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仏教の死生観について教えて下さい。
尊厳死・安楽死や自殺などについて仏教はどういう風に考えているのでしょうか。
宗派によって違いがあるかも知れませんが、原点であるお釈迦様の教えはどうなのか?というところを知りたいと思います。

A 回答 (6件)

>原点であるお釈迦様の教えはどうなのか?



お釈迦様は、「この世の迷いの生存は『苦』である」と喝破し、四苦八苦(生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦)をお説きになり、これらの様な基本的な「苦」からは逃れられないのだと諭しました。
これらの「苦」を考えて行く上で、四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)の教えをお説きになりました。
そして、苦しみのこの世の火宅の世界から、悟りの彼岸に渡る方法(道諦の実践法法)として、「八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)」をお説きになったのです。

こうした方法論を用いずに、安易に、この世の苦しみから逃れたいがために死を選ぶ(安楽死や自殺)と言うことは、すなわち、この世での修行を放棄したことと見なされるでしょう。
また、尊厳死については、当人が意識のないことがほとんどですので、周りの人の無明ゆえに犯した間違いではありますが、尊厳死を選択した人は「殺人を犯した」と扱われるでしょう。

この回答への補足

どうもありがとうございました。

>この世での修行を放棄したことと見なされる
お経の出典がもしわかるようでしたら教えて頂きたいと思います。

補足日時:2002/08/06 22:27
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>肉体的などうしようもない苦痛に対して何か示されたのかどうか知りたいと思ったのです。


どうしようもないという苦痛とは、直しようの無い復元することが出来ない肉体と解釈してよろしいのでしょうか?これについては特に薄学ゆえかもしれませんが触れてないような気がします。個々の問題よりも、もっとスケールのでかい万物の真理を知ろうとした方だと私は認識しています。また、宗派を超えて釈迦と接するには般若心経だけ理解すればいいのではとおもいます。教えを乞うというのも大切なことでしょうが、自分で考えることなくしては、単に知識を詰めるだけになってしまうのじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

何度もありがとうございました。
もう少し色々と勉強してみたいと思いますので
どうぞまた教えて下さい。

お礼日時:2002/08/22 08:37

>>この世での修行を放棄したことと見なされるでしょう。


>お経の出典がもしわかるようでしたら教えて頂きたいと思います。

具体的に「この世での修行を放棄した」とは書かれた経文はないのですが、先般書きました様な「四諦の教え」を始めとして、お釈迦様が信者に課した様々な修行課題というものがあって、(お釈迦様が)亡くなる直前にクシナガラで説かれたと言われる最後の説法(「長阿含経第二、遊行経」にあります)あたりを読みますと、こうした感想になるのです。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございました。
もう少し色々と勉強させてもらいます。
またご協力宜しく御願いします。

お礼日時:2002/08/22 08:35

法華経が最高の教えだということをいいたかったのです。


尚、現代は末法といい日蓮大聖人の教えでないと成仏できません。
ここまでいうとわかると思いますが私は創価学会です。
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仏教は嘘も方便と、方便が多いです。

それ故によくわからないですが
仏教を独学で学んだものとして、偏見が、また誤りがあるかもしれませんけど自信無く回答させていただきます。
四苦八苦だよ!とは私もよく使う言葉ですが、釈迦は自分を含めて人の苦痛を軽くする、また無くすようにするにはどうしたらいいのかを考え抜いたかただと思っています。ご質問の<尊厳死・安楽死や自殺>については考えなかったんじゃないでしょうか?現代の仏教が葬式に深く関わっているため
そのような質問が生まれて当然だとは思われますが。以上が回答ということになります。これからは余談ですが、地球誕生からの今日までの歴史を思うに、凄まじい環境破壊は人類の存在そのものが危うく、かつ問題になってきたように思えるので、ここら辺で個の問題ばかりでなく、グローバルに
考えることをしなくてはと思えます。

この回答への補足

どうもありがとうございました。

>釈迦は自分を含めて人の苦痛を軽くする
確かにそう思います。欲望による精神的な苦痛だけでなくて、肉体的などうしようもない苦痛に対して何か示されたのかどうか知りたいと思ったのです。

補足日時:2002/08/06 22:25
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釈迦・天台大師・伝教大師・日蓮大聖人・・・同じ流れです。


