った時から、地球の未来は滅亡へのカウントダウン
を始めたのではないでしょうか。
 今の贅沢な暮らしを捨て地球環境の為に一昔前の質素な生活に変えようと
しても、現実問題としてそんな事出来るとも思えません。諸外国も足並み
を揃えてくれるかと言ったら、それこそ不可能に近いのではないでしょう
か。人間の発展の営みに最終的な目的など存在するはずも無く、ひたすら
突き進むのみであり、それが豊かさと表現される事もあれば、環境破壊
と表現される事もあるのです。
 中国のオリンピック開催に向けての表と裏がいい例であり、繁栄と栄光
の為なら大勢の民衆の生活すら奪い取ってしまうのが、今この地球上で
起きている特に珍しくも無い営みなのかもしれません。
 急な坂道を転げ落ちている大木を止めるのは至難の業であり、それは空想
の世界ではなく現実に起きている事でもあるので、ウルトラマンでも登場
してくれない限り誰にも止める事など出来ないと私は思っています。
イナゴの大群があらゆる植物を食い尽くして最後には死滅してしまうが
如くに、今の人間は地球を食い尽くそうとしているのではないでしょうか。
 これはイメージではなく現実なのです・・・
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この回答へのお礼

貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございました。

そうですね、おっしゃられている事は疑いようのない現実ですね。
今の世の中の流れの先にあるものは、どうも我々が求めているものと違うもののような気がしてなりません。
しかし、いくら悲観する世の中であっても、悲観的な思いを抱きながら生きていくというよりは、
それでも希望を見出しながら、これからも生きていきたいものだと思います。

皆様、色々なご意見を賜り、ありがとうございました。
失礼ながらこの場をお借りして、重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2007/08/09 22:26

某温泉はじめ、今の企業(特に新しい企業)は、自分の儲け(一儲けしてやろうとか、名を挙げてやろうとか)を考えているものが目立つと思います。

牛丼屋とかもある意味必要なものだとおもいますが、営利が最大の目的であることは否めません。

本当に、社会をよくするために活動を行うというのは、本当にごく限られた企業・サービスだとおもいます。ただ単に短期的な視点でサービスを行い、10年たってみたら、すみにくい日本になっていた・・・という結末が今の日本だと思います。すみにくい国だと感じている人が多いと思います。

人間の安住・安息というのは、きちんとルール(暗黙の)を守っていれば自然に守られるものだと、私は思いますが、「やったもん勝ち」のすき放題で社会が進んできたために、すみにくいんだと思います。全体のバランスを考えてこないから。

今のままだと、間違いなく余計住みにくくなると思います。もう、変化は始まっていると思いますが、一気に変化が進むのか、徐々に変化が進むのかによって、安住の地になる時間のかかり具合が違ってくると思います。個人的には、一気に大爆発しそうな気がしないでもないですが・・・

ただ、文章を読んだ感想だけを書き連ねさせていただいたので、お礼は簡単か無しで結構です。雑文失礼いたしました。
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この回答へのお礼

貴重なご意見・ご感想をいただきまして、ありがとうございました。

私が感じるに、今の日本の世の中においては、モノやサービスはもうすでに飽和状態になってきていると思っていますが、
やはりそれでもなお会社を(その延長線上には自分や家庭を)潤わすために、
何かこれまでに無かったような、ヒットするようなモノやサービスは無いものかと、
本当に人間の進歩に有益なモノかどうかは二の次にして、無理に生み出そうとしている気がしてなりません。
特に過剰なサービスや、アイデア性に富んだ内容のサービスをしている会社を見ると、
そこでの仕事の内容が複雑なものであったり、人間の体に負担のかかる激務であったりします。
そしてまた新たなサービス内容を捻出するだけの知恵や知識や個性が必要になってくるので、
普通に働く意思や能力がある人でも、会社からは平凡な人物とみなされて特に必要とされず、
満足に職に就くことが出来ないような状況も生まれているのではないかと思うのです
(それを「今の若年層の無気力さの一因」に転嫁するのは短絡的かもしれませんが...)。

とにかく、今のままの状況が続いて、余計に住みにくくなるような流れは避けたいです。
我々が本当に向かうべき方向とバランスとを見定めていく必要がありますね。
持論ばかり長々と失礼をいたしました。
内容が脱線気味になりましたが、こうしてご意見をいただけた事で、またひとつ違った側面からのモノの見方と考え方が出来ました。
重ねまして、ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/09 18:36

