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社会の調べ学習で、私はバチカン市国を調べることにしました。
バチカン市国を調べるのにあたって、1つ疑問が出てきました。
それは、「バチカン市国は、イタリアの首都ローマの中にあるのに、何故国なのか?」です。
いろいろ調べてみたんですが、なかなか良い情報が出てこなくて・・・
分かる方、教えてください!!お願いします。

A 回答 (4件)

他の方と重複するかもしれませんが…



かつてのカトリック教会の直轄領の名残です。
かつてカトリック教会は、ヨーロッパのあちこちに領土を持っていました。そのような教会の直轄領では教会が治めており、そこでは貴族や国王、皇帝でさえ手が出せませんでした。

話がそれますが、

例えば、モーツァルトの故郷のザルツブルクもカトリックの枢機卿が治めていたため、教会の宗教的権威が強く、モーツァルトはこれを嫌って、ウィーンで作曲活動をしたとも言われています。

現代では、バチカンは独立国家としての地位を利用して、マフィアのマネーロンダリングに利用されています。バチカンの資金洗浄は有名で、この手数料収入は反共産主義運動に利用されており、前法皇の時代、ポーランドの反共産主義組織「連帯」に一億ドルもの資金が供給されていたそうです。
googleなどで「マネーロンダリング」で検索すると出てきます。

このように、バチカンが独立国家である事を必要とする人たちがいる限り、バチカンは「市国」なのです。 

参考URL:http://detail.booklog.jp/asin/4344980093
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http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup …

↑【超超ミニ国家、バチカン】割とわかりやすく書いてあります。
何故国なのか?・・・わかると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
このサイトとても良いですね。今初めて見ました。
なんか分かるような気がします♪
本当にありがとうございました!!

お礼日時:2007/08/16 23:11

ここに書かれています。


勉強してください。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%81% …

バチカンの地は古代以来ローマの郊外にあって人の住む地域ではなかったが、キリスト教以前から一種の聖なる地だったと考えられている。326年にコンスタンティヌス帝によってペトロの墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられた。やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して強い影響力をおよぼすようになると、バチカンはカトリック教会の本拠地として発展し、755年から19世紀まで存在した教皇領の拡大にともなって栄えるようになった。1860年にイタリア王国が成立すると教皇領は接収されたため、ローマ教皇庁とイタリア王国政府が関係を断絶し、教皇は「バチカンの囚人」と称してバチカンに引きこもった。

このような不健全な関係を修復すべくイタリア政府とバチカンの間で折衝が続けられたが、1929年2月11日になってようやく教皇ピウス11世の全権代理ガスパッリ枢機卿とベニート・ムッソリーニ首相との間で合意が成立し、3つのラテラノ条約が締結された。条約は教皇庁が教皇領の権利を放棄するかわりに、バチカンを独立国家とし、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位を保証するものであった。この措置はイタリア国民にも広く支持され、「教皇との和解」を実現したムッソリーニの独裁体制はより強固なものとなった。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
実はこのURL見たんですが、よく分からなくて・・・(汗)
でも本当にありがとうございます!!

お礼日時:2007/08/16 23:01

端的に言えば、あそこは「ローマ法王領」なのです。


形式上「国」という形にしているだけです。
参考URLも参照してみてください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%81% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
形式上の「国」なんですか!!
参考URLを見させていただいたんですが、国全体が世界遺産だからっていうのもあるんですかね・・・?

お礼日時:2007/08/16 22:46

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