尊厳死・安楽死については難しく、自殺は聞いたことがあるので、わかる範囲で答えます。

まず人間は7回生まれ変わると。過去世があり現世があり来世があると。つながっているのです。

自殺は絶対いけません。なぜなら二度と人間に生まれてこれないと聞きました。もっと厳密に言うとその行い自体を来世に持ち越すことになり決していいことではありません。後生善処って仏教用語がありますが字のとおり人間が善いところに生まれ変われることをいってます。
つまり生前の行い如何で変わるのです。善い事をすれば善い因を積み悪いことをすれば悪い因を自ら積むのです。因果応報です、こういう簡単な理屈、方程式がどうもわかってない気がします。知ってると知らないとでは結果が違ってきます。

尊い命を自ら葬る。これほど命の尊厳さがわかってない行為は許されないのです。厳に戒めること。違う言い方をすれば現実から逃げる、諦める・・・ということです。
浄土宗でしたか忘れましたが、教義で人間は、娑婆世界(現実・今世では成仏しない、死ねば西方十万億に極楽浄土がある・・など、どう考えても非現実的な、おかしいことをいってたんです。無論、極楽浄土なるものは存在しません)
なぜなら人間に生まれてくる確立は(地球上に人間は一杯いますが)法華経では非常に少ないと説かれています。考えてもみれば動物や草木、花にいたるまで、すべてのものに命はあります。よく世間では一寸の虫にも五分の魂・・・といいます。
人間は国、文化、肌の色、言語、宗教・・・違いはあれ、同じ平等な存在です。先の第二次世界大戦も去年のテロ事件も根底にあるのは人間同士の不信以外のなにものでもないと確信します。
お互い信じあえればどれだけ素晴らしく悲劇がなくなることか、もちろん加害者は法的な(国際的に)処罰を受けるべきと考えます。
ただ憎悪と報復からは何も生まれないでしょう・・・。
人間の命が一番尊いのであって神だ!仏だ!ではありません。だからおかしくなるのです。また日本人ほど宗教・政治・哲学離れに無神経・無関心・無頓着な人種はいませんね。ナンセンスであり、非科学的であり極めて恥じるべきことだと思います。
世界から嘲笑をかわないことを祈らんばかりです。
例えば選挙ひとつとっても、投票に行かない人があーでもない、こうでもない…ということ自体がおかしいので国民一人一人に与えられた権利を自ら放棄し尚且つ、いずれ自分に帰ってくるのに真剣に考えないのは悪しき風潮です。
どうせ1票で何も変わらない!これがいけないんです。1票は大事です。諦めないことです。ことわざに「よいことはカタツムリの速度で進む」とありますが、そんなに、いきなり何もかも変わってしまったら世の中大変です。少しずつでもよくなってる。前進している。と思ったほうが前向きで楽観的で建設的では、ないでしょうか?
ついでに日本の仏教は葬式仏教化しています。檀家制度がいけないのです。
この悪癖・悪習慣は江戸時代にはじまり坊主と幕府が結託し(互いの利益のため)故人の成仏の橋渡し役を坊主がするということを(そもそも、あの世なんてありません!あるのは現実社会のみです)一般庶民に叩き込み根付かせたのです。
坊主にくけりゃ袈裟まで憎い!坊主丸儲け!という言葉があるのはダテではありません。キチンと意味があることです。大体、人の生老病死・冠婚葬祭に金(しかも大金が)出る・出す!こと自体がおかしいとは思いませんか?故人の成仏は生前の本人の生き方次第です。また生前、親しい方、友人知人の祈りで十分です。
また故人の家族が、お坊さんに必ず成仏する教えの高い教を唱えてほしいとお願いしたところ法華経を唱えたと聞きました。(天台・真言・念仏・禅宗、どれかは不明)ようするに改宗により檀徒・信徒を失うのが怖いのでしょう。当たり前です、食いぶちが減るわけですから。
悲しいかな日本の宗教界の現実はそんな程度です。大事なのは聖職者・政治家より国民が賢く懸命になり生きるべきです。そのための努力は惜しんではなりません。良くなります、間違いなく。

最後に昨今、不景気で自殺者や家出する人の数が最高だと新聞でみました。大変な時代でしょうが、みんな希望を持って明るく楽しく力強く生きていってほしいです。

朝の来ない夜はないのです。

この回答への補足

どうもありがとうございました。

>これほど命の尊厳さがわかってない行為は許されない

お釈迦様の教えにそうあると受けとってよいのでしょうか?
もうひとつ、もちろん今回の質問からははずれますが、法華経が何か問題があるという風にお考えなのでしょうか。

補足日時:2002/08/06 22:22
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