わかりにくい答えだったようなので補足いたします。


各人が正しく良いイメージを持ち実行して行けば
弊害や問題もなく、便利で平和な世の中になります。
それが急速に進みます。
非常に難しいかもしれませんが実践目標は簡単。と言うことです。

でも、悪いイメージが捨てられない人が多いのが気がかりなのだと思います。
他人事なので「しょうがない」で片付けるしかない。
のかもしれません。
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この回答へのお礼

早速の貴重なご意見ありがとうございました。

考えれば、普段何気なく使っている身の回りのモノ、例えばハサミや自転車などでも、これまで改良を重ねてきた結果、
今こうして人々にとっての必要不可欠なモノになったのですね。
最近になって生み出されたモノは、私たちにとってまだ馴染みがないですし、本当に必要かどうかの判断がしにくいモノがありますが、
もしかするとその中にも、この先に改良を重ねていって、ハサミや自転車のように、必要不可欠なモノになる可能性もあるという事ですよね。
私の考え方では、その成り行きを否定してしまう事にもなりかねませんね。

私自身は性格的には楽観的な人間ではあるのですが、時々こうした悲観的というか、浮世離れしたというか...、
物事を考えすぎて見てしまうことがあります。
ある同じ事に対して、「良い」と感じるのか、「悪い」と感じるのかは、自分自身の捉え方や考え方ひとつで確かに変わりますね。

私のこのような思想が、私自身や周りの人々に対して悪影響をもたらさない程度に考えていきたいと思います。

お礼日時:2007/08/09 03:33

このご質問の答えは難しく考える必要はありません。


身の回りの物のほとんど全てが人のイメージで作られた物です。
たとえば湯のみ一つとっても地面に生えていた物ではなく
「こういった物が欲しい」と言うイメージが形になった物です。
熱い物も注げて、洗って何度でも繰り返し使えて、重くもなく
見た目も良く、割れなければ人の命よりも長持ち、他いろいろ
のイメージです。

某温泉?での事故はエゴとかではなく
只単に安全に対するイメージが大きく足りなかっただけです。
利用者や従業員も足りていなかったと思います。
キャスターの発言もその場の受け狙いだけが目的で
大きなイメージ不足です。
受けると言うイメージではある程度思い通りの形になったようです。

つまり世の中は全てイメージで変わります。
良いイメージを持ちましょう。
良い人生になります。
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この回答へのお礼

早速のご意見ありがとうございました。
回答No.5にて、合わせてお礼を述べさせていただいております。

お礼日時:2007/08/09 03:38

こんばんは。



 ご質問文、興味深く拝見しました。おそらくご質問者さんと同年代です。(「万博後」世代。)

 最新の技術により日々の利便を享受して暮らすことも、環境を保全しようとしたり、抑制的な手段でバランスを取って人類の安住・安息を願ったりする心情も、すべては人間の剥き出しエゴだろうと感じるのですが??
 「バランスの取れた世の中」にすること、「世の中の流れを安定」させることの意味は何ですか?それは人の永続を願うという「エゴ」ではないのでしょうか?
 「より良い」状態を目指すことを否定するつもりはありません。ただ、結局のところ技術を享受することも、バランスのとれた人類の安息も、どちらもエゴだろうと思うのです。

 すべては成るようにしか成らない。
 人が人の意志・意向で全体として安住・安息することはできないのではないかと思います。人類の存続は外的要因に左右される要素も大きいですし。
 かといってすべて完全に諦め切ってしまえというわけではなく、「成るようにしか成らない」世界に働きかけるには、まずは個々の内にある「エゴ」というものを改めて見てみてはどうかな、と思うわけです。自分のものであれ他者のものであれ、エゴには一生付き合わないといけないものですし。
 
 偉そうにモノを言えたもんじゃないですけど・・・好き勝手に記しましてすみませんです。では。 
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この回答へのお礼

早速のご意見ありがとうございました。
私が日々感じていた事柄に対して、皆様より色々な側面から見たご意見をいただく事が出来、有難く感じております。

「成るようにしか成らない」
その言葉の前では、今回の私の質問内容がますます稚拙でちっぽけなものに思えて、恐縮してしまいます...が、「なるほど」とも感じさせられました。

