神社の神様って?
お寺(仏教)では、だれに手を合わせてますか?お釈迦様?
神社(神道)ではどうですか?天照大神?それって天皇家の祖先?
はっきりしません。教えてください。
回答(6件)
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No.6ベストアンサー10pt
#4です。
>なるほど、国家神道と神道には歴史のずれがあるんですね。
維新の際に新しい国のあり方を求めて西洋をその目で見てきた人達は、あちらでキリスト教がどれだけ人々の精神的支柱となっているかを知り、産業だけでなくそちらのほうも近代化には不可欠と考えました。
その為日本は古来から自然崇拝を基本とした多神教であったところを、強引に西洋の一神教のようなかたちに組み直そうとした訳です。
それでやはり相応しいのは日本独自のものである「神道」であろうということで、それまでは「神様」達との共存を認められ人々の素朴な信仰の対象として一体化していた「仏様」達を無理矢理引き離しました。
「廃仏毀釈」というやつですね。
そしてそれぞれが殆ど別個に存在していた津々浦々の神社までを、一つのピラミッドの中に押し込めてその頂点に天皇を置き「現人神」のような扱いにしてしまいました。
これは別に天皇がそうしたのではなく、ほかにそのようなシンボルとなるべきものがなかったので新政府がそうしただけです。
それ以前もずっと天皇がそういう存在だったと思っている人もいますが、江戸時代などは殆ど「忘れ去られた権威」というべき存在で、特に庶民にとっては「そのような方が都におられるらしい」というくらいの認識しかなかったと言われています。
ですが所詮は政治の為に無理矢理作り変えた「国家神道」は日本人の信仰形態とはかけ離れたものでしたし、一時期の興奮が続いているうちはよかったのですがやはり色々と齟齬が生じてきてしまいました。
戦後になって「国家神道」が消滅しても神社にその影を感じる人が多かった為か、神社すべてを悪者扱いするような考えを持つ人もありましたが、神社の殆どはそれ以前からずっとそこにあって素朴な信仰を受けていたところを、有無を言わさず「国家神道」のピラミッドの中に組み込まれた訳ですから、それが悪く言われるのは少々筋が違うというものでしょう。
今は流石に直接そのように思う人も少なくなったでしょうが、今度は大まかにしか教えてもらえない学校(これは仕方の無い面も大いにありますが)で学んだなどことから、そのような印象をもってしまう人も多いのかもしれません。
一面だけをひどく強調して教えるような教師も結構いるようですしね。
この回答へのお礼
ありがとうございます。なるほど知らないことばかりです。それにしても素朴な日本人にぴったりですね。神社。それをいろいろ利用した人もアクドイですね。私は墓参りも初詣もいきますが、そろそろくわしいことをしりたいのですが、おっしゃるとおり人によって解釈が違い、よく見えません。でも、もっとしるべきですね。
No.5ベストアンサー20pt
#2です
>戦時中も神社を海外に作ったのだと思っていましたが、違うんですか?
