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お世話になります。

富田メモにおいて昭和天皇がA級戦犯合祀後、靖国神社への参拝を止めるようになったと記述があります。
A級・B級等にかかわらず、曲りなりにも「有罪」の判決を受けた者に対して、当時の日本政府や皇室・旧軍当局者などは何か行動を起こしましたか?
たとえば それまで得ていた勲章を剥奪するとか、「正五位」等の位階を剥奪するとか。
一方で「有罪」となりながら、一方で勲章が生きているとしたらおかしな話だと思います。
実際どうなのでしょうか?

A 回答 (4件)

東京裁判は、日本の法律に基づく裁判では無いですから(根拠となる条約・法令はありません、単なる戦勝国の報復です)日本国として何らかの対応をしなければならない根拠はありません



ですが、講和条約締結の際に、東京裁判での判決を覆してはならないことを条件にされています
ですから、判決そのものは残っていますが、それだけのことです
降伏調印から講和条約締結までは、日本の主権は連合国占領軍(GHQ)にありました、

憲法の国民主権は、講和条約締結後のことで、被占領の間は、GHQは国民主権であるような勘違いを起こすように仕向けていました(日本のマスコミも、加担していました)

東京裁判で有罪の判決を受けた者に対して、日本国の法律に基づく、権利の制限等はなんら存在しません

富田メモの報道には、疑念が指摘されています
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まず、各地で開かれた軍事法廷などで戦勝国によって一方的に裁かれた戦争犯罪人は日本の国内法上犯罪人として扱われていないこともあり、日本において戦争犯罪として認知・認識されるに至っていないと言うことをご理解ください。

 「戦争犯罪人」の有罪が宣告される前ですが、東條の自殺未遂を契機に、東久邇宮内閣において戦争犯罪人の処置についての緊急閣議が開かれ、日本の事情をよく知らない相手に処置を委ねてしまう事は、勝者からの一方的な裁きとなる懸念があり、また日本側で処罰しておけば、その上に連合国側の裁判があっても過酷な量刑は避けられるのではという考えから自主裁判論が討議されました。 しかし、昭和天皇は「敵側が勝手に戦争犯罪人と言っている人たちは、皆かつて自分に忠誠を尽くしてくれた人たちであり、その人たちを天皇の名に於いて処断することは忍びない」として一度は反対されました。 また、木戸孝一内大臣も自主裁判は国民裁判になるとして反対していましたが、協議が重ねられ内閣側が国民裁判にはならないとして、天皇から自主裁判の許可を受けました。 しかしこの頃、日本政府内部一部にある敗戦意識の欠如が、占領軍総司令部の中で問題視されはじめ、 結局マッカーサーの「すべてわれわれでやる。」の言葉通り、日本人による日本人の戦争犯罪を裁く自主裁判が実施される事はありませんでした。こういう史実もあり、冨田メモの信憑性日ついては依然として論議があります。 (以上一部Wiki「日本の戦争犯罪」から引用)  
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http://homepage3.nifty.com/~fwix7026/books/ww2/k …
城山三郎「落日に然ゆ」ネットでパール判事を引いて少し呼んで見ませんか。今戦争は悪いことで一億総反省みたいな傾向に関して昔戦争に一億総突入と同じように感じるのですが。
 東京裁判などしらべるのもいいと思います。
 私の父は海軍の軍人でした。父と同じ血を引く叔父は、戦争反対論者で拷問を受け腎臓に刺された銃剣傷が元で障害病床にあり、叔父を尊敬しながらも戦場に向った一番上の叔父の子もガダルカナルで亡くなりました。同じに国を家族を思って生きた生き様だと私は考えています。
 今年「落日に然ゆ」のモデルの文官広田氏の家族が遺骨を受け取らなかったことに関してのコメント(正確にかけないのでカット)にうなずけたこともあります。貴方は若いのでしょ。沢山当時の本を読まれてみてください。又違うものが見えると思います。
 今上天皇の誕生日にA級戦犯の処刑が実行されたことご存知でしたか
天皇誕生日のたびに私はこの日に行われた処刑の意図をどのように受け止められているのかに思いをはせて誕生日のニュースを見ています。
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聞いた話しでは、昭和天皇から白菊会(戦犯遺族の会)会員に対して毎年寸志が届いていたそうです。

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