現代に新しく生み出されたモノによって、これまでに無かった新たな問題や弊害が生まれてしまう事があります。
そのモノによって恩恵を受けている人々は確かに居ても、その反面には弊害を被っている人々が居るという事や、
起こり得るであろう問題があるという事に対して、まず目を向けなければならないのではないかと感じています。
特に日本は概ね裕福な世の中であって、人知が色々な事を可能にしていく事ができる現状では、前ばかりを見すぎている気がします。
まさに人間のエゴというものが、前後を見る事のバランス感覚を狂わせたり、失わせてしまっている気がしてなりませんでしたので、
「バランスの取れた世の中を見出し、世の中流れを安定させる」必要があるのではないかと私は考えました。

しかし私自身の考えが偏りすぎて、世の流れに逆らったり、自分と他者とのエゴのバランスを失ってしまわないようにも留意しなければならないですね。

お礼日時:2007/08/09 02:53

今の我が国を始めとする先進諸国の一番の悩みと言えばこのことになるような気がしますね。


あなたの表現を借りたら「本当に必要なもの」に関する技術的発展はここ最近でも色々とありましたが、実際必要なものの付随技術でしかないように思います。
便利を創造して、しつくしたが故に次の便利に関してどうしても細分化の道を歩むのは仕方のないことではないかとは思います。ただ、そんな中での人の心情としては発展加速度が小さいですから、基本的に「変わらないこと」「普遍性(不変性と言ってもいいかも知れません)」に偏っていく傾向があり、それが現代人のひずみの原因(凶悪犯罪の増加等)につながっている気はしています。これだけ普遍な世の中を作っても、例えば人の成長等に代表される「変わるべきもの」も当然その中に存在するワケで、その変わるべきものに対する対応ができていないような気がしてならないのです。(わかりやすく言えばモンスターペアレント問題、学校・家庭教育問題等々)
今後、それを踏まえ、一人一人の自覚が国作りの問題となっていく世の中になっていくのではないかと思います。一人一人がそうなれば再度の日本の発展はあるでしょう。できなければ過去の栄光にすがる単なる見苦しい国に堕ちていくように思えてならない一人です。世の中を安定させるのは私たち一人一人であって国家機関のみじゃないはずです。国家機関はそれぞれの主観の調整役でしかなくなっていくのではと思います。(その調整ができなければ混乱するのは目に見えてますよね)
もうナントカ主義や団体の欲のもと、人や団体が集まって国や企業を形成するという世の中は限界点に達しているのではと思います。
実際、あの温泉施設を
>「そもそも住宅の密集した都会のあのような場所に構造上危険を伴うような温泉施設を造る事自体が人間のエゴであり無謀な事ではないか」
とコメントしたアナウンサーだって過去に似たような都市温泉施設を利用して「いい気持ちぃ」とか言ったこともあるかも知れません。まだ個人個人の自覚の世の中になってはいませんから、このことを表立って批判するワケにも行きませんが、その前に感じる危険というものをきっちり感性が感じ取れるのか、と言うことが今後の課題になるんじゃないかと言うことです。(感じ取れれば疑問点を各々が感じるため利用者が当然少なくなりますから、そのような施設はできていかないはずですしね)
モノを生み出す団体(現代の日本では企業と言う形を取りますね)がその発展をやめれば変化に対して何もできなくなるように思います。変化すらバランスの一環でしょう。人間には(というかこれだけの大脳の知能をもった生物には)残念ながら不変の安定というものは供してもらえないでしょう。なぜか、どうしても赤ちゃんから子供、そして青年から壮年とどうしても成長という変化を経験し、その本能を知能側に刷り込んでいくからです。
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この回答へのお礼

早速のご意見ありがとうございました。
興味深く拝見させていただきました。

「その必要性に疑問符が付くような新しいモノ」を生み出し続ける事に対して、私は悲観的な意見を述べましたが、
かく言う私自身も、その中から自分にとって必要なモノは利用して、恩恵を被っていなくはないので、
「いいとこ取り」だけして、それをないがしろにしたような意見を発するのは良くない事ですよね。

人間は立ち止まる事のできない生き物ですから、「前進も後退も無いような世の中を造り、そこに落ち着かせる」という考えはナンセンスでしたね。
しかし、どうも現代の人間の中では、変化して向かうべきベクトルがあいまいになっている気がします。
私も他人事のように悲観するばかりではなく、より良い方向に進むべく、手段と在り方を見つめなおさなければならないですね。

お礼日時:2007/08/09 01:40

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