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この場で申し上げてよいものかは疑問ですが、私は東京在住で旧姓は「喜多」といいます。

私の故祖父は今から100年ほど前(明治30年ごろ)に現在の徳島県池田市の山あいから瀬戸内を渡って本州へでて、そこから親戚を頼って上京したそうです。

去年私はそんな祖父の故郷を一度見てみたいと思い、一念発起して池田へ出かけていきました。

一昔前に甲子園を賑わせた池田高校の「山彦打線」に象徴されるようにとても山深いところでしたが、吉野川の清流がとてもきれいで昔話に出てくるようなとても静かなところでした。

伝え聞くところによりますと、私の祖父の生まれ育ったところは池田からさらに山あいに入った「東祖谷地区」といわれて下りますがそこは「平家の落人伝説」が残っているところだといいます。

よくこの「平家の落人伝説」という言葉を各地を旅行したときなどに聞きますが、「平家」=「負け組み」、「落人」=「差別民」などのイメージがありますが。。。

知っている人には大変基本的なことなのかもしれませんが、

「平家の落人伝説」というのは一般的にいってどのように言い伝えられまた受け止められてきているのでしょうか?昔の「」や現代の「差別」的な意味も潜んでいるのでしょうか?

もっと砕けた質問の仕方をすれば、「私のおじいさんは平家の落人伝説の残る村の出身なんです。」と普通に人に自慢げに言える事なのでしょうか?

もしもご親切な方がおられましたらお教えいただけましたら幸いでございます。よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (3件)

私は四国に赴任しているとき、祖谷はよく行きました。

すばらしい自然に囲まれたなんと美しいところでしょう。近くの大歩危、小歩危も雄大な景観ですね。四国の3大名勝と勝手に決めています。後2つは鳴門の渦潮、四国カルストですね。
平家落武者伝説は哀れを誘う悲しくもそれでいてなんとなく勇気を与えてくれる物語です。戦に敗れた平氏が追い来る源氏の恐怖にさらされながら、山の奥深くに世を忍んで生き延びる。「かずら橋」は源氏が渓を渡れないようするために、いざという場合に切り落としたそうですね。その渓底には温泉が湧き出でて、とてもすばらしい自然を満喫できますね。
さて、お尋ねの平家=負け組 落人=被差別 というのは確かに一部では言われています。しかし、この認識は誤りです。今でも残っていますが、被差別を存在さすための口実に利用されました。士農工商のまだ下に「エッタ」と呼ばれる被差別民を政策的に生み、民の不満の捌け口に利用されたのは事実です。
といって、なにも、被差別の人が悪いわけではありません。平家の
落武者であることを隠すことはありません。なんせ、平家とか源氏とかは1千年も前の、それこそ伝説の時代のことです。
確かに平家は負けたのですから、負け組でありますが、そんなことを現在になって問題にする人はいないでしょう。そんなことを言ったら、かっての戦争でアメリカに負けた日本人全員が負け犬です。他人のことを悪くいえません。むしろ、かっての名門の一族として誇りを持つべきでしょう。私はそう思います。
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 「源平の合戦」という名称に惑わされているのです。

この言葉から、日本全国の平氏と源氏が互いに対立し、勝負していたと誤解されているのでしょう。
 しかし、平清盛ら都で権勢をふるっていた中央政府(平家一門)と源頼朝率いる東国武士団との戦いです。そして頼朝に協力した東国武士のうち伊豆・相模・上総・下総の面々、つまり北条・畠山・千葉・土肥などは平氏です。また新田・佐竹など頼朝に従わない源氏もいた。源平の戦いといいながら、実際は平氏同士、源氏同士の戦いでもあった。だから「治承・寿永の内乱」という名称が的確ともされます。
 だから鎌倉幕府の実権を北条(平氏)が握ったように、平氏だからといって弾圧・迫害されていたわけではありません。

 平家の落人伝承は、山の民、開拓者は自分たちの先祖を「平氏」と自称します。なにしろ中央で活躍する藤原氏や源氏では信憑性に欠けますが、平氏だと“流浪する貴人”という神聖なイメージともマッチし、ロマンが生まれるからです(氏族の自称、捏造はこれに限ったことではなく日本史では普通のことです。藤原氏を名乗っていた織田信長が途中で平氏を自称し、地方武士である松平氏出身の徳川家康が源氏に家系を書き換えたのは有名です。江戸時代の職人階級でも、免状を受けるために家系の書き換え、氏姓の売買は行われていました。家系図での「先祖は○○氏」は当てにならないといわれるゆえんです)。

平家谷伝承と被差別民の問題はまったく異なる命題です(というか、現在ある被差別民のイメージは江戸期に作られたもので、中世のものとは性格が違います。それ以前に平安貴族からすれば武士自体も被差別民でしょう)。安易に結びつけるのは、はなはだ危険です。
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平家の落人伝説は歴史のロマンです。

 それを売りにした、観光地や温泉も全国いたるところにあります。 極稀に差別につなげるようなことを言う人もいるようですが、私は「私のおじいさんは平家の落人伝説の残る村の出身なんです。」と誇らしく言えると思います。 質問者さんのおじい様は東祖谷地区のご出身とのことですが、一般的に平家の落人とされているのは、徳島県三好郡西祖谷山村(現・三好市)のようです。 屋島の合戦に敗れた平国盛率いる30名の残党が、讃岐山脈を経て、阿波へと入り、現在の徳島県東みよし町から井川町(現・三好市)にかけての一帯に住んだものの、更に追手に追われて、祖谷に移り住んだと伝わっているとのことです。 
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