あまり詳しいわけではないですが。
明治から大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦までの間に日本政府の政策により成立していた国家宗教で国家神道(国体神道などとも呼ばれた)というのがあり、昭和10年以降の皇民化運動により増えたことは確かですが、これはもともとは統治領に在留する日本人が自分たちのために建てたものです。
朝鮮神宮は大正14年に創建され、社格は官幣大社だったそうです。
韓国の併合は明治43年(1910年)です。
南洋神社は昭和15年(1940年)天照大神。
樺太神宮は日露戦争の結果、樺太南半が日本領有となり、その鎮護のため、国土経営に神功のある上記開拓三神が奉祀せられたにより、明治44年(1911年)8月22日鎮座祭がおこなわれ、8月23日に鎮座・創建されました。祭神は大国魂神・大己貴神・少彦名命の三柱。
関東神宮は1938年(昭和13年)6月1日に創立され、官幣大社に列格した。1944年(昭和19年)10月1日に鎮座・創建された。祭神は天照大神・明治天皇の二柱。
台湾神宮は明治34年(1901年)、台北市の剣潭山(円山)に台湾神社の社名で創建された。当初の祭神は、北白川宮能久親王および大国魂命・大己貴命・少彦名命の三柱で、昭和19年(1944年)、天照大神が増祀され、台湾神宮に改称された。
詳しくお知りになりたい場合は
「日本統治下の海外神社-朝鮮神宮・台湾神社と祭神」
弘文堂刊を図書館などで探してみてください
この回答へのお礼
ありがとうございます。
一概に植民地の人を日本人化させるために神社を作っていったというのは嘘なのでしょうか?それもあったということなのでしょうか?自分たちのためだけだったのでしょうか?どれもあるかもしれませんね。
宗教家が行うのはしょうがいないですよね。ただ、国家が行ったとすれば考えなくてはなりませんね。それも、政治のために。
こんにちは。
皆さんが既に仰っているようにお寺も神社もお祀りしている仏様・神様はそれぞれ別です。
しかし例えばあちこちにある「神明神社(神明社)」であれば、これは伊勢の神宮から勧請したものですからアマテラスをお祀りしているというように、一定の流れを持つ場合も沢山あります。
稲荷であればウカノミタマ、八幡であれば応神天皇、諏訪神社であればタケミナカタであるとかいった具合です。
勿論例外もある訳ですが、お寺の場合に関しても宗派でおおよそ本尊の見当がつくような場合もある訳です。
>天皇とは関係がない神社もあるんですか?
戦前は所謂「国家神道」というもので無理矢理全国の神社を序列化し、その一番上に天皇を据えましたが、実際のところ神社の殆どは天皇家とは関係なく成立しています。
天皇家やその成立神話に関わるとされる神社も、元は多くがただ地元の人々によって自分達の神様が祀られたに過ぎないものだったでしょう。
大和を広く統治することになった天皇家とその周囲が、それらを自分達の神話に取り込むことによって支配をより強固なものにしていったというようなところもある訳です。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
なるほど、国家神道と神道には歴史のずれがあるんですね。
また、大和の統治という意味で・・・なるほど。
やはり、村の中心の神社も靖国もいろんな人に利用されてきた感がありますね。これは我々の歴史にかなり関係あるんですね。
下方々が書かれているように、それぞれに奉ってある仏様や神様です。
ちなみに、うちの子供たちはお寺の保育園に通っていますが、「のの様」に手を合わせています。
私がお寺で拝むのは、葬儀や法事のときばかりなので、対象となる故人を思っています。お墓参りのときはもちろん御先祖様。
神社では、お願い事をして叶った場合は1年以内にお礼に行かないとバチがあたると聞いたので、何も思いません。心を無にするようにしています。「こんにちは」くらいは言うときもあります。
お賽銭はその時の気分や持ち合わせによります。
私の御先祖に、私財を投げ打って地元のために尽力し、生きているうちから崇められ神社を建立されて生き神様になった人がいます。
とても小さい神社ですが、そこでは御先祖様なのでいろいろ話し掛けています。日々の些細な出来事なども。
この回答へのお礼
自分なりの解釈も必要ですね。ありがとうございました。
寺は宗派により色々ありますので、そこの本尊を拝む形になります。
神社も神社によって奉る神様は違います、
アマテラスを奉っているところもあれば、ニニギノミコトを奉っていたり、サルタヒコ、スサノオなど神社によって違います。
大抵の神社は一柱ではなく複数の御柱を奉るのが普通です。
神社の場合は由来書が必ずあるので、それにどの御柱を奉ってあるのか書いてあります。
この回答へのお礼
細かい固有名詞までありがとうございました。それぞれ違うんですか。私は天皇の祖先にお願いしてるんだと思いました。だから、戦時中も神社を海外に作ったのだと思っていましたが、違うんですか?
神道にしろ仏教にしろ一神教ではありませんので多数の神や仏がいます。
ですからお寺の場合はご本尊さんと呼ばれる仏(釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩等々)に手をあわせているのが普通でしょう。
神社の場合もそれぞれの神社で祭神は違いますから、その祭神に手を合わせているわけですが、神社によっては一柱だけではなく複数の神が祀られている場合もあり、その祭神も天照大神のようなもとからの神様もいれば、天神さん(菅原道真)のようにもともと人間だったのが神として祀られたというような例もあって様々です。
この回答へのお礼
いろいろなんですね。天皇とは関係がない神社もあるんですか?
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