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あるサイトをみていたら法華経方便品第二の十如是のあとに諸仏を信じなさいというような言葉が本当はある・・・それを削除してあるからそのため十如是は意味が解らないと書いてありましたがこれは何か物的証拠があるのでしょうか?
私自身親が創価学会のため子供のころから本当は違うんじゃない?という本音を押し隠してきましたがあるとき爆発して今は平穏に暮らしています。
ですが、親とこれから話し合いになったときに論理的なことも知っていたいので・・・他に何か知っていることがありましたら教えてください。

A 回答 (3件)

こんにちは。



 ご質問文を拝見していて、2つの観点から少々補足いただいた方が、回答を検討される方々にわかりやすくなるかな、と思いまして、お邪魔します。
 (余計なお世話かもしれません。自分が有用な回答を用意できるわけでもないのですが。)

 一つ目は、ご両親やご家庭に関してですが、いま平穏にお暮らしであれば、そのままご両親とは距離を置いて生活し続けるというのはできないものなのでしょうか?
 また、ご両親とお話しになる際には、いつも教義・経文のかなり細かい内容の問答になるのでしょうか?
 老婆心ながら、ヘンに理論武装して教義問答を始めると、余計に話しがややこしくならないか??と感じたものですから。

 二つ目は、法華経に関して、ご質問者さんは現時点で、法華経をどういうお経だと考えておられるのでしょう?
 古今広く信仰され研究されたお経ですが、評価や見解はまちまちです。そのあたりから書き始めれば、冊子ぐらいの情報量になっていくと思います。
 学会の方やその他の日蓮主義系の信仰をされる方もいろいろで、けっして一概には言えないのですが、たいていの方は、「法華経はお釈迦様が説いた」と信じておられるように思います。
 ご質問者さんは学会から抜けたということですが、どういう法華経観をもっておられるかで、回答する方は、どのあたりから、どういう話しで回答を用意するが考える手がかりになると思います。

 法華経は、評価が二分されるお経で、「実質、何も書かれていない」とするもの、「仏典の最高峰」とするものと極端です。
 法華経を評価する方々の中にはある種の秘教的な内容があるのだとして解釈を加える方もあります。ご質問文に関する事柄もそれに類する話しではないのかな、という印象を受けましたが。
 十如是に関してもお経の翻訳や解釈に伴ういろいろな研究成果が上っています。

 どこから、どういう形での情報を求めておられるか、もう少し整理していただけると、有用なのではないかと思いました。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!内容に対するお礼には遠くなりますが。
本当に親の狂信的な活動と情報が統一されていて信じきっている考えには苦しんできました。

今は信こうのことには触れずに生活していますが、何かのことででることがあります。そうすると池田先生は命がけで戦っているんだというのです。だったら福永法源も池田さんと同じ○○平和賞をもらっているんだよ。と教えてやりたいとこですが、喧嘩になるのでいいません。いつも先生は批判されていて私達は守られているといいますが、私が親のあまりに非常識な勧誘や新聞の啓蒙でどれほど陰口をたたかれてきたのか、池田さんは心配するのかと思うのです。日蓮正宗との裁判でも負けている方がはるかに多いということも創価学会員はしらないのです←知らされていないのです。

親の目を覚ましてやりたいのですが、無理そうです。

ただ私も学会で活動していたことがあります。それまで、他人様の思いやりがこれほど深いものだとはしりませんでした。学会では学会しか本当の人間関係を築けないという考えです。そしてそのようにだんだん追い込まれていきます。

今は学会から離れて本当に自分らしく生きているので、幸せを感じることが多くなりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/21 13:17

参考「法華経の話」


http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/hokekyou-s …
妙法蓮華経方便品 第二(1)
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-2-1.htm
に十如是の後の部分があります。
そこには私(と10方の仏)、釈尊しかわからない。とあります。このあたりの違いでしょうか?
尚、他の法華経文で釈尊が実は久遠実情の仏陀であることを明らかにしていますから、十如是ならびに方便品の意味は全体から容易にわかるはずですね。
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>あるサイトをみていたら法華経方便品第二の十如是のあとに諸仏を信じなさいというような言葉が本当はある・・・それを削除してあるからそのため十如是は意味が解らないと書いてありましたがこれは何か物的証拠があるのでしょうか?




確かに物的証拠といえるのかどうかは分かりませんが、そもそも科学技術や医学は自分一人で証明したものじゃないですよね。それらは疑おうとすれば、疑えるもので、多くの人が正しいと信じているだけで、本当に合っているかどうかは分からないと思います。また、あなた自身も科学技術や医学は正しいと信じているはずです。(医者の薬を信頼していると思いますからね。)
 それと同様に、何千年もかかって多くの人たちが築きあげた法が諸仏の法なので、あなた自身だけではとうていすべて証明できるということは不可能であると思います。
 そこで、諸仏の法は多くの人たちによって実践され幸福をもたらしてきたという文献や言い伝えなどによって、自分自身でも実践すれば、幸福をもたらすだろうということから、「諸仏を信じなさい」という教えがでてきたのではないかと思います。

>私自身親が創価学会のため子供のころから本当は違うんじゃない?という本音を押し隠してきましたがあるとき爆発して今は平穏に暮らしています。

仏教では疑うのは苦だという教えがありますが、中道という教えもあると思います。事実、お釈迦さまは当時の教えを疑っています。なので、本当に違うかもしれないと思うなら疑ってみればいいと思います。しかし、それを否定することができなかったら、信じてしまえばいいんじゃないでしょうか?否定しようとしてもできないとき、ただ疲れるだけですから。
 また、めんどくさい、慣習とかも、それを行うことでいいことがあるのかどうかさっぱり分からなかったら、やめたっていいと思いますよ。

 ちなみに私は創価ではありません。ただ、創価の考えの中にいい考えがあるから一部認めているだけです。あとの信じられないものは信じません。
 たとえば、「公明党にぜひ投票してください。」などの電話勧誘は嫌なので信じられないです。
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