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終戦の前夜に、なぜ空襲?

役に立った:2件
  • 質問者:sanori
  • 投稿日時:2007/08/27 20:29
  • 困り度:暇なときに回答をください

終戦の前夜(1945年8月14日の夜)に空襲を受けた地域が、
いくつもあるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

すでに日本の降伏は決まっていたことなのに、なぜ空襲を行う必要があったのでしょうか?

この質問への回答は締め切られました。
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:2件)

回答(5件)

  • 参考になった:1件
  • 回答者:PENPENMAKKY
  • 回答日時:2007/08/28 11:50

他の方も言っておりますが、

ポツダム宣言は米国が出した講和条件の提示でしかありません。
それを日本が受け入れたのが8/10
8/15…日本側が一方的に軍事攻勢の中止を宣言(玉音放送)
8/21…連合軍が軍事攻勢を中止
8/27…連合軍進駐開始
9/2…日本軍、連合軍に降伏
です。

戦争は9/2に終わり、連合国と日本の間で交戦国状態で無くなったのは52年4月28日です。

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この回答への補足

皆様のご回答を総合しますと、
終戦(休戦?)は8月15日ではなく9月2日なので、
8月14日の夜に空襲を受けたのは当然である、ということになりそうですが、
では、逆に、
なぜ8月15日未明を最後に、日本本土への空襲をやめたのでしょうか?

私が勝手に推測するに、
明くる15日を、確実に(事実上の)終戦(=玉音放送)とさせるべく、
とどめ(脅し)という意味で空襲を行ったのでではないか、と。


なお、
下記は、皆さんのご回答とWikipedia記事をもとに、出来事を時系列でまとめてみたものです。

------------------

8/9 御前会議で「国体の護持」を条件に受諾を決定
8/10 ポツダム宣言の受諾を連合国へ打電
8/14 御前会議で宣言受諾が決定されて詔勅。連合国にポツダム宣言受諾の用意あることを伝えた

8/14~8/15未明 最後の空襲

8/15(日本側が一方的に軍事攻勢の中止を宣言した日)
8/15・朝 沖縄への特別攻撃隊出撃命令
8/15・正午 玉音放送=ポツダム宣言(休戦?/終戦?)の受諾を国民に通知
8/15・16時30分 最後の特攻(11機が大分を離陸)
8/16 軍への停戦命令
8/20 ソ連が樺太に侵攻
8/21 連合軍が軍事攻勢を中止
8/27 連合軍進駐開始
9/2 ポツダム宣言(休戦?/終戦?)に調印=降伏=戦争の終わり
9/4 ソ連との戦闘終結
(終戦後 シュムシュム島へソ連軍が上陸に対して戦車で応戦、ソ連軍が2千名の遺体を残して撤退)

1951/9/8 サンフランシスコ講和条約に調印
1952/4/28 サンフランシスコ講和条約が発効 連合国と日本の間で交戦国状態で無くなった
毎年/8/15 終戦記念日(終戦の日ではない)
アメリカは9/2を日本との終戦の日としている。
--------------------------

この回答へのお礼

ありがとうございます。
補足欄を拝借して、皆様からのご回答を総合してみました。

  • 参考になった:1件
  • 回答者:yuhkoh
  • 回答日時:2007/08/28 10:25

 8月15日を「終戦記念日」としているので、多くの人が昭和20年8月15日に“戦争が終了した”と誤解していますが、この日はポツダム宣言の受諾を国民に通知した日にすぎません(日本領の樺太へは8月20日にソ連軍が侵攻しています)。
 ポツダム宣言受諾を連合国に通告したのが8月10日、受諾が確定したのが14日、軍への停戦命令は16日。降伏文章調印が9月2日で日本が正式に連合国に降伏したのはこの日です(アメリカはこの日をもって日本との終戦としています)。ただしソ連との戦闘終結は同月4日。
 そして国際法上で正式に戦争が終了したのは、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効をもってです(ソ連などのようにこの条約を結ばなかった国とは、戦闘こそなされていませんが個別の平和条約を結ぶまでは戦争状態にあったといえます)。

 昭和20年8月15日は昭和天皇による玉音放送など、事実上戦争の終結を象徴する出来事があったことなどから、昭和57年の閣議決定で「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされました。また時期がお盆と重なることなども、慰霊の日として国民側も受け入れやすかったかもしれません。ですから8月15日は“終戦の記念日”ではあっても、“終戦の日”ではありません。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
先日は、毘沙門天の真言の件でもお世話になりました。

#5様のところに補足を書きました。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:ando57
  • 回答日時:2007/08/28 09:47

終戦ではないからです。

休戦の調印が9月2日。

終戦は1952年の4月28日です。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
#5様のところに補足を書きました。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:oska
  • 回答日時:2007/08/28 08:34

>日本の降伏は決まっていたことなのに、なぜ空襲を行う必要があったのでしょうか?

降伏が決まっていても、降伏した訳ではありません。
戦闘中止命令がでるまで、部隊は戦闘を継続します。

日本軍でも、1945年8月15日朝にも「沖縄への特別攻撃隊出撃命令」が海軍・陸軍からでて戦闘機が飛び立っています。
確か、同日(玉音放送後の)16時30分に11機が大分を離陸したのが最後の特攻です。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
#5様のところに補足を書きました。

  • 参考になった:0件

各部隊は攻撃する命令を受けていましたので戦闘を継続していました。

>すでに日本の降伏は決まっていたことなのに、なぜ空襲を行う必要があったのでしょうか?

戦闘の中止命令が無いからです。
終戦により、戦略爆撃機の爆撃は中止になったでしょう。

陸軍の場合、自分が戦闘を行わなくても、敵が来る場合があります。
ですから、終戦以降も各地で戦闘は継続して行われました。

終戦後、
シュムシュム島では、ソ連軍が上陸してきたので、戦車で応戦し、
ソ連軍が2千名の遺体を残して撤退した例もあります。

国家的な戦闘行為は終了しました。
しかし、自衛的な戦闘行為まで禁止した訳ではありません。
これは、日米両軍に言える事なんです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
#5様のところに補足を書きました。

  
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