宣統帝の退位
宣統帝の退位について、袁世凱は何故「退位協定」のような”柔弱な”条件を出さなければならなかったのでしょうか?
(本件を取り巻く諸般の情勢がわかりません)
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_ …
また(これに関連して)・・・「退位協定」を反故にした馮玉祥と袁世凱の間には何らかのつながりがあったでしょうか?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=10 …
回答(1件)
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No.1ベストアンサー20pt
”柔弱な”条件
清が完全に打倒されていない状況だったことにつきます。
日本の幕末において、大政奉還の段階では、慶喜は、将軍職を離れても、最大の大名である徳川家の当主であった事(結局は、打倒が必要という薩長に打倒されましたが)と同様な構造だと思います。
袁世凱自体は、民国側に権力基盤が無く、清国政府内に権力基盤(手下達)がありましたので、清国を根こそぎにする事ができなかったことがあります。清国を根こそぎにすると、自分の手下の権限が無くなり、対民国側への発言力が無くなります。
皇帝を飾り物にして、旧清国の権力を継承することが袁世凱の戦略となります。
馮玉祥と袁世凱の関係というと、軍閥の親分は、袁世凱が清国の体制の中で作り上げた軍隊の中で育ちましたので、元部下となります。
日本史で言えば、袁世凱が織田信長で、馮玉祥達が、秀吉や勝家という感じです。袁世凱も最後は天下取りに失敗(=皇帝を名乗ったが、反発され失敗)中国版秀吉が出てこず、グダグダになったという感じでしょうか。
この回答へのお礼
的確なご回答有難うございました。
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